第4話 妖狼の指輪 その8
「会いたかったわ! 一年半ぶりかしら」
八栄は遥の首に手を回して、ぶら下がるように抱きついていた。
遥は出来上がったハンバーグをテーブルに運ぶ途中で、両手に皿を持ったまま、なす術もなく抱きつかれた。
「やめろよ! ハンバーグが落ちる」
遥は皿を傾けないように必死になりながら、八栄から顔を背けた。
八栄はそんなことお構いなしに、遥の胸に顔をうずめた。
「ああ遥だ、背が伸びたのね、それに逞しくなった」
「おい!」
「八栄、いい加減にしろ! 遥君が困ってるだろ」
学斗が、八栄を引きはがした。
遥はその隙に皿をテーブルに置いた。
「すまない、遥君、久しぶりに会えてテンションが上がってるんだ」
「いいじゃない、ロスではいつもハグしてたんだから」
「ここは日本だ」
兄に咎められた八栄は、唇を尖らせながらまだ遥の腕を抱え込むように引き寄せた。
「もっと早く会いに来たかったのよ、でも、お小遣いじゃ交通費足りないし、夏休みはバイトと訓練で超忙しかったんだから、やっとお金もたまって冬休みには来れる予定だったけど、兄さんが京都へ行くって言うから便乗したのよ」
「どうしたんですか? こんなところに来るなんて」
遥は八栄の早口を聞き流しながら学斗に尋ねた。
「颯志から連絡はあったで」
と言いながら、ちょうど入って来た霞たち三人に視線を向けた重賢の目の動きに気付いた遥は、仁南が入口に立っているのを見て慌てた。
やましいことなどない、八栄と特別な関係はないが、こんなに密着されているところを見られたくはなかった。
仁南は表情を変えていないが、ビー玉のような目が完全に誤解していることを語っていた。
八栄も女の直感が瞬時に働き、仁南を直ちにライバル認定した。仁南に鋭い視線を投げかけながら、豊満な胸をより強く遥の体に押し付けて笑みを浮かべた。
「美味しそうなハンバーグね、ちょうどお腹空いてたのよ」
猫なで声で遥を上目遣いに見る。
仁南はリビングダイニングの入口に立ち尽くしたまま、八栄の女らしいプロポーションに圧倒された。
(そうか、こんな人でないと、ハル君の相手は出来ないんだ)
視線を落とし、先ほどの会話を思い出して惨めになった。
(身の程知らずもいいとこだわ、ハル君の周りには綺麗な女の人がいっぱいいるし、あたしなんか相手にされないのはわかってたはずなのに、なんであんなこと言っちゃったんだろ)
「これは仁南の……」
「一緒に食べながら、ロスでの思い出話をしましょうよ、あの夏は楽しかったわね」
八栄は遥の言葉を遮るように話をかぶせた。
「あたし狩りの腕も上げたのよ、もう遥の足手纏いになんかならないから、あなたに相応しい相棒になれるよう頑張ったんだから、今回も兄さんの助っ人で、狼の里へ行くのよ、遥も一緒に行ってくれれば実力を披露できるわ」
「狼の里へ行く? その程度の霊力で?」
突然、口を挟んだのは、いつの間にかちゃっかりダイニングテーブルに着いていた霞だった。
「これはわたしが食ってやる」
霞は遥が置いた皿を引き寄せた。
「ちょうどお主のぶんもあるじゃないか、よかったな」
乃武は重賢に会釈しながら横に座った。
「重賢のは豆腐ハンバーグか、遥は器用だな」
「そうやろ、見た目だけ違て味もなかなかやで」
重賢も抵抗なく二人を受け入れ、炊飯器からご飯をよそってふるまった。
「誰?」
八栄はキョトンをしながらテーブルに着いた二人を見た。
「我らの正体に気付かぬ者が、里に入れると思うてか、なあ、乃武」
「乃武?」
その名前を聞いた学斗の顔色が変わった。
殺気を帯びた学斗の目を霞と乃武は見逃さなかった。
霞の全身から威嚇の妖気が滲み出る。
威圧的な眼に射抜かれた学斗は硬直した。
霞はそれを見て余裕の笑みを浮かべると、遥に目を向けた。
「それより、遥、追いかけないのか」
「えっ?」
いつの間にか、仁南の姿が消えていた。
「また森へ行ったんじゃ」
「いいや、反対方向へ進んだ、外へ出たようだ」
「なんでそんなことわかるんだ?」
「早く追いかけないと見失うぞ」
「わかった」
遥は八栄の腕を振りほどいて、部屋を飛び出した。
「遥ぁ!」
八栄も遥を追った。
「まったく、遥と仁南はなにをもめてるんだ?」
霞は溜息交じりに遥たちを見送った。
「なんの障害もないのに、なにを拗らせてるんだ、遥は」
「ヘタレなんや、ハルは」
重賢も吐息を漏らした。
「で、お前はなぜ狼の里へ行きたいんだ?」
霞はハンバーグを頬張りながら、まだ突っ立ったまま固まっている学斗に再び目を向けた。
「まあ、お前さんも座れ」
重賢は霞の妖気に青ざめている学斗に促した。
乃武はすっかり寛いで、霞同様食事をはじめていた。
学斗はそんな様子を訝しげに見ながら、
「なぜ、結界で護られたこの寺に、妖が入れるんです?」
「儂の結界もまだまだやってことや」
「重賢の結界はなかなか強力だが、わたしには通用せん」
「霞様は神ですからね」
「神?」
まがまがしい妖気のこの女が神?と眉ひそめる学斗に重賢が耳打ちした。
「自称や」
「聞こえておるぞ」
「とにかく、儂らには足元にも及ばん力を持ってるってことや」
「それさえ見抜けなかったお前が、狼の里に行くなど、無謀もいいとこだ」
「でも、行かなきゃならないんだ、妖狼が俺の彼女を拉致したから」
「拉致? しかし先ほど霞様がおっしゃったように、普通の人間では里に入れないぞ」
乃武は眉をひそめた。
「祭は霊力の強いハンターです」
「それならもう喰われてるだろう」
「あるいは人狼にされているか……、それらの可能性は颯志様や瑞羽さんにも指摘されましたけど、確かめなければあきらめきれないんです」
学斗は思い詰めた表情で言った。
「祭とは幼馴染で、将来を誓い合った仲だったんです、なのに、祭に一目惚れしたとかいう狼が、無理やり連れ去ったんです、生きている可能性がゼロじゃない限り助けに行かなければ」
「一目惚れ? 人間に」
乃武はなにか思い当たることがあるように、ん? と首を傾けた。
「それはどのような者だった?」
「真っ黒で熊のように巨大な狼でした。人間に化けている時は、二十代半ばに見える目つきは悪いが端正な顔立ちの屈強な大男で、剛生と名乗っていました」
乃武は思わず頭を抱えた。
「剛生様でしたか」
「知っておるのか?」
「ええ、先ほど話をした黒狼様です」




