第3話 狐の嫁入り その2
「仁南と帰りにお茶すんのって、なにげに初めてやな」
ケーキを頬張りながら真琴が言った。
「和尚さんに頼まれてるからって、いつもハルがベッタリやもんな」
咲子と真琴、仁南は学校帰りにスイーツ店に寄り道していた。
「けど頼まれてるって理由だけやろうか?」
咲子の含みを持たせた口調に仁南はドキッとした。
遥が仁南にくっつきたがる本当の理由は、仁南から霊力をもらうためだとわかっているが、咲子には言えない。知っている真琴も白々しくケーキを口に運んでいた。
「それだけでしょ、責任感が強いんですよ」
「そうかなぁ」
咲子はきっと勘違いしていると仁南は思った。ニヤニヤする彼女の視線に耐えられず、
「真琴さん、今日はよかったの? 澄君は誘わなくて」
強引に話題を変えた。
「たまにはエエんや、いつもベッタリされてちょっと鬱陶しいし」
「ああ、こっちにもいたな、くっつき虫男子」
「ほんと、あんなデカい奴が背後から忍び寄ったらゾッとするで、出会った頃はあそこまでじゃなかったのに、みるみる伸びて180突破したのにまだ伸びてるやろ」
「家系なんや、母方の湖月家はみんな背が高いし、あたしは父親に似たんやな」
咲子は平均的な158センチだ。
「真琴さんも長身だからお似合いじゃない」
真琴は二人より10センチ高いスラリとしたモデル体型。仁南にとっては羨ましい限りだが、真琴のほうは目立つ容貌を良しとせず、小柄な女の子のほうが可愛いと思っていた。
「出会いのきっかけはあたしが作ったんやで、キューピットってわけ、澄には感謝されてる」
咲子は得意げに言った。
「まあ、あの後、努力したんは澄やけどな、押しに押し続けて一年、やっと振り向かせたんやもんな」
「根負けした」
「またぁ、今じゃ真琴もべた惚れやん」
「べた惚れって」
真琴は不服そうに口をすぼめるが、ほんのり赤面していた。
「けど、この通り素直じゃないし、照れ屋で素っ気ないやろ、澄としては不安なんや、美人やし誰かに取られへんか気が気やないみたい」
「素直じゃなくて悪かったな」
「いいなぁ、そんなに想われて……、あたしなんか彼氏いない歴=年齢なのに」
仁南は頬杖をつきながらぼやいた。
「ハルにしといたら? チャラいけど、悪い奴違うし」
元の木阿弥、話が戻ってしまった。
「あたしとハル君じゃ釣り合いませんよ、しょせん高根の花、少女漫画では、冴えない女子がイケメンと出会ってハッピーエンドが王道だけど、現実ではそんなこと起こらないのはわかってますから、ハルくんみたいなタイプは妄想のおかずにはちょうどイイですけどね」
「妄想のおかずって、女子の発言違うで、それ」
「あ、つい……」
咲子はケラケラと明るく笑った。
「おもろいやん、仁南って」
「時々言われます」
* * *
咲子とは店の前で別れ、真琴に門前まで送ってもらった仁南だったが、トイレットペーパーを買おうと思っていたことを思い出して、そのまま寺には入らず引き返してスーパーに向かった。
ボーっと歩きながら、またあの時のことを思い出す。
(蟻まみれの中で、こちらから一方的にしてしまうなんて)
恥ずかしさに顔が熱くなる。
(幸いハル君は初めてじゃないって言ってたし、罪の意識も薄れたけど、あたしにとって、あれはやはりファーストキスなのよね、なんてこった……。一生に一度しかないのに、あんな風に済ませるなんて)
仁南はあの時のことが頭から離れなかった。
遥の顔がまともに見れない。
(忘れようと努力はしてる、でも、目を閉じると浮かんでくるのよ)
思い出し、一人赤面する仁南の顔にポタリと雨粒が当たった。
「えっ?」
見上げた空は晴天、薄い雲が棚引いていたが雨雲には見えない。
「狐の嫁入り?」
そう独り言をつぶやいた仁南の前に、十歳くらいの少年が唐突に現れた。
やわらかそうな栗色の髪に雨がかかるのも厭わず、道の真ん中に突っ立って真っ直ぐ仁南を見上げていた。
パッチリした目に長いまつ毛、なにか言いたげなサクランボ色の唇、まだあどけない美少年だったが、仁南の目には彼の本性が映った。
(狐!)
その姿はわかりやすくて、仁南はすぐにわかった。
こういう場合は見えないふりをしてやり過ごすに限ると、無視しようとするが遅かった。
「今、目が合ったよね」
妖狐は言った。
(反応しちゃダメ、重賢さんの護符も持っているから大丈夫よ)
仁南は無視して通り過ぎようとした。
次の瞬間、妖狐は仁南に飛び掛かった。
「きゃっ!」
押し倒されてて、馬乗りなられる。
護符が効かないということは雑魚ではないとわかった仁南の顔から血の気が引いた。
「ほう、儂が見えるだけじゃなく、正体も見破ったか」
少年とは思えないおっさんの濁声。
「合格だな」
すでに十歳の少年ではなく異形に豹変していた。切れ長の目、盾に伸びた瞳はくすんだ黄色、栗色の髪から三角の耳が飛び出し、口も頬まで裂けて牙をのぞかせた。
「放して!」
仁南はありったけの力を込めて、妖狐を突き飛ばした。
妖狐は身軽く一回転して着地した。
「腕力ではなく、霊力で儂を退かせたか、上玉だ、これならあの方のお眼鏡に適うだろう」
(逃げなきゃ!)
走りだそうとした仁南だが動けない。それは恐怖に足が竦んだわけではなく、両足首を掴まれていたからだった。
地面から生えた手が、彼女を捕らえて離さない。
不気味な手の周囲が黒くなり、大きな円状に広がった。
「なに!?」
体がフッと軽くなったかと思うと、急降下。
仁南は地面にポッカリ空いた黒い穴に吸い込まれた。
「仁南!」
珠蓮が伸ばした手は届かなかった。
仁南の帰りが遅いので胸騒ぎを覚えた珠蓮は、迎えに出て、ちょうど彼女の姿を見つけた瞬間だった。
「くそっ! 遅かったか」
珠蓮は、仁南が消えた場所に駆け寄り、地面に手をついたが、黒い穴はもう存在しない。
「妖狐か……」