第5話 イヴの夕暮れ その12
「仁南! 大丈夫なん?」
昼休み、仁南のクラスに弥生が訪ねてきた。
「入院してたんやて、知ってたらお見舞い行ったのに」
あの日、仁南は珠蓮に病院へ担ぎ込まれた。そして、説明のいらない円医師の迅速な処置で事なきを得た。しかしそのまま三日間の入院を余儀なくされた。
「ただの貧血なのよ、入院は念のための検査で、結果、なんともなかったし」
「だいたい仁南は瘦せすぎなんや、そや、今度パンケーキ食べに行こ、美味しいお店見つけてん」
パンケーキで貧血の改善になるとは思えなかったが、同い年の友達に誘われるなんて久しぶりだったので嬉しくなった。
「ええ、連れてって」
入院中、見舞ってくれた真琴や重賢は、霞から事の次第を聞いたようで、あの時、真面目に授業を受けたばかりに、駆け付けられなかった真琴は、ベッドに横たわる仁南を見て後悔した。
「そうそう、仁南が休んでる間に事件があってんで」
弥生は唐突に話題を変えた。
「事件?」
仁南のほうは命にかかわる大事件に巻き込まれていたのだが……。
「仁南にもちょっと関係ある人のこと、天野先輩」
その名前を聞いて仁南はギクッとした。
「天野先輩一家四人が失踪したんやて、家はもぬけの殻、なんでもお父さんの会社が借金抱えて倒産したし、夜逃げ違うかって噂」
倒産は偶然だったのだろうか? と仁南は首をひねった。しかし、天野一家全員が犠牲になったのかと思うと胸が痛んだ。
「図書室で会った時はそんな素振り、微塵もなかったのにな」
あの時はもう、天野圭一ではなかった。天野に化けた妖怪だったのだが、仁南には見破れなかった。
「で、いつ行く? パンケーキ」
「いつでもいいよ」
「でも、綾小路君にお伺い立てなあかんやろ? いつも一緒に帰ってるやん」
「……そうね」
遥とはあの日以来、会っていなかった。病院にも来なかったし、今朝も迎えに来なかった。
真琴から、ひどく落ち込んでいると聞いていたので、今は顔を合わせないほうがいいのかも知れないと思っていたが……。
放課後、遥はいつものように、正面玄関で待っていた。
「送ってく」
目を合わさずにそう言った。
なんか怒っているようなよそよそしい態度に、仁南は気まずさを感じながら、遥の後ろに続いた。
「もう大丈夫なのか?」
遥は振り向きもせずぶっきらぼうに言った。
「ええ、すっかり、ハル君のお母さんが診てくれたのよ、ハル君は?」
「ああ、傷跡さえ残ってない」
「皐さんも無事だったのよね」
「ああ、霞が毒で記憶を消したから、なにも覚えてないよ」
「そんなことが出来るの」
それ以上話が続かず、沈黙のまま、仁南は遥の背中を見ながら歩いた。
いつもより長く感じた道のり。
やっと悠輪寺に到着し、門をくぐると遥が口を開いた。
「ありがとな、助けてくれて」
「えっと、助けたのは芙」
芙蓉の名前は聞きたくないだろうと思い出した仁南は言いかけて詰まった。
遥は目を伏せながら、
「全部、聞こえてた」
「え……聞いてたの?」
「ああ、ずっと意識はあったんだ、体は動かせなかったし、目も開けられなかったけど全部聞こえてた。かっこ悪いよな、助けに行って反対に助けられてるんだから」
「そんなことない、来てくれて嬉しかったのよ」
遥は振り返って仁南を見つめた。と言うより、彼女の右目を凝視した。
「黒緋の勾玉、それが右目の悪魔の正体だったんだな」
「ええ、そんなモノだったなんて」
遥に見つめられた仁南はいたたまれなくなって顔を背けた。
「重賢さんも伝説としては知ってたんだって、だから合点がいったっておっしゃってた。妖怪に餌として狙われるあたしがこの年まで生きて来れたのは、無意識に黒緋の勾玉を使ってたからだろうって、そう言われれば思い当たることもあるわ、よく貧血でぶっ倒れてたし」
「霞も無闇に使うと命を縮めるって言ってたろ、だから使わないように鱗の加護をくれたんだろ」
「あれで助かったわ、蝦蟇たちはすぐには手を出せなかったし、でも結局、右目を使ってしまったわ、お母さんも巫女の末裔だから、同じようなことがあって使い方を知っていたのかも、だからあたしが身を護れるように勾玉を授けてくれたんだわ」
「じゃあ、自分のためだけにしとけよ、俺なんかのために使うなよ、俺のために命をかけるなんてバカだ、俺のせいでお前が死んでたらと思うと……」
「大丈夫よ、あたしは知らないうちに何度も右目の悪魔を使ってたみたいだけど、死んでないし」
「でも二度と使うな! 芙蓉は呪われた石だと言ってただろ」
急に声を荒げた遥に、仁南はビクッと身を竦めた。
「そうだとしても、呪われてるのはあたしだから、天使は呪われないわ」
「天使? なんだよ、それ」
「あ、こっちの話、気にしないで」
遥はまた覗き込むように仁南を見つめた。
「お前……、もしかして、覚えてるのか?」
「えっ?」
「九年前のクリスマスイブ、俺を天使と間違えた女の子がいた」