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黒緋の勾玉が血に染まるとき  作者: 弍口 いく
第2章 鬼の記憶
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第2話 悪夢の旅路 その8

 京の都の中心部、公家の邸宅が並ぶ中、まるでそこだけ忘れ去られたようなみすぼらしい佇まいの古寺、悠輪寺ゆうりんじがある。


 正門の両脇には仁王様が侵入者を見張っている。その門をくぐると、右手には石のお地蔵様が微笑み、横に五輪塔が並んでいる。左手は無人の受付、その後ろに庫裡の建物が見えた。


 正面奥に本堂があり、それを守るように大きな銀杏の木が囲んでいる。秋も深くなると落ち葉が黄金の絨毯を敷くが、今はまだ色付きはじめた葉が枝にひしめいていた。


 本堂のご本尊、阿弥陀如来座像の前に、黒い剛毛に覆われた大きな獣、鬼と化したたつきの姿があった。

 胸をかきむしり、苦しそうにもがいている。黄ばんだ牙が覗く口からは、だらしなく唾液が零れていた。

その様子を聰賢そうけんは静かに見上げていた。


 ほどなく鬼の体は小さくなり、人間の姿に戻った。

 樹は肩で息をしながら膝をついて俯いた。

「自らの力で変化へんげを解けるようになったか」

 聰賢は満足そうに見下ろした。


「でもそれって、聰賢が張った結界の中やしやん」

 その様子を見ていた那由他なゆたが口を挟んだ。

「まあ、そう言うな、樹の意志が弱かったら、結界の中と言えども鬼化している間、意識は保てへんやろ、理性を失わへんのは強い心の賜物や」


 樹は最初の十日を、結界に護られたこの本堂内で過ごした。

 体は鬼と化したが、意識を失うこともなく、飲まず食わずで耐えきった。それが最初の修業だった。


「今日から珠蓮じゅれんと名乗るといい」

 聰賢は樹改め珠蓮に本蓮数珠を授けた。


「これで鬼化しても人を襲わないってわかったろ、早く芙蓉を追いたいんだけど」

 珠蓮は荒い息を整えながら言った。

「なにうてるねん、まだ一つも断ち切ってないやろ、人には百八個の煩悩がある、それを全部断ち切るのが修行や」


 その時、鋭い殺気とともに、鞭のようななにかが飛来した。

 それは珠蓮の右腕に直撃、切れ味鋭く切断した。

「うわっ!」

 右腕が床に転がり、珠蓮は激痛にもんどり返った。


「痛ぇぇっ!」

 切り落とされた右手の傷口を押さえながらゴロゴロと床に転がる珠蓮を、

「すぐには再生しいひんのか? 雑魚やな」

 そう言って腕組みしながら見下ろしたのは、いつの間に現れたのか、遊び人風着流し姿の男だった。


 カラスの濡れ羽色の長髪を一つに束ねた長身の若い男、眉目秀麗という言葉は彼の為にあるのではと思わせる美しい顔立ち、陶器のような白い肌、右の瞳は青、左は紫の虹彩異色、白い歯が零れる口元には不適な笑みが浮かんでいた。


