第2話 悪夢の旅路 その6
才蔵の記憶は、心配そうに覗き込む玉代の顔から再開した。
「よかった、目が覚めたのね」
目覚めた才蔵を見て、玉代は安心したように微笑んだ。
「十日も眠り続けたのよ、もうだめかと……」
涙ぐむ玉代を押しのけて才蔵は上体を起こした。しかし、立ち上がろうとして違和感を覚える。
「足が……」
「右足はダメだった、壊死してしまったから切断するしかなかったらしいの、そして生死の境を彷徨っていたのよ」
「十日って……、菊は、菊はどうした!」
才蔵は必死の形相で玉代の肩を掴んだ。
玉代は辛そうに目を伏せた。
「残念だけど、助けられなかったわ、間に合わなかったの、村の者が行った時はもうお亡くなりになってたそうよ」
「そんな……」
「ご遺体を運ぶのは難しかったから、その場所で手厚く供養してもらったわ」
「菊……菊っ!」
才蔵は声を上げて泣いた。
「供養されてなかったよね、野晒で放置されてたし」
芙蓉は眉をひそめた。
「どういうこと?」
「あの女が嘘をついているか、派遣された村の者が面倒だから放置したか」
「わからないけど、才蔵はちゃんと供養されたと信じているのよ」
「あの足じゃ、峠まで行けないだろうし、確認もできなかったのね」
その後の記憶は本当に走馬灯のようで駆け足だった。
右足を失くしたものの、怪我が癒えた才蔵は、村長の一人娘だった玉代に強く望まれて婿入りした。長女、次女、長男と、子宝に恵まれてそれなりに幸せそうに見えたが、風景は流れているというより、空虚に流されているようだった。
時折、いや頻繁に、才蔵は寂しそうに山を仰いでいた。
「菊……、俺が怪我さえしなければ、迎えに行けていれば……、いいや、お前の元から離れるべきではなかった」
才蔵は辛そうに俯いた。
「お前のいない人生はただ虚しいだけだった、でも、それもやっと終わるんだな、ようやく菊のところへ行けるんだな」
急に周囲が真っ暗になった。
「死んだようね」
枕小町がそう言った瞬間、芙蓉は元の客間に戻っていた。
「才蔵はお菊さんを見捨てんじゃないじゃない」
芙蓉は茫然と呟いた。
「じゃあ、なんで!」
じっとしていられなくなった芙蓉は部屋を飛び出した。
* * *
顔に打ち覆いが被せられた才蔵が横たわる布団の周りには、家族全員が揃っていた。
妻の玉代、嫁に行った長女夫妻とその子供、妊娠中の次女と夫、そして伸蔵。
泣き崩れている玉代を娘たちが慰めていた。
ガタン!と乱暴に音を立てて襖が開けられた。
忿怒の形相をした芙蓉が、断りもなく押し入った。
「墓なんてなかった!」
唐突な叫びに、一同は唖然としながら芙蓉に注目したが、
「誰よ、あんたは!」
長女が非難の声を荒げた。
「場をわきまえなさい、今、父が息を引き取ったところなのよ」
芙蓉はかまわず部屋の中央に進み、玉代の胸ぐらを掴み上げた。
「お菊さんの墓はなかった、供養なんかされてなかったわ」
「お前、なんの話をしてるんだ、こんな時に」
伸蔵も訳がわからず驚いた様子で、芙蓉を止めようと腰を浮かしたが、
「引っ込んでて!」
芙蓉が片手で振り払うと、伸蔵の体は軽々と壁まで吹っ飛んだ。
「なんだこの女は!」
室内にいた者たちが芙蓉を取り押さえようと立ち上がったが、
「黙れ、動くな! 」
芙蓉は赤い目を煌めかせながら叫んだ。
すると、その部屋にいた全員が、瞬間冷凍されたように固まった。
それを見た枕小町は一瞬、驚いたが、
「合点がいったわ」
腕組みをしながら大きく頷いた。
「いくら鬼の動きが敏捷だとしても、三十人近くの人間を一人も逃さずに殺したなんて、どんな手を使ったのか不思議だったのよ、あなた、言霊を使えたのね」
「言霊?」
「発した言葉で相手の動きを止める、でも、それは鬼の妖力じゃないわ、あなた、人だった時、かなり霊力が強かったのね」
「あたしが?」
芙蓉は固まったまま微動だにしない人たちを見渡した。
霊力とはなにか、よく理解できないが、
「そんなこと、今はいいわ、それより」
玉代に鋭い視線を突き刺した。