第1話 妖の世界 その6
「かからないのよ、霊力が強すぎて」
芙蓉は不服そうに唇を尖らせた。
「あら、ご馳走じゃない、冴夜が喜ぶわ」
淡々とした口調の枕小町を、仁南はマジマジと見た。
「あなたも妖怪なの?」
「そうだけど、なにか?」
「だって、あなたはそのままなんだもん、恐ろしい異形が見えないし」
「悪かったわね、恐ろしい異形で」
芙蓉がむくれた。
「あたしが見えているってこと自体が特殊なのよ、あたしみたいな小妖怪はふつう人間の目には映らない、霊力の強い人間にしか見えないわ」
枕小町は芙蓉とは対照的で穏やかな笑みを浮かべている。
「小妖怪と言っても侮るな、小町の妖力は陰湿よ、人の頭の中に入って支配するんだから」
意地悪く言う芙蓉を見ながら、仁南は無意識に頭を押さえた。
「あなたの頭の中って面白いわ、こんな危機的状況でも絶望していないのね、ヒーローが颯爽と現れるシーンを思い浮かべてる、なんて楽天的なの? まるで漫画を読んでるようだわ」
「妖怪も漫画を読むの?」
「大好きよ、芙蓉もね」
そこは見た目通りの少女なんだと仁南は親近感を持った。
「気が合いそう」
「あたしは元来、悪夢を食べる妖怪だから、頭の中、お花畑のあなたに興味ないわ、というか、現実逃避してるだけかしら」
「この状況、逃避しなきゃ変になるでしょ」
「ま、そうかもね」
「悪夢を食べるって、バクみたいなの?」
「そんな可愛いもんじゃないわ、悪夢って、現実の出来事に起因しているでしょ、小町に夢を喰われると、その人はそれに関連する嫌だったこと、苦しかったことを忘れてしまうのよ」
芙蓉が代わりに答えた。
「それはいいことじゃないの? 嫌なことなんか忘れたいじゃん」
「人間は辛いことがあると二度と同じ目に遭いたくないと学習し、失敗しないようにするでしょ、でないと同じことを繰り返して、さらに窮地に陥る悪循環から抜け出せなくなるわ」
「そっか、最悪ね」
枕小町は芙蓉の肩に腕をまわした。
「最悪を引き起こす悪夢ほど美味しいのよ、芙蓉なんか、あたしがいつも悪夢を食べてあげてるから、次も心置きなく人を喰えるのよ」
「げっ……」
(それはあたしの運命を示唆してるの?)
仁南はブルッと縮み上がったが、
「でも、悪夢を見るってことは、罪悪感があるってこと?」
そうだとしたら、まだ助かる見込みはあるのかも知れないとも思った。
「鬼なのにね、それが芙蓉の一番不幸なとこなのよ」
小町はため息交じりに言った。
「余計なこと言わなくていいから」
芙蓉はまたむくれた。
そのしぐさはとても可愛かった。正体さえ見なければ普通の女の子だと仁南は思った。
やはり最初に空想した通り、彼女は薄幸の少女なのだと確信し、まだ人間のころの心が残っているのなら、ウィ○チェスター兄弟を待たなくても助かる見込みはあるかもしれないと、仄かな光を見つけた気がした。
一方、遥は、新たに登場した妖怪にも即座に適応している仁南に、また驚いていた。
ハンターの遥は、今まで多くの妖怪と遭遇してきたが、敵である奴らと会話をしたことは━━実際会話しているのは仁南だが━━なかった。凶暴な妖怪たちがこんなにフランクに会話をするなんて、思ってもいなかった。
そんな仁南たちを横目に、芙蓉は枕小町に耳打ちした。
「気付いてる?」
「そうね、似てるわね」
「どう思う?」
「なにが?」
「生まれ変わりかも」
「輪廻転生を信じてるの?」
「……」
芙蓉と枕小町のひそひそ話は聞こえなかったので仁南は気になったが、自分たちをどうやって調理しようと相談しているようには見えない。崖っぷちに立たされている自覚はあったが、さっきまでの恐怖感は薄れていた。
「お前、いったい何者なんだ? いくら妖が見える霊力を持っていても、この順応力は普通じゃないぞ」
耳元で遥に囁かれた仁南は、吐息がくすぐったくて肩をすくめた。
「あたしは普通の高校生よ、この春から入学だから正確にはまだだけど、あなたこそハンターって、そんな人がリアルに存在するの?」
仁南はさっきから聞きたかったことを口にした。
「説明すると長くなる」
「せっかく知り合えたんだから、その長い説明も聞きたかったわ、リアルスーパー○チュラルに興味もあるし、なにより、あたしと同じものが見える人に出会ったの、初めてだったのに」
「過去形にするなよ、大丈夫、絶対助かるから」
そう言いながら、遥は仁南の頭にポンと手を乗せた。
(こういうシーン、少女漫画の鉄板よね、好きな男子に頭をなでられた女子はあざとく上目遣いに彼を見る。ページの中で見たシーンをリアルに体験してるんだわ。この際だからやってみようかしら)
仁南は遥を上目遣いに見上げてみた。
視線がバッチリ合ってドキッとする。遥の顔色は変わらないが、仁南は耳まで真っ赤になっている自覚があった。
「なにコソコソ喋ってるの、逃げようたって無理だからね」
芙蓉が枕小町との話をやめてこちらを見た。
せっかくいい雰囲気に━━仁南が一人でそう思っているだけだが━━浸っていたのに、邪魔された仁南は頬を膨らませた。
「そんなのわかってるわよ! あなたの本当の姿が見えてるんだから、戦闘力も見当がつくわ、走っても一瞬で追いつかれるだろうし、その爪にかかれば一撃であの世行きでしょ、どうせ助からないんなら、最期にイケメンとお喋りするくらいイイじゃない、冥途の土産よ!」
一気にまくしたてる仁南に遥は唖然とした。
「お前、なにキレてるんだよ」
そんな仁南を見て、芙蓉は笑みをこぼした。
「ほんと、口の減らない子ね」
そんなとこもよく似てるわ、と芙蓉は心の中で付け加えた。
かつて一緒に旅をした仲間、唯一、信頼した人間に……。
そうこうしているうち、濃い霧の中に、屋敷の門が浮かび上がった。