表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒緋の勾玉が血に染まるとき  作者: 弍口 いく
第1章 右目の悪魔
1/130

第1話 妖の世界 その1

「とても順調ですよ、心配ありません、あっ、今、蹴りましたよ」

 大きなお腹を抱えた佐伯さえきれいがスマホで通話していた。

 二十代半ばの美しい女性だった。臨月の大きなお腹を抱えていても、その美貌に陰りはなく、むしろ幸せそうな笑みは美しさを引き上げていた。


「女の子なのに元気いっぱいです、えっ? 歩きスマホじゃありませんよ、ちょうど信号待ちで」

 赤信号に目をやりながら、

「来月にはお祖母ちゃんですね、楽しみに待っててください」

 通話を終了したと同時に、


「キャアァァ!!」

 けたたましい女性の悲鳴が怜の耳に飛び込んだ。

 歩道に乗り上げた暴走車が、歩道を歩いていた人たちを跳ね飛ばし、信号待ちをしている怜たちに迫っていた。


 一瞬の出来事。

 逃げなければ! と考える間もなく、怜の身体は宙に浮いていた。


 衝突の瞬間の感覚はなかった。

 地面に叩きつけられた時のショックも感じなかった。

 車にはねられたことは理解できていたが、現実感がなかった。


 喧騒が聞こえた。

 周囲はパニック。


「大変だ! 誰か救急車を!」

 事故を目撃した人々が集まって来る足音が聞こえた。


 痛みはなかった。

 というより、全身の感覚が麻痺していた。

(なんでこんなことに……)

 薄れゆく意識の中で怜は死の予感に怯えた。

(あたしは死ぬの?)


 わずかに動いた指で、怜は首から下げていた母の形見のペンダントを握り締めた。

 お守りにしていたそれ(・・)は怜の身体から流れた血で濡れていた。

(あたしは助からなくても、子だけは、お腹の子の命だけは!)

 怜は祈った。


 なにに祈っているのかわからないが、誰でもいい、この子を助けて! 繰り返し、心の中で叫んだ。

 叫ぼうとすると声の代わりに血が溢れ出した。

 指先からも力が抜けていく。


 意識が遠のく、無くなる瞬間まで、怜は声にならない叫びをあげ続けた。

(この子の命だけは助けて!)

 と……。





 怜が救急車で運ばれていくのを遠巻きに見ている二人の少女がいた。

上一条かみいちじょう家の末裔の彼女だけが、知っている可能性があったのに」

 枕小町まくらこまちを責めるように芙蓉ふようは言った。


 勝気そうな目をしたショートカットの芙蓉は十六、七歳の美しい少女だった。シミ一つない白い肌、濡れたような大きな黒い瞳と長いまつ毛にふっくらした唇、ほっそりした体格だが妙に色っぽい。

 枕小町は対照的にストレートのロングヘヤー、清楚で大人しそうで、なんだか眠そうな目をしたおっとりした感じ、守ってあげたと思わせるような可愛さがある。


「せっかく居場所を突き止めたのに、聞き出す前にこんなことになるなんて……」

「一足、遅かったわね」

 他人事のように呑気な枕小町、悔しそうな芙蓉が零した。

「また、振出か」





 怜は救急車に運び込まれた時、すでに脈はなく呼吸もしていなかった。

 しかし、救急隊員は異変に気付いた。

 胎児がお腹を蹴っている。


 病院に搬送され、心肺停止していた母親から、生きている胎児が取り出された。

 病院関係者はこの奇跡に震撼した。



   *   *   *



 京都へ来るのは九年ぶりだった。

 駅のホームに降り立った途端、足元に纏わりつくなんとも形容しがたい奇妙な生物、それが妖怪、魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいだと仁南になは知っていた。さすがいにしえの都、妙な奴らの数もハンパないと憂鬱になった。


(でも、特に悪さをする様子もないから無視するに限る、下手に反応すれば数が増すだけ、この程度なら問題ないし、とは言っても鬱陶しいったらありゃしない!)

