第2話 悪夢の旅路 その10
菊が成仏するのを見届けてから、芙蓉たちは峠まで戻り、冨美が教えてくれた別の経路から山を下りた。
空が白みだしたころ、中腹にある村に到着した。
才蔵がいたような小さな村のようだったが、そこは厳重な砦柵が巡らされていて、よそ者の侵入を防いでいた。
「迂回しようか」
高い柵を見上げながら、芙蓉は面倒くさそうに言った。
「お腹は空いてないの?」
枕小町はまた芙蓉の腹具合を気にする。
「殺戮を見るのが好きなの?」
「嫌いじゃないわ」
「可憐な顔して中身は残酷、妖怪とはそういうものなの?」
「いやいや、人間のほうが残酷でしょ」
山道にも落ち武者狩りで殺されたのだろうと思われる遺体を見た。あちこちで戦は続いているのだ。
「芙蓉?」
踵を返した時、自分を呼ぶ声に足を止めた。
柵の隙間から覗く目だけで相手はわからなかったが、呼ばれたのは確かだ。
「誰?」
「やっぱり芙蓉だ」
声に聞き覚えがあった。
「孝ちゃん?」
「そうよ、あなた無事だったのね! 一人なの? どうやってここまで来たの?」
矢継ぎ早に質問されて答える隙もなかった。それに気付いた孝子は、
「裏から入れるわ、戸を開けるから回って」
芙蓉は孝子に支持された場所へ回った。
孝子は、かつて芙蓉と同じ里に住んでいた姉のような存在だった。彼女三年前にこの里に嫁入りした。意図しなかったものも、芙蓉は孝子の村に辿り着いたのだった。
「大きくなったのね、見違えるほど綺麗になって」
芙蓉を村の中に招き入れた孝子は、嬉しそうに手を握った。
「でも、一目でわかってくれたのね」
「当たり前よ、妹みたいなもんだから」
自分の家に案内する道すがらもお喋りは止まらない。
「村が野盗に襲われたことを聞いて、心配していたのよ、あなたは逃げられたのね、じゃあ、他にも逃れた人がいるってことね、父さんや母さん、兄さんのこと知らない? 無事なのかしら」
孝子は必死の様相でまくしたてた。
故郷が、〝鬼〟ではなく野盗に襲われたことになっている。
村は全滅した。
芙蓉が全滅させたのだ、ハッキリした記憶はないが、自分が惨殺した者の中には孝子の家族もいたのは間違いない。
「あたしは……、あたしとたっちゃんは別の場所にいたのよ、騒ぎを聞いて駆けつけた時にはもう……、確かめるより、逃げるのに必死で」
苦しい嘘をついた。
「そう……無理もないわね」
「ごめんなさい」
「いえ、しょうがないわ」
ごめんなさいの意味は違うのだが、それを言う訳にはいかない。
「それで樹は? 一緒じゃないの?」
「途中ではぐれたの、落ち合う場所は決めてるから、向かっている途中なの」
また嘘をついた。
「じゃあ、他の人のことはわからないのね、落ち武者が山賊になって村を襲っているらしいわ、きっと村を襲ったのもそんな輩なのね、昨日は、隣村の村長の家が焼き討ちにあったって話だし」
「焼き討ち?」
そうか、玉代が火を放ったんだろうと芙蓉は推測した。簡単な方法を取ったんだ、生きて悲しみに暮れるより、死んでしまうほうが楽だろうから。親切にしてくれた冨美は無事に逃げられたか心配になった。
「この村も砦柵を築いて自衛してるけど、ほんと、物騒な世の中ね」
そんな話をしながら歩いていると、
「なんだ、その娘は!」
大柄な男が行く手をふさいだ。
「勝手によそ者を入れたのか!」
肩を怒らせ憤慨している。
「この子は故郷の村の身内みたいなものよ、知ってるでしょ、あたしの故郷が襲われた話は、逃げて来たのよ」
孝子が一歩前に出、芙蓉を庇うようにして言った。
男はそれでもなお訝しげな目を芙蓉に向けた。
「一人だけ助かるなんて変じゃないか、怪しいぞ」
舐めまわすように見ながら芙蓉のまわりを一周した。
「イイ女じゃないか、見初められて野盗の女になったんじゃないのか?」
「なんてこと言うの!」
「だっておかしいだろ、こんなところまで一人で山を越えて来たなんて信じられない」
「芙蓉は猟師の娘よ、夜の山道も平気だし、野宿だって一人で出来るわ」
「そうか、こんなか弱そうな女が」
男の失礼な態度に芙蓉もムッとしていた。
面倒臭いこの男を黙らせるには……。
芙蓉は男が腰に下げていた斧を奪い取り、次の動作で近くに木に投げた。
ズバッ! と見事に突き刺さる斧を見て、男は目を丸くした。
「熊とも戦えるわよ」
孝子は大袈裟に言ってみせるが、実際、今の芙蓉は熊など敵ではない。
男は〝ちっ〟と舌打ちしながら、木に深く突き刺さった斧を抜いた。そして、恨めしそうに芙蓉を見ながら立ち去った。
「ゴメンね、みんなピリピリしてるのよ、あんなに厳重に守りを固めているのに、どこから侵入するのか、子供が攫われるの、おそらく売り飛ばすために」
「子供を?」
「そうなの、何人か攫われたし、あたしも怖くて子供から目を離せないのよ」
「子供がいるの?」
「ええ、二歳になる男の子よ、亮太って言ってね、可愛いのよ」
幸せそうに笑う孝子を見て、芙蓉は胸がギュッと締め付けられた。羨ましい、妬ましい気持ち、今の自分には望めない幸せだったから。
「今は旦那が見てくれてるわ」
孝子に家に着き、
「ここよ」
戸を開けようとした時、荒々しく戸が開いて、血相変えた男が飛び出した。
「三太さん、どうしたのよ」
「亮太が!」
「えっ?」
「いつの間にかいなくなって!」
「なんですって!」
「さっきまで家で寝ていたはずなのに!」
質素な室内は一見で見渡せる、子供の姿はなく孝子は見る見る血の気を失った。
「なんで!」
「それはこっちが聞きたい! 一人で出ていくはずないと思うけど、捜してくる!」
「その辺にいるはずよ、あたしも捜すわ! 芙蓉はここにいて」
二人は慌てて出て行った。




