第2話 悪夢の旅路 その5
「すっかり気に入られちまったみたいだね」
さっきの村の女、冨美が、部屋に握り飯を持ってきてくれた。
強引に村長の家に連れて来られた芙蓉は、客間に通され、待機させられていた。
「あんたみたいな別嬪さん、そうそういないからね、伸蔵も一目惚れしたんだろうけど」
「困ります、急ぐ旅なのに」
「心配しなさんな、朝になったら逃がしてあげるから、あんなろくでもない男の餌食になるなんて気の毒だからね、この先の道はさっき言ってたように通れないけど、もう一度峠まで戻れば、北の尾根から降りる道があるから、そこから行けばいい、山育ちで少々険しくても降りられるんだろ?」
「ええ、そうします」
そこへ伸蔵が入ってきた。
「なんだ、お冨美さん、まだいたのか」
「あんたこそ、村長に付き添ってなくていいのかい?」
「お袋がいる」
「お玉さんだって心細いんだよ、こんな時くらい、傍にいてやりなさいな」
「姉さんたちも来てくれてるし、大丈夫だよ」
「長男だろ、お玉さんはあんたを頼りにしてるんだよ」
「わかったよ」
伸蔵は芙蓉を見ながら、渋々退室した。
「遅くに授かった待望の長男だから、甘やかされて育ったんだよ、才蔵さんにもしもの事があって、アイツが後を継ぐことになったら、この村の先行きは暗いよ」
冨美は大きなため息をついた。
「まあ、さすがに今夜は襲ってこないとは思うけど、気を付けるんだよ」
「はい」
そんな面倒なことになるくらいなら、夜のうちに発とうかと芙蓉は考えていたが、
「気になる?」
枕小町に心の中を見透かされていた。
〝才蔵〟と言う名を聞いた瞬間から、好奇心が頭をもたげて離れない。自分には関係ないことと思いつつも気になってしょうがなかった。
「名前が同じだけかも知れないけど、どのみちあの人、助からないだろうし、確かめようがないわ、まあ、確かめたところで、なにも出来ないけどね」
「でも、知りたいんでしょ」
「そうかも……」
「見れるかも」
「なにを?」
「人は死が近づくと、思い出が走馬灯のように蘇るっていうじゃない、あたしはその中に入れるわ」
「えっ?」
驚いている芙蓉の手を、枕小町は握った。
「あなたも一緒に」
そこは山道だった。
鬱蒼とした密林は陽の光が地上に届くのを阻んでいた。昼間なのに薄暗い山道、風に煽られた木の枝が擦れ合う音が怪しく聞こえる、鬼女が出ると噂が立つあの山道だった。
「菊!」
才蔵は崖下を覗き込んでいた。
「大丈夫よ、足をくじいたけど、たいした怪我じゃないわ」
暗くて姿は見えないが、菊の返事はハッキリ届いた。
菊は足を滑らせて崖下に落ちたが、幸い滑り下りたので、大きな怪我がなかった。
「待ってろ、今、助けに行く」
「ダメよ、この高さよ、下りてきたら二人とも登れないわ」
菊は冷静だった。
「じゃあ、どうするんだよ」
「頑丈な縄はないかしら、引き上げてくれれば」
「わかった、この先に村があると聞いてる、そこまで行って借りてくる、お前はここで待ってるんだ」
その様子を芙蓉と枕小町は俯瞰で見ていた。
「ここは?」
「言ったでしょ、才蔵の夢の中、と言うより、記憶ね」
「じゃあ、やっぱりこの男は、お菊さんが待っている才蔵なのね」
才蔵は足早に山道を下りて行った。
太陽が雲に隠れて、鬱蒼とした森はさらに暗さを増した。
見通しの悪い山道を駆けるように進む才蔵だったが、
「わあっ!」
倒木に足を取られて転倒した。
激痛が走り、しばらく足を抱えてうずくまった。
骨折したかも知れなかったが、それより、菊が心配で、冷や汗をかきながら足を引きずって進んだ。
目的の村、この村にたどり着いたとたん才蔵は倒れ込んだ。
足は紫に変色し、パンパンに腫れあがっていた。
「どうしたんです!」
最初にその姿を見つけた若い娘、玉代が駆け寄った。
「酷い怪我、よくここまでたどり着けたわね、早く手当てを」
「それより、菊を!」
「菊?」
「崖から滑り落ちてしまったんだ、早く引き上げてやらなきゃ、場所は……」
才蔵は必死で説明した。
「わかったわ、誰かに行ってもらうから、あなたは」
「頼む」
そう言うと力尽きて気を失った。
「ちゃんと伝えたようだわね、お菊さんを助けるつもりだったのよ、じゃあなぜ?」
「続きがあるわ」