 仁南は雑魚妖怪の一匹を踏みつけて歩を進めた。


 佐伯仁南はこの春から高校生になる十五歳。

 身長158センチ、体重40キロの痩せっぽち、肩にかかるくらいのストレートヘヤーで、大人しそうに見えて、特に際立った特徴はない、妖怪の類が見えること以外はどこにでもいる平凡な少女だった。


 家庭の事情で地元を離れ、京都市内の高校に入学する予定だ。三年間、祖母の知人が住職をしている寺で居候させてもらうことになっている。





「京都へ行きなさい」

 十五年間、仁南を育ててくれた父方の祖母、舞華まいかが言った。彼女は京都出身だった。

「今はもう実家はないけど、古い友人の重賢じゅうけん和尚様が、お寺で預かってくださるから」


「お寺で暮らすの?」

 抵抗を感じて不安そうな仁南に、舞華はやわらかな笑みを向けた。

「重賢様は徳の高いお坊さんだから、悠輪寺ゆうりんじの敷地内は結界で護られてるわ、だからあなたも変なあやかしに煩わされず、ゆっくり休めると思うのよ」


 舞華自身に妖は見えなかったが、若くして亡くなった彼女の姉、結華ゆいかが見える人だった。そのせいで苦悩する姉を間近で見てきた舞華は、仁南が同じように妖怪や幽霊が見えることも理解していたし、彼女の能力は血筋ではないかと思っていた。

「気付いてないと思ってた? 最近は特に眠れていないでしょ、だんだん酷くなる一方じゃないの」


 確かにそうだった。いくら見ないふりをしても妖怪に纏わりつかれて体力を消耗しているような感覚があった。

「重賢様も見える人だから、きっと力になってくださるわ、それと……右目の事も、なにかわかるかも知れないし」


 結華は妖怪がらみの事件に巻き込まれて、十九歳で命を落とした。

 怖がらせてはいけないので仁南に結華の話はしていなかったが、このままでは仁南も同じ運命をたどるのではないかと舞華は恐れていた。しかし、自分ではどうすることも出来ない。

 重賢は結華のこともよく知っていたし、事情を話して託すことにしたのだった。





 重賢が祖母の言うような人物なら、呪いを解いてくれるかも知れないと仁南は期待していた。


 仁南は自分が死体から取り出されたことを聞かされていた。生まれたのではなく、すでに息を引き取っていた母親のお腹から帝王切開で取り出されたのだ。奇跡の子と言う人もいるが、呪われた子だと気味悪がる人もいることを知っていた。


 確かに自分は普通ではない。

 後者の方、きっと呪われた子なのだと思っていた。


 母、怜の死後、ほどなく父親は再婚したが、後妻が仁南を拒んだので、祖父母の元で育てられた。


 今から向かう悠輪寺に行くのは九年ぶり、古いお寺だったなぁと仁南は遠い記憶を辿った。

(本堂の裏で天使に逢ったんだ)

 などと、愚にもつかない記憶しか出てこない。お寺で天使とは妙な話だが、その時は感激したことを思い出した。天使に逢うと幸せになれる、と聞いていたからだ。


 今ならわかる、そんなの嘘っぱちだと。

 仁南は幸せとは縁遠かったから……。

(それとも、あれは天使じゃなかったんだろうか? ただの子供だったのかも知れない。でも、人間とは思えないくらい、とても綺麗な子だった)

 仁南はあの時出逢った天使の顔を思い浮かべた。


 そんなことを考えながら駅から出た仁南は周囲を見渡した。

 重賢が迎えに来てくれる予定だが、それらしい人は見当たらない。

(どんな人かしら、祖母と同世代だからお年寄りだろうけど、徳が高いお坊様って言うと、物静かで高貴な佇まい? 昔はイケメンでその名残があって優しい微笑みが似合うナイスシニアだったらいいな)

 仁南は重賢を勝手にイメージした。


(でも徳が高いってどう言う意味なのかな、その高低は誰がどうやって測るんだろう? あたしと同じものが見えるって本当かしら?)

