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黒緋の勾玉が血に染まるとき  作者: 弍口 いく
第2章 鬼の記憶

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第1話 祝言の夜 その11

 低く垂れこめた雲がどんよりと空を覆い、陽の光は届かない、夕暮れ時のように薄暗い朝だった。まるで芙蓉ふようの心中を現しているかのようだった。


 たつきのことだけが気がかりだった。

(彼は新居で爆睡していた、あの時、寺にはいなかったはずだわ、きっと朝になってあたしがいないことに気付いて、捜したでしょう。そして寺に来て、惨状を見たはずだわ。なにが起きたかわからず、衝撃を受けたはず。まだあたしを捜しているかしら?)


 山を下りる前に、芙蓉はもう一度、村へ戻った。

 自分が仕出かしたことを確認して、戒めにしようと思ったからだ。芙蓉はまだ知らなかった、鬼になった自分に、戒めなど通用しないことを……。


 寺の戸は開け放たれたままだった。

 芙蓉は一瞬足を止めた。

 この中に、村人の遺体がある。


(あたしが、みんなを殺した……)

 見たくない、でも、見なければならないんだと、芙蓉は足を踏み入れた。


 しかし、そこには何もなかった。

 誰もいなかった。

 乾いた血痕が残っているだけだった。


「え……」

 芙蓉は困惑した。

(嘘だったの? 鬼になったあたしがみんなを殺したなんて、作り話だったの? でも、この血の跡は……)


「芙蓉!」

 その時、彼女を呼んだ声は、聴きなれた声。

 振り向くと、樹の姿があった。

 目に涙を浮かべながらこちらを見ていた。

「たっちゃん……」


 樹は駆け寄り、勢いのまま芙蓉を抱きしめた。

「よかった、生きていたんだな」

 樹の胸に顔をうずめた芙蓉は、初夜のことを思い返した。

 彼の胸、彼の匂い、優しい声が心地よく響く。

 しかし、抱きしめられる資格はない。


「苦しいよ、たっちゃん」

「あ、ごめん、つい」

 手を緩めて芙蓉を見下ろした樹の顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。


「みんながあんなことになって、お前も殺されたかと……心配したんだ」

「あたしは」

「よく無事で、よく逃げられたな」


「覚えてないの、無我夢中で」

 それは本当だった。鬼になっていた時のハッキリした記憶はなかった。枕小町に返してもらったぼんやしりした悪夢だけだった。

「無理もない、気が動転したんだな、俺だってまだ信じられないよ、鬼なんてものがこの世に存在するなんて思いもよらなかったし」


「鬼……」

 樹が犯人は鬼だと知っていることが、芙蓉は意外だった。

「お前も見たんだろ、村の人たちを皆殺しにした黒い獣の正体、あれは鬼なんだ、父さんも母さんも、紬もみんなあの鬼に……」

 樹は庭の盛り土に視線を流した。


「これは?」

「村の人たちを埋葬したんだ」

「たっちゃん一人で?」

「俺じゃない、通りかかったお坊さんが埋葬してくれたんだ、俺が鬼に襲われて気を失っている間に」


「えっ? たっちゃんも、あの場にいたの?」

「ああ、お前が逃げた後だったのか、お前はいなかったけど、もしかして行き違いになったのかも、家に戻っても俺はいなかっただろ」

 芙蓉はハッとして、背筋に冷たいものが走った。


 その瞬間、芙蓉の脳裏にあの時の記憶がハッキリ蘇った。

 黒い剛毛に覆われた肩に当たった斧。

 斧を振り下ろした者の顔。

 殺気だった眼。

 それは……。

 怒りに任せて斧を握る手に嚙みついた自分。


「ここは危険だ、まだ鬼がうろついてるかも知れないし、早く山から下りたほうがいい」

「たっちゃんも、鬼に噛まれた……」

 芙蓉は愕然としながら樹を見た。

 樹はその視線から逃れるように目を伏せた。


「そうだ、だから俺は……」

 樹の右手は、聰賢そうけんが巻いてくれた晒の先が無くなっている。

「鬼に噛まれて命が助かった者は、鬼の血に汚されて鬼になるらしい、そのお坊さん、聰賢さんが教えてくれた、信じられない話だろうけど……」

 樹は青ざめて震えている芙蓉の頬に優しく左手を当てた。


「ゴメンな、一緒には行けない、もうお前とは一緒にいられない」

「たっちゃん……」

 芙蓉の目からも涙が零れた。

 震える手で、無くなった樹の右手に触れた。


「お前は、嫁に行った姉ちゃんのところへ行け、面倒見てくれるだろう、俺との祝言はなかったことにすればいい、お前は新しい誰かと新しい人生を歩めばいい、そうしてくれ、俺のことは忘れて」

 樹は右手に触れている芙蓉の手を押し戻した。


「鬼になったら俺は村の人たちの仇を討つ、あの時の鬼を捜し出して、必ず。仇を討ったら聰賢さんに成敗してもらうことになっているんだ、鬼のまま生きてはいけないからな」


 芙蓉は俯いたまま、独り言のように言葉を発した。

「鬼に噛まれた者は鬼になる、知ってるわ、だって、この身で経験済みだもの」


「えっ?」

 芙蓉の言葉がすぐには理解できず、樹は一瞬、キョトンとしたが、

「まさか! お前も噛まれたのか!」

「そう、あたしも噛まれた、祝言の日の三日前に」

「え……」

 ますます混乱した。


「そして、あの夜、鬼になったの」

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