第1話 祝言の夜 その9
「馬鹿なこと言うなよ! なんで芙蓉が!」
那由他の言葉に樹は憤慨した。
「だってここで暴れた鬼は、あたしらが追ってきた鬼とは別やもん」
那由他は悪びれた様子もなく言った。
「鬼を追って来たのか?」
「五日ほど前、綾小路の退治屋が仕留めそこなった鬼が、この山に逃げ込んだと聞いて、加勢しに来たんや、手負いの鬼が山里を襲うのは目に見えてたしな」
「じゃあ、その鬼が犯人なんじゃないのか?」
「臭いが違うんや」
「那由他は鼻が利くんや」
聰賢が補足した。
「なりたての鬼や、まだ人の臭いも混じってるし、そやし、あんたの女房違うかなと思てんけど」
「それはない! あの夜、芙蓉は俺と一緒に寝ていたんだ、きっと俺より先に騒ぎに気付いて様子を見に行ったんだよ」
「村の仲間を見殺しにして逃げたん? 新婚の夫も置いて」
「それは……」
那由他の言うことも一理あるが、
「でも、人が鬼になるはずないじゃないか」
「知らんのか? 鬼に噛まれて命が助かった人間は、やがて毒に冒され鬼になるんやで、アンタの女房、それ以前に怪我とかしてへんかったか?」
「え……」
樹は芙蓉が手に包帯を巻いていたことを思い出した。
「あれは折れた枝に引っ掻けたって」
しかし、傷は見せてもらえなかった、隠しているようでもあったことに思い至り、樹は青ざめた。
「そんで、アンタもな」
「え……」
鬼に食いちぎられて無くなった右手を、左手で押さえた。
那由他の言葉は信じられずに、樹は聰賢に救いを求める目を向けた。
聰賢は抑揚のない声で答えた。
「那由他の言う通りや、七日のうちに毒が回り、お前さんは鬼となる」
「そんな……」
樹は愕然とした。
「俺もあんなケダモノになるのか?」
樹は晒が巻かれた右腕を、左手でギュッと握りしめた。
「鬼に噛まれた者は、必ず鬼になると言うんですか?」
樹は信じられないと言った表情で聰賢を見た。
「そうや、自我をなくして殺戮を繰り返すやろう」
「それが本当なら、わかってて俺を助けたんですか!」
怒りに震えながら聰賢に掴みかかった。
「まだ人間のお前を殺めるわけにはいかへん」
「じゃあ、鬼になったら殺すのか」
「自ら命を絶つのなら今しかないぞ、鬼になってからでは自害できひんしな、鬼を殺す方法は心臓を潰すことだけ、自分の心臓を取り出して潰すなんて不可能やし」
聰賢の言葉は冷ややかで、樹は見捨てられたように感じた。
「自害しろって? お坊さんの言葉とは思えない」
しかし、聰賢の肩がわずかに震えているのに気付き、彼の苦悩が垣間見えた。
「あなたは鬼を追ってきたと言ってましたよね、あんな化け物を退治できるくらい、強いってことですよね」
「修行を積んできたしな、それなりの力はあるつもりや」
「それにあたしが付いてるし」
那由他は自慢げに付け加えた。
「お前も強いのか?」
「まさか、あたしは戦えへん、ただ、逃げるのが超得意なだけ、聰賢が危ななったら、連れて逃げる」
「なんだよ、それ」
「命あっての物種やしな」
樹はフッと苦笑を漏らした。
「確かにそうだな」
そして、聰賢に決意を込めた目を向けた。
「俺が鬼になってから殺してください。ただし、少し時をもらえませんか? 芙蓉が戻るのを待って無事を確認したい。そして、家族を村の人たちを殺した鬼を見つけ出して仇を討つ、それまで」
「それは無理やで、鬼化がはじまったら人の心は無くなるし、女房のことも、仇討ちのことも、きれいさっぱり忘れてしまうで」
すかさず那由他が言った。
「そう、なのか」
最期の望みを絶たれた樹はガックリと首をうなだれた。
「俺はただ、無駄に死んでいくしかないのか」
「拙僧の飼い鬼になるか?」