ジン
白猫は路地裏を歩く。
陽の光を遮り、暗く佇む家々、外壁は剥がれ、窓は割れたまま、路面はしばらく整備されていない。
普段の過ごす場所と比べ、人気はなく、寒気のような感覚がする。
ここは一味違って悪くないかもしれないと、気ままに、また道を曲がり、人間が一人通れるくらいの一本道を歩き出した。
「捕まえた」
急に横から体を抱き抱えられた白猫は首を傾げ、自分を捕まえた張本人を見つめる。
「お前……すました顔しやがって、夫人のところに帰るぞ」
見覚えのある彼には敵わない。今日の冒険はここまでにしよう。
「まったく、今回はスラムの方……あんまりこっちの方には行くなよ。危ねぇから」
何を言っているかよく分からないが、次もここに来ようと決めた。
ただ、不思議だ。
一本道を歩いていた。前も後ろも人間の気配は無かった。
なのに、この一本道で、横から抱き上げられたのだ。
捕まることには慣れた。探しに来る人間は大体、彼だからだ。でも、今日みたいに突然現れる。
何処から来たのか、どうやって気づかれずに近づいたのか、もしや、本当は人間では無いのかも。と正体を見破るように見つめる。
「そういえば、干し肉渡されてたな。ん……あった。ほい」
最近ハマってる干し肉を差し出してきた。つまり、これ以上の詮索はするな。ということか……ふむ、仕方ない、それで手を打とう。
干し肉を口で受け取り、咀嚼しながら、やはり、また考える。何処から来たのか、どうやったのか、本当は一体何者なのか。
結局よく分からないが、ただ、1つ言えるとするなら、
悪いやつじゃなさそうだ。
「あらぁ〜! 見つかったのですねぇ。良かったわ〜」
不機嫌そうな白猫を依頼主に引き取ってもらう。
「夫人、今回で七回目のロコちゃん探しだ。そろそろ何か対策を考えた方がいいんじゃないか?」
「そう言われても〜。私の元へ帰ってきてねってちゃんと言ってあるのよ? やっぱり、まだ私の愛が足りないのかしら! ロコちゃ〜〜ん! アナタは世界一可愛いわよ〜〜」
夫人は白猫のロコちゃんを頬擦りしながら撫で回し、
「本当に可愛いんだから! んちゅちゅちゅっ!」
彼女なりの愛を雨のように降らしているようだが、当の本人は本気で嫌がって、体をくねらせ暴れるほど抵抗していた。
自分だったら彼女の元に帰ろうと思わないな。とロコちゃんを捕まえる事に罪悪感が生まれたので、次からはゆっくり探すと決めた。
「ありがとう。ジンさん。また来るわ!」
「またって、同じ依頼をされないことを願うよ」
ロコちゃんを抱える夫人の代わりにドアを開ける。
「愛も程々に」
笑顔の夫人と疲れきったロコちゃんにひと声かけ、彼女達の背中を見送る。
「さて、行くか」
黒いトレンチコートに袖を通して、ポールハンガーに掛けていた黒いハットを被り、部屋を出る。
◇ ◇ ◇
依頼所兼自宅から少し歩いて、賑わいのある通りに出ると、昼下がりの時間帯である今、ここ商店街から屋台やら露店やら活気ある声が所々から聞こえる。
「また、広場でいいか」
ぼーっと、諸々考えながら目的地まで歩く。
「ジンさん! また笛を吹くのかい?」
「あぁ。たぶんな」
「ジンさん! 今日は活きのいい肉が手に入ったんだ! 今日の夕飯にどうだい? 買って行かないかい?」
「考えておくよ」
「あぁぁぁ! ジンさん! 助けてくれよ! 頼む! ジンさんしかいねえんだ!」
「そうだな。酒を止めて奥さんに謝るか、奥さんに謝って酒を止めるかの二択だ」
どっちも同じだろぉぉ、と叫ぶ声が聞こえるが、それよりも別の事を考える。
ここは、中世ヨーロッパを彷彿とさせる街『ミナン』
王都『イムアブル』の四つに区分された街の一つ。
そして、その『ミナン』に住み〝ジンさん〟と呼ばれるのは、
【ジン】
フルネームはジントニック。長いのでジン、ジンさんと略されることが多い。高い背丈に、ここでは珍しい黒髪、歳は23。街の何でも屋として暮らしている。
「まぁ、いつも通りでいいか」
考えるのが面倒くさくなってきた頃には、目的地に着いていた。
ここから歩くまでの道は、今朝、ロコちゃんを捕まえた場所とは違い、石畳が綺麗に整備されている。
そして、目的地である街の中心に位置する広場にはベンチ、街灯、噴水まで、街の中で一番交通量が多い場所なだけあって人の手が届いている。
噴水の前に腰掛け、黒いハットを傍らに置き、バッグから楽器を取り出す。楽器と言っても至高の逸品でもなんでもない、ただの木製の横笛。
横笛を口元に近づけ、歩きながら考えてた曲を吹く。
交響曲第九番 「歓喜の歌」。
簡易にメロディーラインを吹く。音楽家ではないので、演奏が特別上手ではない。演奏がしたい。ただの自己満足である。
一通り吹き終わると、七人ぐらいの人達に拍手を貰い、何人かハットにチップを入れてくれた。そして、聴いていた小さな女の子が、ジンに一輪の花を渡してきた。
「また、聴かせてね!」
そう言うと、満面の笑みで母親らしき人の元へ走っていった。
女の子から貰ったのは赤い薔薇。ジンは綺麗な色を眺めてから笛と一緒にバッグへしまう。
「そろそろ、いい時間だし、行くか」
立ち上がって、傾き始めた太陽を見て、ふと思い出す。
「活きのいい肉が手に入ったとか言ってたが、肉に活きのいい、とか言葉としてどうなんだ?」
独り言ちる。
「まぁ……美味いものならなんでもいいか」
そんなことを思いながら、手土産にするために、肉屋に寄ってから、いつもの店に行くことにした。
その後、肉屋の店主に聞くと「こう言えば、気になって店に来るだろ? こんな風に」と勝ち誇っていた。