第5話 イヴの夕暮れ その10
致命傷だ。
仁南は戦慄した。素人でも、遥が命に関わる傷を負ったことがわかった。
「逃げろ……」
遥は仁南の肩越しに、蝦蟇が再び斧を振り上げているのを見た。
仁南は遥を庇うように覆いかぶさった。
「嫌!」
その時、蝦蟇の胴体が真っ二つに裂けた。
その向こうに、真っ黒い剛毛で覆われた大きな体、鋭い牙と爪、赤い目を煌めかせる鬼がいた。
鬼は濁った赤い目を二人に向けた。
その姿を見た遥はハッとした。
「お、お前は!」
それは以前に見た鬼に間違いなかったからだ。
起き上がろうとするが、激痛が走り、一瞬ビクッと動いただけで、大量出血した体にそんな力は残っていなかった。
<鬼が来た!>
<なぜ人間とともに?>
<一郎、二郎、三郎、四郎も殺られたぞ>
残った蝦蟇たちは後退をはじめていた。
芙蓉は人間の姿に戻り、二人を見下ろした。
「お前が、あの時の鬼だったなんて……」
そう言った遥の顔はもはや血の気はなく、全身から力が抜けて、フッと目を閉じた。
「ハル君!」
気を失った遥を仁南はギュッと抱きしめた。
両手は遥が流した血でいっぱいになり、しっかり抱きしめなければ滑ってしまいそうだった。
「この出血量、助からないな」
仁南は芙蓉をキッと睨み上げた。
「なぜあなたがここへ?」
「こいつがお前を助けたいと言ったから連れて来てやったのよ、その通りになったでしょ、お前が殺されてたところだった」
「ダメよ、ハル君が死んだらあたし」
遥を抱きしめる仁南の右目が充血した。
「鬼にはわからない感情……か」
二人を見て、芙蓉は遥の言葉を思い出した。
「死なせないわ!」
仁南の右目から涙のように血が零れる。
「それにしても、そんなところにあったなんて……、あの時、冴夜は一目でそれに気付いたのね」
芙蓉は仁南の右目を凝視した。
「なんのこと?」
「遥が死んだら、お前は幸せになれないのか?」
芙蓉が言っている意味を理解する余裕はなかったが、芙蓉にそう言われて仁南は右目から零れた血が滴り落ちる遥の顔を見ながら思った。
(ハル君が死んだら、あたしを庇って死んだら、一生自分を許せない!)
遥を抱きしめる仁南は、自分の指先が冷たくなっていくのを感じていた。
急速に青ざめていく仁南に気付いた芙蓉は、
「もういいだろ、これ以上、勾玉に血を吸わせたら、お前の身体が持たない」
遥から引き離そうと腕を掴んだ。
「勾玉?」
仁南は顔を上げた、その右目からは血が溢れて黒目も白目も見えなくなっていた。
「お前はなにも知らずに使ってるの?」
「あなたはなにを知ってるの!」
仁南は掴まれた手を振りほどきながら左目だけで芙蓉にキツイ視線を向けた。
「お前の右目に宿っているのは、黒緋の勾玉という呪われた石よ。それはどんな願いも叶えてくれる、でも、その対価として願をかけた者の生き血を支払わなければならないのよ。お前は今、瀕死の遥を救いたいと願ったんでしょ、なら、お前自身が瀕死になるほどの血を吸い取られるのよ、下手したらお前が死ぬことになるのよ」
「右目の悪魔の正体が、そんなものだったなんて……」
やっと知ることが出来た右目の悪魔の正体に、仁南は愕然とした。
目の前が薄暗くなり、仁南は酷い眩暈に襲われた。
それは勾玉に血を吸われ続けていたからだった。
「十五年前のあの時、お前は死の淵にいた、普通なら助からなかったでしょう、母親の強い願いと生き血によって助けられたのよ」
芙蓉が言った。
「十五年前? 事故を目撃したって言ってたわね」
仁南は眉をひそめた。
「上一条家の巫女の末裔であるお前の母親が、あたしが探しているモノを持っていると思ったから捜していたのよ、その矢先の事故だった」
話をしている間にも仁南の顔はどんどん青ざめ、意識も朦朧としてきた。
「やはり母親が持っていたのね、自分の命よりお前の命を望んだ結果、どういう仕組みかはわからないけど、勾玉は胎児のお前の中に、右目に宿ったんでしょう」
「じゃあ、お母さんはあたしが助かることを願ったからあたしの代わりに死んだの?」
「それはわからない、母親も酷い怪我だったから、どのみち助からなかったかも知れないし」
仁南はフッと意識を失いそうになった。
それを見た芙蓉は、無理やり遥から仁南を引き離して、地面に横たえた。
「もういい」
「ダメ……、あたしの命より、ハル君……を」
「遥はもう大丈夫、黒緋の勾玉はお前の願いを叶えたわ」