第5話 イヴの夕暮れ その13
その年は厳冬だった。雪は降っていないものの、気温はかなり低く、陽が傾く時刻には底冷えした。
そんな、吐く息が白いクリスマスイブの夕方。
祖母、舞華の里帰りの折りに、悠輪寺へ一緒に来ていた六歳の仁南は、重賢と舞華が昔話に花を咲かせている間、退屈だったので寺内の探検に出た。
本堂は大きな銀杏の木々に囲まれていた。
葉が落ちて裸になった木は寒そうに夕暮れの空へ枝先を伸ばしていた。
様々な形をした枝を見上げながら、本堂の裏側まで来たとき、ずっと見上げていた首が痛くなり、仁南は木の根元に座り込んだ。
その時、仁南は本堂の周りに廻らされている幅3メートルくらいのお堀から、ピチャピチャと水音がするのに気付いた。
そちら目をやった時、お堀からヌ~ッと顔を出した緑色の生物と目が合った。
「きゃっ!」
思わず小さな悲鳴を上げて身を縮めた。
それは、どう見ても河童だったから。
こっちに来たらどうしよう、逃げなきゃ! と思ったものの、腰が抜けて動けない。仁南は恐怖に震えながら頭を抱え込んだ。
そんな仁南と河童の間に、割って入る人物が現れた。
「脅かしたらアカンやろ」
河童は何も言わずにお堀に沈んだ。
「大丈夫?」
鈴の音のような声に顔を上げると、仁南と同じくらいの年頃、女の子と見間違えるような、中性的な少年が見下ろしていた。
茶色っぽいサラサラヘヤーが眉にかかり、二重の綺麗な目、潤んだ瞳に長いまつ毛、スッと通った鼻筋に形の良い唇の、天使が舞い降りたかと思うような、当時の遥はそんな美しい子供だった。
「怖がらせるつもりやなかったと思うで、見えてるとは思わへんかったやろ」
「あれって……」
「河童や、普通の人には見えへんはずやねんけど、お前、妖が見えるんやな」
「え……」
仁南は急に目頭が熱くなった。
自分と同じように、妖怪が見える人がいたことに、胸がいっぱいになった。でも、この少年は本当に人間なのだろうか? という疑惑も生まれた。
「あなたも見えるの?」
「ああ、見えるで」
仁南の頬に涙が伝ったのを見て、遥は驚き、狼狽えた。
「なんで泣くねん」
「だって、今まで妖怪や幽霊が見えるのはあたしだけだったんだもん、あたしは変なんだ、普通の人とは違うんだって思ってた。いつも怖くて、辛くて苦しくて……」
肩を震わせ号泣しだした仁南の横に、遥は腰を下ろした。
「怖がることなんかない、見えるって言うんは、特別な力なんやで」
「特別?」
「綺麗な目ぇしてるな、その右目」
遥は涙に濡れた仁南の右目に気付いて覗き込んだ。
「宝石みたいや」
霊力が強かった遥は、仁南の右目に隠されている〝なにか〟に気付いた。
真っ正面から遥の綺麗な顔を見た仁南は、
「天使……なの?」
思わず呟いた。
遥は答えずに悪戯っぽく笑った。
「知ってるか? 天使に逢うと幸せになれるって」
「ほんと?」
そう言って遥は、仁南の頭にポンと手を置いた。
* * *
二人は庫裡には戻らず、本堂の裏まで来ていた。
「不思議だよな、まだ幼稚園の時の出来事、それも数分の事だったのに、鮮明に覚えてる、あの時は名前も聞かずに別れたけど、きっとまた会える気がしてた」
「あれ? あの時は関西弁だったような」
「そうだよ、元々はそうさ、でも関東出身のママと二人きりでロスへ行って、3年間でママの喋りがうつったんだよ」
本堂は焼失して新しくなっていたが、銀杏の木は炎から逃れて残っていた。
湛えた緑の葉を揺らして、二人の再会を喜んでいるようだった。
「あたしだってわかったのに、なんで今まで黙ってたの?」
「まさかお前が覚えてるなんて思ってなかったし、お前だって言わなかったじゃないか」
「あたしは……ハル君だったって確信したのは最近よ、だって、それまでは本当に天使に逢ったって信じてたんだもん」
「その頃から妄想癖があったのか」
「そうよ、だって他の人には見えていないモノ、妖怪や幽霊が見えるって、毎日が恐怖の連続だったのよ、だから妄想することで見ないようにしてたの、現実逃避することで正気を保ってたのはその頃からよ、だから妄想の中のあなたは、今もあたしの天使よ」
「もう人間だったってわかっただろ」
「でもやっぱり天使よ、あたしの心を闇の中から救い出してくれたんだもん」
「俺はなにもしてないけど」
「あの時、あなたに会っていなければ、あたしきっと気が変になってたと思う、妖が見えるのは特別な力だって言ってくれたし」
「天使どころか、俺はお前を利用してるズルい奴なんだぞ、お前の傍にいれは強い霊力の影響を受けて俺の霊力も研ぎ澄まされるから」
「わかってる、いっそ、こんな力、全部あげたいくらいだわ、こんな力、あたしにとっては呪いでしかないんだから」
「皮肉なもんだな、力を欲する者のところには宿らず、不要だと思ってる者が、そんな大きな力を持っているんだもんな」
遥は寂しそうに目を伏せた。
「俺にくれよ、俺には必要なんだ、翠姉さんの仇を討つために」
遥は銀杏の木にもたれかかり、ずり落ちるように座り込んだ。
肩を震わせる遥の横に、仁南も座った。
九年前と同じように、二人は銀杏の木の根元に並んだ。
「あの時、標的は鬼じゃなかった、簡単な狩りだと聞いていたのに、運悪く、鬼に出くわしたんだ」