第1話 妖の世界 その8
孤児だった流風が養女に迎えられ、幼少期からハンターとしての訓練を受けたのは、東京の綾小路家分家だった。
霊力の強さと身体能力の高さは生まれつきだった。
生後間もなく引き取られた時にわかるはずもなく、偶然だったが、幸か不幸か、妖怪退治を生業としている綾小路家の家業に最適だった。
そして中学二年の時、今は亡き綾小路家の長老、雫の命令で、京都の本家に呼び寄せられ、そのまま現当主、颯志の元でハンターとして活躍している。
遥は颯志の孫で、将来は当主候補と期待されるほど、頭脳明晰で身体能力も優れていてハンターとして優秀である。ただ、流風ほどの霊力は持ち合わせていなかった。
流風の霊力の強さは、高僧の生まれ変わり所以だった。僧が厳しい修行で得た法力もそのまま受け継いでいるので、特殊な能力を備え持っている。
ゆえにハンターとしては超一流なのだが、孤児で養女の流風は、直径の血筋である遥に対して身分の差を感じ、劣等感を持っていた。
一方の遥は、身分云々は気にもしていなかったが、負けず嫌いなので、狩りの腕では適わない流風に引け目を感じ、憎まれ口を叩いて強がっている。しかし彼女の実力を認めリスペクトしていた。
馬が合わないように見える二人だが、獲物を追い詰める時は抜群のチームワークを発揮するので、よく組んで狩りをしていた。
だが、今日は別行動を取っていた。
「ここでプッツリ途切れてる」
林道から逸れた木々の間、無造作に停められているバスを、流風は訝しげに見上げた。遥からのSOSを受けてここまで来たが、彼の姿はなかった。
「誰も乗ってへんで」
真琴は開けっ放しの乗降口からバスの中を覗き込んだ。
「けど、ハルの臭いは残ってる、このバスに乗ってたんは間違いなさそうや」
真琴は普通の人間の数十倍鼻が利く。
「臭いを辿れない?」
「中だけや、外にはなんの痕跡もない」
「どういうこと?」
流風は顔をしかめた。
「ここから妖世に入ったんや」
声とともに、地面からヌ~っと生えてきた不気味な老婆に、二人はギョッとして身を引いた。
「貉婆!」
姿を現したのは、貉婆と呼ばれる妖怪だった。
結い上げた白髪、皺くちゃの顔に梅干し唇から覗く歯は前歯が一本欠けている、粗末な和服姿の小柄なお婆ちゃん。
「ビックリするやん、どこから湧いて出るんや」
彼女は現世と幽世の間に存在する妖たちの空間、妖世の中を、時間と空間を無視して自由自在に移動できる妖力を持つ妖怪だ。
「ハルは連れ込まれたの?」
流風が心配そうに尋ねた。
「それはマズイな、ハル程度の霊力やったらキツイん違うか」
真琴も同様、不安そうに眉をひそめる。
「それは大丈夫やと思うで、一緒にいた女子がえらい霊力の強い子やったし」
「女と一緒やったんか? 重賢さんに用事頼まれてたん違うかったんか? サボってデートって、エエ度胸やな」
早合点した真琴だったが、流風はハッと思い出した。
「重賢様の用事って、確か悠輪寺に来るって子のお迎えじゃなかった? その女の子なんじゃない?」
「そうか、そんなこと言うたはったな、高校の三年間、知り合いの娘さんを寺で預かることになったって、確か、見える子やて」
「強い霊力を持ってるのよ、きっと」
「ほな、京都に着いていきなり妖怪に拉致されたんか? ハルがついてて情けないな」
「なんのためのお迎えやら」
「不運やったな、けど、一緒にいるからって、ハルには関係ないやろ」
「相性がエエと影響を受けるしな」
貉婆の言葉に、真琴は眉をひそめた。
「ハルの霊力も増すってこと? そんな話、聞いたことないけど」
「いいや、あるで」
貉婆は得意げにニヤリとした。
「で、アンタは全部見てたんやな」
真琴は責めるように貉婆をジロリと睨んだ。
「偶然やけどな」
貉婆は白々しく目を逸らした。
「綾小路のハンターが拉致されるの目撃したのに、なんで連絡してくれへんの」
「今してるやん」
「遅いやん」
貉婆は小難しい顔をしながら腕組みした。
「そうかもな、もう喰われてるかもな」
「まだ死んでへん」
真琴はすかさず言った。
「なんでわかる」
「真琴の勘はよく当たる」
流風が口をはさんだ。
「勘かいっ」
「追えへんか?」
尋ねる真琴に貉婆は勿体つけるように口の端を上げた。
「まあ、案内してやってもエエけど、相手は大物やで、お前らとて命の保証は出来ひんで」
「犯人を知ってるんか?」
「連れ去ったのは鬼、けっこう長生きしてる力の強い奴や、その先で待ってるのはおそらく、さらに長寿の吸血鬼や」
「吸血鬼、冴夜か?」
真琴は嫌悪感露にする、流風も表情を険しくした。
「知り合いか?」
「ちょっとな」
「あの女、最近、うちの近くにデカい屋敷をこさえよってな、無理やりやし、空間に歪みが出て難儀してるんや、追い払ってくれるんやったら、連れて行ってもエエで」
「貉婆の家って、妖世にあるんじゃ」
「そうや、あの女、今回は妖世に居を構えよったんや」
「それでか!」
「見つけられないはず」
流風と真琴は顔を見合わせた。
「考えよったな、現世の薔薇屋敷をあたしらに壊されたし、簡単に入れへん妖世に造るとはな」
「空間密閉できるさかい、見つかったら屋敷ごと移転させられるしな」
「そんなことができるなんて、さらに妖力を増してるんか」
「どれだけの人間の生き血を吸ったんやろなぁ、うらやましいわ」
舌なめずりした貉婆を見て、真琴は不快そうに眉をしかめた。
「おいっ」
「追い払うどころか、キッチリとカタ着けるわ」
流風は決意を新たに、瞳を輝かせた。
流風が京都に来た経緯は、『金色の絨毯敷きつめられる頃』の『第2章 霞』を読んでいただけると幸いです。