 などと考えながら、お坊さんの姿を捜していると。


「彼女ぉ、なにキョロキョロしてるん?」

 突然、声をかけられ、仁南はビクッとした。

 いつの間にかチャラそうな男が横にピタリと並んで仁南の顔を覗き込んでいた。


「え……」

 反射的に身を縮めながら一歩離れたが、男はニヤニヤしながらまた近づいてくる。

「道がわからへんのやったら、案内するで」

「大丈夫です」

 再び男から距離を取ろうとしたが、

「車で来てるし、送ってあげるで」

 しつこく近づいてきた。


(コレってダメなやつよね)

 仁南は警戒感をあらわにした。

(ナンパじゃなくて、家出人狙いのヤバいやつじゃないの? こんなのについて行ったら、なにされるかわからない。騙して言われない借金背負わせて、いかがわしい場所で働かそうってパターンじゃないの? あたしってそんなのに引っかかるような田舎者に見えるのかしら?)

 胡散臭い男を不快そうに見た。


(あたしって、なんで変な奴にばっか絡まれるんだろう、不運だわ)

 仁南はうんざりしながら、

「けっこうです!」

 キッパリと拒絶した。

「遠慮はいらんで」

 しかし、男は馴れ馴れしく肩に手を回そうとした。


 その時、仁南の肩に乗せようとした手を掴んで止める手が現れた。


「遠慮じゃないよ」

 厳しい口調でそう言いながら、仁南と胡散臭い男の間に割って入った人物を見て、仁南は息をのんだ。


 イケメン!

 まずその言葉が飛び出す美しい青年だった。

 茶色っぽいサラサラヘヤーが眉にかかり、二重の綺麗な目、スッと通った鼻筋に形の良い唇、身長は180センチ弱ってところ、仁南に絡んでいた男を見下ろしながら、掴んだ手首を乱暴に突き放した。


