第1話 妖の世界 その7
門をくぐると大輪の真っ赤な薔薇たちが出迎える。こんな場所には不似合いな薔薇園、花びらが露に濡れて煌めいていた。
門の脇に立っていた人物を見て、遥は思わず声を上げた。
「省吾さん!」
四十がらみのその男は、行方不明になっている綾小路のベテランハンターだった。彼も遥を見て眉を上げた。
「ハル、お前も捕まったのか」
「省吾さん、無事でよかった」
遥は思わず駆け寄った。
幼い頃、訓練の相手をしてもらった先輩ハンターで、とても可愛がってもらった。ここにいるということは囚われの身なのだろうが、怪我はないようなので遥はホッとした。
しかし省吾の目は凍てついていた。
「無事、とは言えないかな」
そして口を大きく開けて長く伸びた牙を見せた。
「え……」
驚きのあまり言葉が出ず、ただ二、三歩後退する遥。
「その男は選んだのよ」
芙蓉が冷ややかに言った。
「最後の一滴まで血を吸われて死ぬか、冴夜の情けを受けて下僕となり、生き延びるか」
「なんで……」
「なんでだろうな」
信じられないといった目を向ける遥から、省吾は視線をそらした。
「死ぬのが怖かった、それだけだ」
「人はそうそう正義のために死ねないのよ」
嘲るように言う芙蓉に、
「そんないい方したら、冴夜が悪みたいじゃない」
枕小町は突っ込んだ。
「獲物を引き取る」
省吾は力なく言った。
芙蓉が合図すると、乗客たちは省吾の後に続いた。
省吾はふと遥に振り返り、
「お前はどちらを選ぶのかな」
呟くと、乗客の先頭に立ち、薔薇園の中に進んだ。
まだ青ざめたま言葉も出ない遥に、
「誇り高き綾小路のハンターの惨めな末路ね」
挑発するような芙蓉の言葉に堪りかね、遥は拳を上げそうになるが、仁南が飛びついて押さえた。
それを見てさらに芙蓉は意地悪く続けた。
「お前は今すぐ死にたいの? その子を残して。恋人じゃないとしても一緒にいたんだから、ハンターなら本来は護るべき対象よね、今は逆のようだけど」
嘲笑う芙蓉に、なにも言い返せない遥は奥歯を噛みしめた。
「綺麗な顔して、意地悪なのね」
仁南の言葉に、
「綾小路の退治屋には、まだ鬼になりたてで非力だったころ、何度も殺されかけたのよ、嫌みの一つくらい言ってもいいでしょ」
芙蓉はそう返した。
「綾小路家って、そんな昔から妖怪退治をしてるの?」
「千年以上前、平安時代からと聞いている」
これには遥が答えた。
「すごーい、由緒正しいお家柄なのね」
「そこ、感心するとこか?」
「ほんと、お前って……」
無邪気な仁南を見て、芙蓉はまた微笑んだ。
薔薇園を抜けて奥、到着した平屋の日本家屋は新築で立派な佇まいだった。
奥の部屋にいた屋敷の女主人、本郷冴夜は、真珠の肌に切れ長の目、結い上げた黒髪が艶やかな、気品ある三十歳くらいの和服美人だ。
先に省吾が連れて行った乗客を、さっそく味見していた。
真っ赤な唇からはみ出した鋭い牙を乗客の首筋に食い込ませる。催眠状態のままの二十代半ばのOL風女性の顔から血の気が引いていくが、彼女は今、自分になにが起きているのか把握していないだろう。意識がないまま、最期を迎えるのだ。
「キャッ!」
おぞましい光景に悲鳴を上げる仁南は、おそらく一生のトラウマになるだろうと確信した。
その悲鳴に気づいた冴夜が口元を血で汚しながら顔を上げた。