第1話 祝言の夜 その14
「この手で芙蓉を殺さなければならないんだ」
樹は決意を込めた眼を上げた。
「仇討ちか」
「あいつは、里のみんなを殺した、俺の両親、妹も」
皆の遺体を思い出し、憎しみが沸々と湧きあがると、樹の瞳が赤く変化した。
それに気付いた聰賢は、額の護符に手を当てた。
「それではお前もあの娘と同じになってしまうで、憎しみは鬼の汚れた血を増幅させる」
清浄な霊力を持つ聰賢に触れられて、瞳は元に戻ったが、樹の鬼化は時間の問題だった。
樹は深呼吸をしてから、
「芙蓉は殺戮を続けるんだろ、止めなきゃならないんだ」
「芙蓉はいきなり大勢の人間を喰って、かなり力のある鬼になってしもた、同じ鬼でも、人も喰わず人の心を持ったままのお前ではとうてい敵わへん」
「じゃあ、どうすればいい?」
「修行あるのみ、鬼として劣るなら、拙僧のように法力を身につけることや」
二人の話を聞いた紫凰は呆れ顔。
「この男にそんなことが出来ると思ってるのか?」
「やるさ、どんな修行も耐えてみせる!」
強い光が宿る樹の瞳を見て、紫凰は目を細めた。
「面白い、見届けてやるよ、お前がどんな鬼になるか」
「見届けるだけじゃ足らへん、お前さんにも協力してもらうで」
聰賢の発言に、紫凰は鼻にしわを寄せた。
「嫌だよ、あたしは修行なんかに付き合わないんだよ」
いったんそっぽを向いたが、思い直して、
「でも、そうだね、うってつけの奴を紹介してやるよ、あたしより大きいし強いし、ただ、頭は少々弱いけどね」
「なあ、聰賢さん、ここは寺だよな、結界に護られた聖域じゃなかったのか? なんでこんな妖怪がいるんだ? 他にもいるみたいだし」
まだ新たな妖怪が登場する予感に、樹は身震いした。
「拙僧がここを任された時は、すでにいたんや」
すっかり馴染んでいる那由他と紫凰を、聰賢はバツ悪そうに見た。
「あたしはこの寺が創建された時から知ってるんだよ」
「あたしはそのちょっと後」
「この寺を邪悪なモノから護ってやったんだよ」
「いやいや、見物してただけやん」
余計なことを言うなと猫パンチを繰り出す紫凰だが、那由他はまた難なく避けた。
「いろんな妖が出入りするけど、邪なモノや敵意のあるモノは結界に弾かれるし心配ない」
「さて、鬼はどうかな? お前が鬼化した時、寺の結界は受け入れてくれるかな?」
紫凰は意地悪そうな目を樹に向けた。
* * *
「ぎゃあぁぁぁ!」
断末魔の悲鳴を上げる男。
鬼化している芙蓉はその腹を引き裂いて、内臓を引きずり出していた。
まだ息がある男は耐え難い苦痛に喘いで、体は痙攣し、白目を剥いていた。
芙蓉はかまわず、取り出した内臓を食べる。
おぞましい光景に、さすがの羅刹姫も顔を歪めた。
まだ息があり、激痛に苛まれている男の首に糸を放った。
次の瞬間、男の首はスパッと切り落とされた。
「いくら憎き綾小路の退治屋と言っても、生きたまま喰うなんて惨すぎるんじゃないか?」
黙って見ていた枕小町を窘めた。
「お前、コイツを任されたんじゃないの? 食事の作法くらい教えなさいよ、とどめを刺してからって」
「言おうとしたんだけどね、荒ぶってるから、聞きやしない」
「なにがあった?」
「実は……」
枕小町は樹との経緯を簡潔に説明した。
「じゃあもう人に戻る理由は無くなったんだな」
「いいえ」
心臓を食べ終え、芙蓉は人の姿に戻った。
「夫に拒まれて、お前の望みは潰えたんじゃないのか?」
「たっちゃんは……運命の人じゃなかった、ただそれだけのことよ」
「えっ?」
思いがけない芙蓉の言葉に羅刹姫は眉をひそめた。
芙蓉は口元の血を無造作に拭いながら、
「あたしは山奥の小さな村しか知らなかった、男の人は彼しか知らなかったけど、広い世界に出れば大勢の人がいる、きっと運命の人は他にいるのよ」
まだ赤い目を輝かせた。
「運命の人か、お前は夢想家だな」
「夢でも見なきゃ、この先、生きていけないでしょ、でも運命の人に出会うためには、まず人に戻らなきゃ」
「最初の目的とは違うけど、まあ、いいんじゃない」
枕小町は羅刹姫に同意を求めた。
「好きにしな」
「必ず黒緋の勾玉を手に入れるわ、人に戻って、新しい幸せを手に入れるために」
そう言った芙蓉の足元には、無残に食い荒らされた男の無残な屍が横たわっていた。
第1話 祝言の夜 おしまい




