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黒緋の勾玉が血に染まるとき  作者: 弍口 いく
第2章 鬼の記憶
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第2話 悪夢の旅路 その1

 深い闇に沈んだ山の奥、木々の間に怪しく煌めく二つの光が、夜空を見上げていた。


 上弦の月が夜空をほんのり照らしていた。

 その月の前を横切る影が一つ。

 大きな翼を広げて滑空する鳥のような生き物。


 羅刹姫らせつひめはそれを見上げながら舌打ちした。

 遥か上空のソレに手が届くわけもなく、木の上から歯を軋ませた。


 飛ぶ妖力を持っていない羅刹姫は、鳥のような生き物が、山の彼方へ消えて行くのをただ見送るしかなかった。





 人の体、背中に大きな翼をもつ妖怪、姑獲鳥うぶめねぐらにしている洞窟に到着すると翼を畳んだ。

 両手でしっかり捕らえていた三歳くらいの男の子は、着地して手を離すと同時に岩陰に逃げ込んだ。


「どうしたの? こっちへ来なさい」

 怯えて硬直する男児に、姑獲鳥は優しく声をかけた。


 人間の姿をしている姑獲鳥は、二十代半ばの落ち着いた雰囲気の女性、優しい微笑みは偽物に見えなかったが、男の子は大きな翼で夜空を飛ぶ彼女の本性を見ている、もう見かけに騙されない。

 差し伸べられた手を振り払って、火がついたように泣き出した。


 甲高い子供の泣き声は洞窟の岩肌に反射して響き渡った。

 姑獲鳥は顔を歪めながら耳を押さえた。

「お黙り! 耳が痛いわ!」

 さっきまでの穏やかな微笑みは反転し、般若の形相に変わる。

 それを見て男の子の泣き声はさらに大きくなった。


「うるさい! 悪い子ね!」

 姑獲鳥は男の子の喉元を掴んだ。

 気道をふさがれて声が途切れる。


 その指は猛禽類の鉤爪で男の子の首に食い込んだ。

 次の瞬間。


 男の子の首はいとも簡単に握り潰されて、頭部がもぎ取られた。

 そして姑獲鳥の足元には小さな胴体が崩れ落ちた。

 男の子は三歳足らずの短い命を強引に終わらされた。


「あらあら……」

 手にしている男の子の頭部を姑獲鳥は残念そう見た。


 目は見開いたまま涙に濡れている、恐怖に歪んだ死に顔に、

「言うことを聞かないから」

 眉尻を下げた。


 洞窟の、棚のように設えた岩の上には小さな頭蓋骨が並んでいた。

 その隙間に、たった今殺した男の子の頭部を置いた。


「この子も違ったのね、あたしの可愛い子はどこにいるのかしら」

 姑獲鳥は独り言ちながら、男の子の胴体を手にした。


 そしてそれを貪り喰いはじめた。

 クチャクチャと不気味な咀嚼音が洞窟の奥まで響いた。



   *   *   *



「ねえさん、一人旅なのかい?」

 立ち寄った茶屋の初老の女将は、軽装で旅する芙蓉ふようを見て、心配そうに尋ねた。


「ええ」

 芙蓉は東へ向かっていた。一人ではない、枕小町まくらこまちも一緒だったが、普通の人間に枕小町の姿は見えない。


 冴夜さよが言っていた黒緋くろあけ勾玉まがたまを持っているかもしれない上一条家は関東にある。そこへ行くには、いくつもの山を越えなければならなかった。


「険しい山だよ、アンタみたいな娘っ子一人で峠を越えるのは難しいと思うけど」

 そう言うのも無理ないだろう、女将から見れば十六歳の芙蓉はまだほんの子供、一人旅など無謀に見えるのだろう。


「誰か一緒に越えてくれる旅人が通るまで待ったほうがいいんじゃないかい、あたしが頼んであげるから」

「大丈夫ですよ、あたし山育ちですから」


 一刻も早く黒緋の勾玉を手に入れたい芙蓉、最初の山越えでモタモタしてはいられない。鬼となった芙蓉にとって人間の道連れは足手纏いだ。

「でも、この山は……」

 女将は口ごもった。

「なにか?」


「怖がらせるつもりはないんだけどね、この山は鬼女きじょが出るんだよ、道に迷った男を喰うって噂だ」

 女将は真顔だった。鬼や妖怪は昔話の中の生き物、そんなモノの存在を信じているなんて、きっとこの女将は迷信深いのだろうと芙蓉は思ったが、迷信じゃないことは彼女が一番よく知っている。


「あたしは女だから大丈夫でしょ」

「冗談じゃないんだよ」


 すると奥から出てきた主人が苦笑しながら、

「鬼女なんてものはいないけど、そう言われるほど、この山は険しく危険だと言うことなんだよ、遭難者が相次いでいるのは事実だから」


「心配してくれてありがとうございます、でもあたしは猟師の娘ですから、けもの道も見分けられます、迷ったりしません」

 それに、もし鬼女がいるのなら、会ってみたいと思っていた。


「そうかい、逞しいね」

「でも、気を付けて行くんだよ」

 忠告を聞かずに発つ芙蓉を、茶屋の夫婦は心配そうに見送った。





「腹ごしらえはしなくてよかったの?」

 ずっと横にいたが認識されていない枕小町は、芙蓉と二人きりになったので話しかけた。ほかの人がいるところで会話すれば、芙蓉が独り言を呟く変な奴と思われるので遠慮していたのだ。


「まだお腹空いてないし」

 あの夫婦を食べる気にはなれなかった。鬼とは知らず、本気で心配してくれているように思えたからだ。

 まだ、人の温かさに触れて心地よいと思う気持ちが自分に残っていることが嬉しかった。


「それに食事なら、山の中で出来そうだわ」

 芙蓉はチラリと後方に視線を流した。

 隠れているつもりだろうが、鬼となった芙蓉は気配に敏感だ。


「あんな年寄り夫婦を喰うより、若い男のほうが、精が付くだろうし」

 若い男二人が、芙蓉の後を付けているのに気付いていた。


「ずっとくっついてるでしょ、あたしを手籠めにしようと狙ってるようだわ」

「バカな奴らね、鬼女とも知らないで」

「じき知ることになるわよ、命が尽きる最期の瞬間に」


 芙蓉の目が一瞬、赤く煌めいた。


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