「遅くなってゴメン、仁南」

「え……」

 なぜ名前を呼ばれたのかわからず、仁南は困惑した。

 そんな彼女をよそに胡散臭い男を、

「迷子じゃないから」

 鋭く睨みつけた。


「ちぇっ」

 男は舌打ちすると、体格的に勝ち目はないと思ったのだろうか、あっさり背を向けた。

 悔しそうに地面をけりながら、男は引き上げて行った。


 ため息交じりにそれを見送った後、イケメンは仁南を見下ろした。

「俺が遅れたせいであんなのに声かけられて、嫌な思いさせちゃったね」

 優しく向けられた爽やかな笑顔に仁南はドキッとした。


「じゃ、行こうか」

「ちょっと待ってください、あなたは誰なんです?」

「知らない男にホイホイ付いてかないのはイイ心がけだ」

 彼はそう言ってまた微笑んだ。

 ズキューン!と心を射抜く甘いスマイルに仁南はノックアウト寸前。


「俺は綾小路あやこうじはるか、重賢さんが急用で来れなくなったから、頼まれて迎えに来たんだ」

「なんであたしってわかったんですか」

 遥はスマホを取り出し、画面を見せた。

 そこには仁南が写っていた。


「そうなんですね、ありがとうございます」

「敬語はいいよ、タメだから」

「え……」

 長身で大人っぽく見えるし、年上だと思っていた仁南は意外そうにもう一度見上げた。

「歩きじゃちょっと距離あるから、タクシー乗ろうか」

 まだ戸惑っている仁南をよそに、遥はさっさと歩きだした。


 しかし、また雑魚妖怪が足元に絡みついて歩きにくい仁南は、すぐ遅れをとってしまう。

「どうした?」

 遥は仁南の足元に群がる妖怪に気付いた。

「今度は雑魚に絡まれてるのか」

「えっ? コレが見えるの?」

「当然」

 仁南のところまで戻って、遥は一匹蹴とばした。


「見えるの!」

 感激で仁南は目頭が熱くなった。

「そんなに驚くこと?」

「初めてよ、同じものが見える人に会うの」

「そうなのか?」

 涙を浮かべる仁南のオーバーな反応に、遥はどう返していいかわからず照れたように頭を搔いた。


「これからはそんな友達がいっぱい出来るよ」

「そうなの?」

 堪えきれずに涙が零れた。

「そんな人が他にもいるなんて、思ってなかった」

「そうか、向こうでは独りぼっちだったんだ」

 遥は仁南の頭にポンと手を乗せた。


 男子にこんな風に触れられるのは初めてだった。

 仁南の顔はたちまち茹蛸。

「どうした?」

 そんな彼女の反応に、遥は小首をかしげた。

「い、いえ」


 その時、足元にいた妖が蜘蛛の子を散らしたように去ったことに気付いた。

「なんで妖怪はあなたを避けるの?」

「忘れてた、これ」

 遥はポケットからお守りを出し、仁南に差し出した。

 受け取ったとき、仁南はピリッと静電気が走ったような感覚に見舞われた。

「これは?」


「重賢さんの護符は効果絶大だからな、雑魚は寄せ付けないよ」

 それは事実なのだと、お守りを握りしめながら確信した。

「ほんとに徳の高いお坊さんなんだ」

「ま、見かけはアレだけどな」




(新しい土地で楽しい高校生活が送れる、高校にはきっと中学生とは比べ物にならない大人びたカッコイイ先輩がいる、サッカー部か、バスケ部か、バレー部か、もちろんエースよ。そんな彼が、さして特徴もなく目立たないあたしを見た瞬間、運命を感じて素敵な恋に落ちるの)

 などと、新幹線の中でしこたま妄想に耽っていた仁南は、さっそくイケメンに出会えた幸運を噛みしめて胸躍らせていた。


 とは言っても、あくまで妄想の世界での話だ。本当にイケメンと恋に落ちることがあるなんて思ってはいない。

 大好きな少女漫画で培われた妄想癖、妄想の世界ではいつもヒロイン、勝手な妄想で遊べば傷つくことなく楽しく過ごせる、リア充なんかあるわけないと最初からあきらめている。

 普通の人には見えない奇怪なモノが見えることに長年悩まされ続けている仁南は、そうやって自分の心を護っていた。


 自分に寄り付くあやかしたちは、見えない人にも悪さをする。悪影響を受けた人は、『佐伯さんといると不吉なことが起きる』なんて言い出す、陰でそう噂されているのを仁南は知っていた。


 今までも友達は少なかったし、こちらでも期待はしていなかった。だからせめて妄想を膨らませることができる素敵な王子様と出会いたいな、などと愚にもつかないことを考えていたのだが、今、その妄想のおかずが目の前にいる。


 仁南はドキドキしながら遥の後に続いてタクシー乗り場に向かっていた。


 その時、遥が突然足を止めた。

 ボーっとしていた仁南は止まり切れずに彼の背中にぶつかった。

「ごめんなさい」

 と言って見上げたその先、遥の肩越しに見えたのは、バス運転手のユニホームを着た中年男性。


「!!」

 仁南は声にならない悲鳴を上げた。

 仁南にはその男が人間ではないと、すぐにわかったからだ。


 仁南には妖怪の類が見える、そして人間に化けた妖怪も見抜ける。仁南の眼には本当の姿が映るのだ。

 冷たい汗がこめかみを伝った。


 真っ黒い剛毛で覆われた体、くすんだ赤い眼、口元から覗く鋭い牙、大きな手には鎌のような爪が伸びている。

 仁南の目に、運転手はそんな姿に映っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