第2話 悪夢の旅路 その4
「あの峠を、女一人で越えて来たのかい?」
夕方近く、中腹の小さな村に到着した芙蓉を見て、村の女性は驚いた。枕小町は芙蓉の横にいても村人には見えない。
芙蓉と枕小町は菊と別れてから、ずっと歩き続けてここまで来た。
「あたし、山育ちなんです、猟師だった父について山を歩き回ってましたから」
鬼の力を得て人間を超越した体力を手に入れた芙蓉は疲れ知らずだ。
「麓まであと少しですよね」
この村を素通りして、日が暮れる前に降りてしまおうと思っていたのだが。
「残念だけど、この先は行き止まりだよ、崖崩れがあってね」
そこへやってきた二十歳くらいの若い男が言った。
「そんなぁ」
一見、さわやかな笑顔の好青年に見えたが、芙蓉を見る目つきは伍平を彷彿させ、嫌悪感を覚えた。
「今、村の男たちが総出で土砂の撤去作業をしてるんだけど、開通するまで三日はかかるかな」
「村人総出って、あなたは?」
「俺は伸蔵、村長の息子なんだ、親父が向こうで指揮を執ってるから、村を守るために残ってるんだ」
得意げに言ったが、村の女は渋い顔をして、
「体が不自由な村長さんが出向いているって言うのにね」
腐肉っぽく言った。
「指揮は取れるだろ」
伸蔵はムッとしながら言い返した。
ああ、この頼りなさそうな男では無理なのだろう、そして、行っても役立たずの怠け者なのだろうと芙蓉は覚った。村長の息子だと言っていたが、多分に漏れない放蕩息子なのだろう、芙蓉の一番嫌いな種類の男だ。
<鬼化すれば崖崩れなんかひとっ飛びで越えられるよ>
枕小町はそう言ったが、復旧作業をしている村人の目に触れず、ひとっ飛びは難しいだろう、少なくとも作業が終わる夜まで待たなければならない。それもと、作業をしている男たち全員を食い殺すか……。
「とりあえず、通れるようになるまでうちで休むといい」
伸蔵はいやらしい笑みを浮かべながら芙蓉に擦り寄った。
<狙われてるわね>
枕小町も下心丸出しの伸蔵に気付いていた。
<あなた、別嬪さんだからね、男ってみんな同じ、うわべしか見てないのよ、鬼とわかった時に顔が楽しみだわ>
他の人間には聞こえない枕小町の呟きに、芙蓉は返事をするわけにはいかないが、大きく頷いた。
疲れはないが、そろそろお腹も空いてきたところだった。さっき考えたことを実行しようかとも思った。
<あなたの故郷のように皆殺しにすれば? ちょうど崖崩れで孤立してるし好都合だわね>
枕小町も同じことを考えたようだ。でも、なんで枕小町は自分の腹具合を心配するのだろうと芙蓉は思った。そして、
(ああ、そうか、人を殺した後の悪夢を期待してるのか)
と思い当たった。
「申し出はありがたいんですけど、先を急ぐので、なんとか通れないかしら、あたし身軽だから、行けるかも知れないし」
「無理だよ、危ないよ」
伸蔵に馴れ馴れしく肩に手をかけられて、芙蓉は不快感に身を竦めたが、伸蔵は気にもしない。
「うちはこの村で一番大きな家だし、泊まる部屋も用意できるぞ」
強引な伸蔵は面倒くさい奴ほかならない、誘いに乗ったふりして喰ってしまおうかと芙蓉が思った時。
「大変だ!」
にわかに慌ただしくなった。
「どうした?」
たちまち村の入口に人だかりが出来た。
「また落石があって!」
担架に乗せられて運ばれてきたけが人は、
「親父!」
村長だった。伸蔵は血相変えて駆け寄った。
「あなた、ああ、どうしましょ!」
妻らしき女がオロオロしながら付き添っていた。
村長は頭から血を流して意識が無い。かなり重症に見えた。
「お玉さん、しっかりするんだ、才蔵さんは強い人だ、きっと助かる」
担架を持つ男の一人が言った。
〝才蔵〟という名を聞いて、芙蓉はピクッと反応したが、特別珍しい名前でもない。
「けど、道は塞がったままだし、医者も呼べない」
「大丈夫、足を失ったあの時だって持ちこたえただろ」
「三十年も前よ、若かったし」
運ばれて来た村長は五十がらみの男で、もしそれがお菊の許嫁の才蔵だとすると、三十年以上の歳月が流れていることになる。
それに、村長が流した人間の血の匂い、芙蓉にとっては香しい。鬼の本能をくすぐる匂いに激しく動揺していた。鬼の血が騒ぎだし、気を許せば鬼に変化してしまう。芙蓉は震える体を押さえながら背を向けたが、
「どこへ行くんだ」
伸蔵に手を掴まれた。
「どこって、先を急ぐから」
「聞いただろ、また落石があったんだ、通れるわけない」
「でも」
「危険だと言ってるんだ、とにかく俺の家に」
「えっ?」
芙蓉は強引に手を強く引かれて、連れていかれた。




