第2話 悪夢の旅路 その3
芙蓉と枕小町は伍平と弥吉が落ちた崖下を見下ろした。
普通の人の視力では無理だが、鬼になった芙蓉の赤い目は、崖下に転がる無数の白骨を見ることが出来た。
残った着物から、それらは男の遺体だと推測されたが、ただ一つ、女の着物を着たまま白骨化している骸があった。
「ここから落ちて死んだんでしょうね、才蔵って男に突き落とされたが、置き去りにされたか」
「才蔵さんは戻ってくるわ!」
女は小町の言葉に反応した。
「小町が見える?」
「人間じゃないから」
枕小町は芙蓉に耳打ちした。
「自分が死んだことに気付いてないのよ」
「幽霊って初めて見たけど、ハッキリ見えるモノなのね」
「強い霊だから、ここを通る男を片っ端から転落させているのね」
「茶屋の女将さんが言っていた鬼女の正体なのね」
「鬼じゃなかったけど」
小声でヒソヒソ話をしている芙蓉と枕小町を見て、女は首を傾げた。
「あなたたちは誰?」
「あたしは芙蓉、こっちは枕小町」
敵意はなかったので、芙蓉は素直に答えた。
「枕小町って変な名前、あたしは菊よ」
妖艶な見かけとは裏腹、まだあどけなさが残る無邪気な話し方だった。
「お菊さんは才蔵って人を待ってるの?」
「許嫁なの、彼の故郷に戻って祝言を挙げる予定なのよ、でも、あたし足をくじいちゃって動けなくなったから、才蔵さんは助けを呼んでくるから、ここで待ってろって」
「いつの話やら」
「ついさっきよ、一時ほど前」
枕小町はまた芙蓉に耳打ちした。
「きっと何十年もこうしているのよ、男に見捨てられたこともわからずに」
再び崖下の白骨を見て、
「成仏できなかった霊は、長く現世にとどまると悪霊になってしまうのよ、さっき落とされた二人、まだ温かいだろうし、喰っとく?」
「なんか……気が乗らない」
「あなたを手籠めにしようとしてたやつらよ、遠慮することないと思うわ、心も痛まないだろうし」
またヒソヒソと話をはじめた二人を見て、菊は眉をひそめた。
「さっきからコソコソと、なんの話をしてるの?」
「いえ、なんでもない」
「そう?」
菊は不服そうに頬を膨らませた。
「なんか、あたしの悪口言われてるみたいだわ」
「そんなことないって」
芙蓉は苦笑いで誤魔化した。
「じゃあ、あたしたちは先を急ぐから」
枕小町はバッサリ話を切って、素っ気なく菊に背を向けた。
「えっ? この人をこのままにしていくの」
芙蓉は枕小町の袖を引っ張ったが、枕小町は溜息交じりに、
「人じゃなにのよ、どうすることも出来ないでしょ」
「もう、行ってしまうの?」
菊は縋るような目を向けた。
「才蔵さんが戻るまで、一緒にいてくれれば心強いんだけど、急ぐなら仕方ないわね」
「え、ええ」
歯切れ悪い返事の芙蓉の手を、枕小町は強く引っ張った。
「気を付けてね、途中、才蔵さんに会ったら、この場所をちゃんと伝えて、迷ったらいけないから」
にこやかに手を振って見送る菊を置いて、芙蓉と枕小町はその場から離れた。
「死んだことを解らせれば成仏できたんじゃない?」
歩きはじめたものの、後ろ髪引かれる思いの芙蓉は菊に振り返った。
彼女はまだ手を振っている。
「無理じゃない、残酷な真実を受け入れられずに、ずっと男を信じて待ち続けるのよ」
枕小町は淡々と言った。
「鬼のくせに同情?」
「そう、かも……」
同じ年頃、祝言を控えていたのに命を落としたというところも、鬼に襲われて死ぬところだった芙蓉と同じだったので、このまま放って置くのは可哀想に思えた。
「坊主でも通りかかって浄霊されるまで、あのままでしょうね、あたしたち妖怪には手が出せない領域だから捨て置くしかないよ」
「まだ苦しみ続けるのね」
「本人に自覚はないから苦しんではいないんじゃない?」
「男は、なぜ戻らなかったのかしら?」
「さあね、面倒になったんじゃない」
「許嫁を見殺しにしたの?」
「人という生き物は、すぐに気が変わるものだから……、あなただってそうじゃない、旦那と幸せになりたいって言ってたのに、新しい運命の人を見つける、に変わったじゃない」
皮肉交じりの言い方に、芙蓉はムッとした。
「あたしは違うわ、たっちゃんがあたしを見捨てたのよ、だから仕方なく……」
そう言って、ハッと閃いた。
「お菊ちゃんだって、許嫁に見捨てられたことがハッキリわかれば、あの世に行く気になるんじゃない?」
「それはどうかない、怒りのあまり、もっとたちの悪い悪霊に昇格するかも」
「ううん、それはまずいかも……」
「ま、余計なことはしないことよ」
自分にはどうすることも出来ないと覚った芙蓉は、仕方なく歩を進めた。