「久しぶりやな、白哉びゃくや

 激痛に苦しむ珠蓮を心配することもなく、那由他は人懐っこく微笑んだ。

「よう来てくれた」

 聰賢も歓迎したものの、珠蓮の血で汚れた床を見て渋い顔をした。

「掃除が大変やな」


姉様ねえさまの頼みやさかいな」

 白哉は聰賢の困り顔など気にする様子もなく、額に垂れた後れ毛をかきあげた。

紫凰しおお姉様の命令には逆らえへんもんな」


「そうそう、恐ろしくて、って違うし」

 那由他の突っ込みに乗った白哉だが、右腕を押さえて苦痛に喘いでいる珠蓮を、蔑むように見た。


「けど、こんな奴を鍛えろって言うんか? 俺の気配にも気付かへんし、避けられへんし、こんなん、外に出たとたん、退治屋の餌食やで」

「そやし修練するんや、お前が来てくれて助かる、拙僧は所詮人間、鬼の修行相手をするには到底、体力が持たへんしな」


「面倒くさいなぁ」

「どうせ暇なんやしエエたん」

「それは否定せえへんけど」

 白哉は珠蓮の頭を掴んで、顔を上げさせた。


「姉様が気に入っただけあって、なかなかの男前やけど、ちゃんと暇つぶしになってくれるんか?」

「可愛がってやってくれ、けど、心臓だけは潰さんように気ぃつけてな」

 聰賢の言葉を聞いて、珠蓮はゾワッと背筋が寒くなった。


芙蓉ふようって鬼は、もうすでに百人くらい人を喰ってるらしいやん、そうとう強なってるんやろな」

「百人?」


 珠蓮が本堂に詰めていた十日で、芙蓉がそんなに人間を襲っていたことを知り、珠蓮は戦慄した。

「まあ、こんな時代やし、百人くらい殺されても大騒ぎにはならへんやろうけどな、戦では万の人がいっぺんに死ぬんやし」


 白哉は思い出したように再び珠蓮を見下ろした。

「まだ再生せえへんか?」

 切り取られた右手の傷口、出血は止まっているが、痛みは治まっていないし、再生もされていない。


「珠蓮は人を喰ってへんし、鬼の能力は万全違ちゃうんや、森へ行ったら治るんちゃうかな」

「森?」

 那由他は珠蓮に手を差し伸べた。



   *   *   *



 それは初めての感覚だった。

 空気が濃い。

 体に纏わりついて、毛穴から入り込むような感覚、心地よい、母親に抱かれた幼い頃を彷彿させる感触だった。


 緑の葉を並々と湛えた銀杏が立ち並ぶ、静寂に包まれた場所に、珠蓮は連れて来られた。


 本堂で聰賢の修行を受けていた珠蓮は、白哉と那由他とともに、いったん本堂から出た。

建物の周りは、幅3メートルくらいお堀が廻らされており、正面に本堂の入口へと渡る小橋があった。

 三人は小橋を逆戻りした。


 橋の途中で急に空気が変わった。

 ピンと張りつめた冷気が珠蓮を包んだ。

 凍るような冷風が彼の頬を撫でたかと思うと、次の瞬間、周囲の風景が一変した。


 そこは深い森の中、お堀も小橋も本堂も消え、銀杏の木々が立ち並ぶ森になっていた。


「ここは……?」

 目の前に一際大きな木が聳え立っていた。樹齢千年は越えようかという大銀杏が凛と見下ろしている。


「ここは幽世かくりよ現世うつしよの狭間、あやかしの空間や、特にこの一画は霊木大銀杏が守る霊気に満ちた場所、人間は迂闊に入って来れへん場所なんや」

 白哉はその霊気を吸い込むように大きく深呼吸した。

 すると本来の姿、白い大猫に変化へんげした。


 ピンと立った耳、見開いた瞳は盾に伸び右は青、左は紫の宝石のように煌めいていた。口元から覗く牙はプラチナの輝き、肉球からはみ出した爪も念入りに砥がれた日本刀の切っ先のように青白い輝きを放っていた。


「我らはここの霊気に触れると癒され妖力を増すんや」

 那由他は珠蓮の左手を取って、大銀杏に触れさせた。


 不思議な手触りだった。

 ただの樹皮なのに、なぜか温もりを感じた。

 そして、次の瞬間、右手が再生した。


「え……」

 珠蓮は元通りになった右手を確かめるように握りしめた。

 全身に活力がみなぎった。

「力が……」


 右手だけではなく全身が活性化したように感じた。

 心まで自信が漲る。

「なんか、俺は強くなる気がする、これで戦える! 芙蓉がいくら強くなっても負けない!」


 頬を紅潮させる珠蓮を見て、

「単純な奴」

 那由他は溜息をついた。


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