第2話 無敵の魔力 その10
四時間目終了のチャイムが鳴ると同時に、岩井明美は急いで教室から出た。
向かったのは、東校舎、北側非常階段の下。
そこは普段人気が無く、告白スポットとして知られる場所だった。
ポケットから手鏡を出して、髪の乱れを直す。
頬が紅潮しているのは走ってきたせいだけではない、手にしているメモには、
『昼休み、東校舎、北側非常階段の下に来てください。誰にも内緒だよ。綾小路』
と書かれている。
明美はそれを胸の前で握りしめ、フフッ、とにやけた。
その時、カサカサという物音に気付いてそちらを見た。
地面を黒い塊が移動している。
よく見ると、蟻の行進。
「気持ち悪っ」
と言った刹那、地面を這っていた蟻たちが、一斉に飛び掛かった。
羽蟻だったのだ。
一瞬にして明美の顔面を覆った。
口をこじ開け雪崩れ込む。
もちろん声は出せない。
飛び掛かった羽蟻、すべてが口から体内に入った。
明美はもがき苦しみながらその場に倒れた。
* * *
「こんなとこで、一人飯か?」
西校舎の非常階段踊り場で、一人で弁当を食べている仁南を見つけた遥は溜息交じりに言った。
昼休み、仁南は質問攻めを避けて、一人で昼食をとっていた。
相変わらず仁南を囲む女子たちは、遥や侑斗の情報を入手したがる。しかし、遥と出会って数週間、プライベートはほとんど知らないし、もし知っていても個人情報を漏洩するつもりはなかった。
遥は黙っている仁南の横に座り、自分の弁当を広げた。
「友達、出来ないのか?」
(誰のせいだと思ってるのよ!)
と言いたいところを堪えて、ご飯を口に運んだ。
(いいえ、違う、あたしが馴染もうとしていないだけ、今までもそうだったから)
『佐伯さんといると不吉なことが起きる』と言われていたことがトラウマになって、一人でいるほうが気楽だった。
ふと、遥の弁当を見て、仁南は目を見張った。
「ハル君のお弁当、めっちゃ豪華」
仁南の弁当は重賢が気遣って用意してくれているので、文句はないが、
「お母さん、料理上手なのね」
「まさか、家政婦さんが用意してくれるんだよ、家事は一切しないから、うちのママ」
「ママぁ?」
「あ……」
しまった! と遥は顔を歪めた。
「しょーがないだろ、ロスでの生活が長かったんだから癖が抜けないんだ、ちなみ父親はパパって呼んでないぞ」
「呼べばイイじゃない、きっと喜ぶわよ、パパ」
「そうかなぁ、って、違うし、キモイだろ」
「まあ普通の男子ならね、けどハル君くらいイケメンなら、なにしても許されるわよ」
「もう、雑魚妖怪は寄って来ないし、誰かと一緒にいても大丈夫だろ?」
仁南の心を見透かしたように遥は言った。
「そうなんだけど……、そんなことより、ハル君、わざわざあたしに付き合ってくれなくてもいいのよ、こんなとこ、誰かに見られたら、変な噂たてられるし」
「いいんだよ、言いたい奴には言わせとけば」
遥は突然、ミニハンバーグを仁南の弁当箱に入れた。
「これ食え、冷凍じゃないぞ、全部手作りだから美味いぞ」
「ありがと」
「お前は痩せすぎだから、もっと食わなきゃ」
「ほんと、美味しい」
「だろ」
遥の眩しい笑顔を見て、仁南の頭に妄想が浮かんだ。
(彼と二人っきりのお昼休み、本当ならヒロインが彼のために手作りお弁当を用意するのよね、ハンバーグだって早起きして手作りするのよ、彼はそれを美味しいって笑顔で食べてくれるの、そして良いお嫁さんになれるよって言ってくれるの……って、あたし料理できませんけど)
ハンバーグ一つで妄想し、仁南は思わずにやけてしまった。
「おっ、調子戻ったじゃん」
仁南がプチトリップしていることに気付いた遥が顔を覗き込んだ。
「どんな妄想だったのかな? 彼女が彼氏に手作り弁当とか?」
「なんでわかるの!」
「なんか、お前の思考回路読めるようになってきた」
「読まないで!」
「俺に作ってくれる時は前もって言えよな、弁当持ってこないから」
「残念でした、あたし料理ダメだから、これも重賢さんが作ってくれたの」
食べ終えた仁南は合掌してから蓋を閉じた。
「御馳走さまでした」
「情けない奴だな、女の子なら料理くらいしろよ」
「あー、それ差別発言」
「お前が作った弁当なら食べてやろうと思ったんだけどな、クラスの女子が持ってきたのなんか、なにが入ってるかわかんないし、怖くて食えないよ」
その時、突然、仁南の全身に悪寒が走った。
得体のしれないモノの気配に鳥肌が立ち、髪も逆立つ錯覚に陥る不快感に襲われた。
「大丈夫か?」
遥もなにかを感じたようで、青ざめた仁南を心配そうに見た。
「なんか……」
仁南は訴えるように遥を見上げた。
「どこから感じた」
「たぶん、東校舎の北側あたり、なにかいるみたい」
「きっと、ユキと流風が追ってる奴だ、行ってみよう」