第3話 狐の嫁入り その5
霞草の花畑にいるようだった。
しかし花に見えていたのは白い大蛇の鱗だった。
とぐろを巻いた大蛇の中心に立っているのは、法衣姿で錫杖を手にした若い僧、智風だった。浮かべた微笑は春の陽射しのようにやわらかだった。
(いつ見てもお前の鱗は美しいな)
まとわりつく大蛇の鱗を指でなぞりながら智風は言った。
心の奥に響く心地よい低音。
大蛇は純白の着物を着た美しい娘、霞に姿を変えた。
頬には紅がさし、上目遣いに智風を見つめた。
智風の眼差しは穏やかだが、悲しみを湛えているようだった。
(智風はなぜ戦う?)
霞は心配そうに尋ねた。
(都の人々を災いから守る為)
智風は静かに答えた。
(都の人間はお前にとってなんなのだ? 守る価値はあるのか?)
(人に尽くすのは、人として当たり前のこと)
(そうなのか? どんなに尽くしても気付かない、自分の事しか考えていな人間の方が多いのだぞ)
(それでも)
(それでも命を懸けて戦うのか?)
(それがわたしの宿命)
(宿命……、智風と逢ったのも縁、わたしも一緒に戦おう、役に立つだろう)
(お前は強いからな)
智風は霞の頭に手を置いた。
(しかし、この先は我らだけで行かねばならない、〝邪悪なもの〟はすべての妖怪を取り込んでしまうから)
(わたしなら大丈夫、そんなものに取り込まれたりはしない)
(そうだな、でもお前は、邪悪なものが出す瘴気から都を護ってくれ、それに、ここにはお前の守護を必要としている小さな妖もたくさんいるだろう)
憂いに満ちた瞳で見上げる霞に智風は、
(案ずるな、必ず戻るから)
優しく微笑んだ。
白い霧が濃くなり、智風の姿を包んだ。
智風の微笑も見えなくなり、次第に遠ざかっていった。
(智風は、必ず戻ってくる、いつまでも待っていよう)
霞の目から涙が零れた。
(いつか、また会える日まで)
霞は静かに目を閉じた。
(それまでひと眠りしよう)
霞の姿は白い大蛇に戻った。
(目が覚めたらきっと……)
とぐろを巻いてうずくまる。
(お前が微笑んでいるだろう)
「霞」
(誰だ、わたしを呼び捨てにするのは)
「霞、起きて、霞」
霞はうっすら目を開けた。
白い大蛇は深い山の中でとぐろを巻いていた。
「戻ったのか! 智風」
霞は声の主に巻き付いた。
大蛇に纏わりつかれて、流風は焦った。
「絞め殺す気?」
霞はパッチリ目を開けた。
そして、とぐろの中心で苦しそうにしている流風を見た。
「なんだ、お前か」
霞はとぐろを緩めながら、白い着物を着た二十歳くらいの美しい女性の姿に変化した。
「寝ぼけてるの?」
「ああ、夢を見ていた」
霞は遠い目をして空を見上げた。
「智風と別れたあの日の夢、昨日のことのようだ」
「千二百年も前の話よね」
霞はあのまま千二百年眠り続け、智風を待っていた。そして智風の生まれ変わりである流風の出現と時を同じくして、永い眠りから目覚めた。
霞は流風を見て大きなため息をついた。
流風が智風の生まれ変わりと気付いた時、待ち焦がれた智風が、女性として転生したことにショックを受けた。そして流風が天寿を全うして、再び生まれ変わるまで見守ることにした。今度は智風のような優しく逞しい男性に転生することを期待して。
霞は大きなあくびをして、
「冬眠中だ、邪魔をするな」
「もう五月」
「えっ?」
「寝すぎ」
霞は流風に抱きついた。
「そうか、わたしがなかなか起きてこないので寂しかったのか」
シラッと無表情の流風。
「それで起こしに来たんだな」
「そうよ」
素っ気ない返事をするが、それでも霞は嬉しそうに頬ずりした。
人間の姿をしていてももとは変温動物の蛇、触れられたところは冷たくてゾクッとする。流風は肩をすくめながら言った。
「さっそくだけど、頼みがある」
「なんだ? お前の頼みなら聞いてやらんこともないが」
「妖狐の里へ連れてって」
「妖狐? なんでまたそんなところへ? アイツらは狡猾で信用ならん奴らだ、関わりあわんほうがいいぞ」
霞は美しく整った眉を寄せた。
「瑞羽さんが拉致された」
「なんだと、妖狐の奴、綾小路の退治屋に手を出したのか」
「助けに行く」
「わたしが行けば、低級な妖狐など、恐れおののいて逃げるだろう」
霞はツンと顎を上げて、前髪をかき上げた。
「しかし、瑞羽は無事だろうか」
「まだ大丈夫だと思う、真琴たちが貉婆の案内で先に向かってる」
「では我らも急ごう」
霞は白い大蛇に戻った。
そして白い体は、白く輝く光の玉に変化した。
それが流風を包み込んだ。
光の玉は蒼天に吸い込まれるように舞い上がった。