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黒緋の勾玉が血に染まるとき  作者: 弍口 いく
第2章 鬼の記憶
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第1話 祝言の夜 その2 

 幼い頃は兄妹のようにいつも一緒にいた。お互いを思いやり、寄り添いながら育った。それがいつの頃からだったろう、異性として意識しだしたのは、そうして芽生えた恋心は愛に変わり、生涯を共にしたいと思うようになるのに時間はかからなかった。


 寺で続く主役無しの宴会。

 誰かが大声で歌っている。

 先に寝た子供たちが起きるんじゃないかと心配するような酷い歌声。

 そんな喧騒もたつき芙蓉ふようの耳にはもう届いていなかった。


 二人は体を重ねあい、本当の夫婦になった。





 どのくらい眠っていたのだろう。

 けたたましい悲鳴に樹は飛び起きた。

「なんだ?」


 ふと横を見ると、さっきままで寝ていたはずの芙蓉がいない。

「芙蓉!」

 布団を跳ね除け、樹は寝所を飛び出した。


 夜明け前の空はまだ闇に沈んだまま、山肌だけが微かに白んでいた。

 悲鳴は寺から聞こえるが、こんな時間まで宴会が続いているとは思えないし、狂喜の雄叫びでないことは確かだ。


 不安に心臓が早鐘を討つ。

(なにが起きたんだ!)

 樹は不吉な予感に恐れながら寺に駆け込んだ。


 入ったとたん、樹は凍り付いた。


 そこには体長2メートルは超える真っ黒い獣がいた。

 一瞬、熊かと思ったが、違った。


 黒い体毛はゴワゴワしていて艶もなく使い古した箒のようだ、口元からはみ出す黄ばんだ鋭い牙、唾液が口角からだらしなく漏れて醜悪さを際立たせる。赤い目はよどんだ鈍い光を放っていた。


 見たこともない獣に恐れおののく樹、と同時に、室内の惨事に戦慄した。

 血の海、その表現がピッタリだった。

 真っ赤な床の上に横たわる村人たち、男はもちろん女、子供も全員の無残な屍となって転がっていた。


 脳内の処理が追い付かない。

 これはどういう状況なのか、得体の知れない獣の仕業だとは想像がつく、しかし、こんなことが! 酔っぱらっていたとはいえ屈強な男もいる、樹の父も芙蓉の父も腕ききの狩人だ、それが全滅? 抵抗する間もなく殺られたと言うのか?

 樹がそんなことを考えたのは数秒のことだった。


 まだ幼い妹の姿を見つけた樹は駆け寄った。

(つむぎ!)

 抱き上げた小さな体はまだ温かかった。

 胸にえぐられた痕、心臓が無くなっているのがうかがえた。


〝鬼〟

 文字が頭に浮かんだのはそれを見た時だった。

 昔話の中でしか知らない架空の生き物のはず、しかし、目の前にいるのは……、今、心臓をえぐり取って食っているあの獣は……。


(鬼!)


(逃げなければ!

 敵う訳ない、殺される!

 鬼が喰うのに夢中でまだ自分に気付いていないうち!)


(でも、芙蓉は!)


 見渡す限り、屍の中に芙蓉はいない。

(逃げたか? それはない、俺を置いて一人で逃げるはずは)


 その時、樹は、黒い獣の肩に引っかかっている着物に気付く。

 血に染まってはいるが、それは高砂で芙蓉が着ていた白無垢。


 全身の毛が逆立つような怒りがこみ上げた。

「貴様ぁ! よくも芙蓉を!」

 忿怒に我を忘れた樹は、近くに落ちていた斧、おそらく誰かがあの獣に立ち向かって落としたものだろう、それを手に鬼に向かって行った。


 鬼の背後から飛び掛かり、力いっぱいに斧を振り下ろした。

 斧は鬼の肩に当たるが、固い皮膚は刃を寄せ付けず、深くは刺さらなかった。


 鬼は振り返ってギロリと樹を睨みつけた。

 次の瞬間、斧を肩に突き立てたままの樹の腕に牙を剥いた。


 ひと噛みで、樹の腕は食いちぎられた。

 斧を持った手は血だまりの床にポトリと落ち、樹の体は弾かれて転がった。


「うあぁぁぁ!」

 一瞬遅れて痛みが襲ってくる。

 無くなった右手を見て樹は悲鳴を上げた。

 傷口から血が噴き出している。

 もう、どこが痛いのかさえわからない激痛に、樹はのたうち待った。


 そんな樹を鬼はよどんだ赤い目で見下ろしていた。


(俺はこのまま死ぬのか。

 もっと一緒にいたかった。

 芙蓉……。

 お前との未来がはじまったばかりだったのに。

 こんな形で終るなんて。

 俺たちがなにをしたって言うんだ。

 神も仏もありゃしないって、このことなんだ)


 薄れゆく意識の中、かすれていく視界の中で、芙蓉の顔が浮かんだ。

(ああ、美しい……。

 もっと見ていたかった)


 瞼が閉じ、真っ暗になると同時に、樹の意識は途切れた。


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