第4話 鬼の伴侶 その9
それは幸恵が十二歳の時だった。
「新しいパパやで」
紹介されたのは母が勤める会社の上司で四十歳のバツ一。
「それとな、あんたに妹か弟ができるんやで」
母親は妊娠していた、双方バツ一のデキ婚だった。
その時、幸恵はちょうど中学へ進学するタイミングで名字が変わった。
新しい父は穏やかで優しげなナイスミドル風、この人なら、いい家族になれると思ったのは大間違いだった。
幸恵はほどなくその男にレイプされた。
まだ十二歳、中学生になったばかりで初恋よりも先に処女喪失した。
誰にも言えなかった。
義父は外面がよく、そんなことをする人には見えなかった。
最悪なのは、母が気付いていたこと、娘がレイプされ続けていることを知っていながら、見て見ぬふりをしていた。
義父は、実の娘である愛恵は溺愛した。
家族の中で居場所を失った幸恵は、非行に走り、家に寄り付かなくなっていた。
そして中三のある日、金之助と出会った。
金之助の見た目は二十歳くらいだったが、二百年くらいは生きていた。そして幸恵は噛まれて鬼にされた。鬼の伴侶にされた。
姿を消した幸恵は家出人扱いされ、家族の記憶から消された。
「家出したあたしは金之助に出会い鬼にされた。彼は道連れが欲しかっただけ、彼と一緒にいろんなとこへ行った、自由気ままに好き勝手なことをして過ごす日々は、少しだけ、人間やった頃の不幸を忘れさせてくれたわ、鬼には生きていくのに必要な三欲だけ、食欲、性欲、睡眠欲、それだけでいい日々は楽やったわ、けどな、憎しみはシミになって消えへんかったんや」
幸恵は食い込む鎖を気にせずに体を捩った。
「二十年ぶりに見たアイツらは、三人で幸せそうやった。あたしの存在なんか最初からなかったようやった。捜しもせず、心配もしてなかったようやわ。子供を愛さない母親なんかいない、なんてドラマでありがちなセリフやけど、実際はいるんや、わが子の幸せより、自分の幸せを優先したんや」
幸恵の瞳の奥に憎悪の炎がゆらめいた。
「ケダモノやった義父もすっかり年老いて丸くなったように見えた、穏やかに微笑みながら娘を見る目、溺愛しているのがわかった。そやし決めたんや、あの家族が一番幸せな時に殺そうって、それがあの日やった」
幸恵は母親の恐怖に満ちた形相を思い出した。
「母はあたしの顔を見て思い出したようやけど、ゴメンの一言もなかった。ただ、化け物を見る目やった」
芙蓉はふと遠い昔のことを思い出した。
(昔も今も、そんな女はいるのね……。あの子も母親に捨てられた。でも彼女は、復讐しようなんて思ってなかったし、そのために鬼になろうなんて考えもしなかった。自分の運命を受け入れてた)
「実際、今のアンタは化け物だけどね」
芙蓉は冷ややかに言った。
「そうやな、何の罪もない妹も殺したんやもん、もう人間の心なんてひと欠片も残ってへんわ」
幸恵はフッと寂しそうに目を伏せたが、すぐにその目は赤い鬼の目に変わった。
「まだ、最後の仕上げがあるんや」
全身に力を込めると、体に巻かれていた鎖がブチ切れて吹っ飛んだ。
「それだけはやらせて、それが済んたら、あたしを好きにしていいし」
「すごい力ね」
芙蓉は茶化すようにパチパチと拍手した。
「人間のお前にはできないでしょ」
そしてソファーで横たわる流風に目をやった。
「聞いてたんでしょ?」
流風が意識を取り戻していることに芙蓉は気付いていた。
縄をブチ切ることは出来ないが、流風は上体を起こした。
「お得意の風刃も出せないようね」
両手の自由を奪われていては、風を操ることが出来ない流風は負け惜しみのように言った。
「鬼の戯言など、聞いたところであたしには関係ない」
「冷たいのね、同情心は起きないの?」
流風の横に座って、からかうように顔を近付ける芙蓉に、流風はプイッとそっぽを向いた。
「どんな理由があっても人を殺したことにかわりはない」
「アンタにはわからへんのや!」
幸恵は赤い目を煌めかせて怒りを露にした。
「そう、あたしにはわからない、あたしには最初から親なんかいないから、憎む対象が存在しない」
抑揚のない声、貼り付けたような無表情の流風を幸恵は意外そうに見た。
「え……」
「まあ、人それぞれ色んな事情を抱えてるってわけよ」
芙蓉はため息交じりに言った。
五百年も生きてきた芙蓉は色々な人間模様を見てきた。幸せになりたいと誰もが願うけれど、誰もが手に入れられるモノではないことを知っている。
「さあ、行こうか」
芙蓉はおもむろに立ち上がった。
「どこへ?」
「最後の仕上げをしたいんでしょ? 見届けてあげるわ」