第5話 イヴの夕暮れ その9
<この印しは!>
<白い大蛇の鱗だ>
仁南を仮の住処に連れてきた蝦蟇兄弟は、みんなで喰おうと囲んだが、手首に霞の鱗を見つけて狼狽えていた。
<大蛇の加護を受けている>
<喰えないぞ>
<どうする?>
<どうしよう>
そこは洞窟のような空間だった。
ゴツゴツした岩に囲まれた薄暗い場所に仁南は座らされていた。猿轡を噛まされていて声は出せない。
そして、圭一に化けた一郎が仁南を見下ろしていた。
しかし、圭一の姿をしているものの、それが人間でないことが仁南にはわかった。
圭一はすでに妖怪に喰われてしまっていた、あの時、自分に近付いたのはやはり妖怪だったのだ。そしてこれから自分を喰おうとしているのだとわかり、背筋が冷たくなった。
仁南は左手首に目をやった。
霞がつけた鱗の印。
(これがあたしを護ってくれているのね)
だが、それがわかったところで、ここから逃げる方法まではわからない。
少し離れたところに皐が横たわっていた。
(彼女はまだ生きているのかしら? それなら助けなければ! 早く来て、ハル君!)
仁南は黒い穴に落ちる瞬間、ハルの姿を見たことを思い出して、必ず、彼が助けに来てくれると信じていたが、もはや、ウイ○チェスター兄弟が登場するなどという妄想は浮かばない、今、自分を取り囲んでいる妖怪は、吸血鬼や妖狐とは異質、話が出来ないのだ、時間稼ぎが出来ない。
<白蛇神の加護をなんとかしなければ>
<そうだ、腕を切ってしまえ>
<そうだ、そうだ、切ってしまおう>
<切れば加護もなくなるだろう>
彼らがなにを話しているのか、仁南は不思議と理解できていた。
(腕を切り落とされて、殺される! こんなところで一人で死ぬなんて!)
<これでいいだろう、一郎兄>
二郎がどこからか斧を持ってきた。
もう擬態する必要はないので、全員が蝦蟇の姿に戻っていた。
十一匹の蝦蟇が仁南を取り囲んでいた。
感情が見えないビー玉のような目、苔色をした半透明の体は不気味に光沢を帯びている。
仁南を押さえつけている水かきの付いた手はブヨブヨしていて、なんとも気色悪い感触だった。
二匹が仁南を押し倒して、岩の上に左手を乗せた。
(せっかく言霊をマスターしたのに、口を塞がれては発せられない!)
仁南は自分の無力さが悔しかった。
斧が振り下ろされれば、左手が切断されるだけでは済まないだろう、きっと出血多量で死ぬと仁南は恐怖に震えた。
(助かる道は右目の悪魔だけなの? 霞は無闇に使うなと言ったけど)
仁南の右目がチクリと痛んだ。
斧が振り下ろされようとした。
次の瞬間。
<ギャア!!>
一郎は斧を振り上げたまま固まった。
続いて、仁南を押さえていた二匹に、護符が突き刺さった。
<ギャア!!>
二匹も悲鳴を上げたかと思うと固まった。
そして、三匹の蝦蟇の姿はフニャフニャと崩れ、地面にねっとりした液体となって流れた。濡れた護符がその中に浮かんでいた。
一郎が持っていた斧も地面に転がった。
「仁南!」
遥が仁南に駆け寄った。
「無事か!」
遥の姿を見て仁南の胸は躍ったが、その背後に蝦蟇の姿を見てすぐに凍り付いた。
その蝦蟇は一郎が落とした斧を振り上げていた。
!!!
遥を庇おうとするが間に合わなかった。
振り下ろされた斧は遥の肩口から背中を切り裂いた。
「うっ!」
遥は仁南の腕の中に倒れ込んだ。
仁南は猿轡を外して、
「ハルく……」
言葉が途切れたのは遥の傷を見たからだった。
ざっくり裂かれた傷から血が湧き出す。
相当深いのは一目でわかった。