カラス
夜の帳が下り、ある住居の一室。
「もうじき頃合いかなぁ。マタリ、待ってて、僕無しじゃ生きていけない身体になるからね」
暗い部屋で長い髪を垂らしながら男は植物を擦り潰す。
男の書斎らしき部屋には薬草の類が植えられている鉢、実験器具、書物などが机や床に並ぶ。
「マタリ。もう二人だけだからね。二人きりなんだ。フフフフフ」
「ご機嫌だな。『モズボス』」
「!? 誰だ!?」
その男──モズボスは振り返るが誰もいない。慌てるも棚から青い液体が入った試験管を取り出し構える。
「誰だ!? で、出てこい!」
声を裏返しながら叫ぶが反応はない。部屋の奥の暗がりを見ても誰もいない。すると、玄関のドアが開く音がした。
部屋を出て、玄関を見るとドアが開けっ放しになっていた。玄関から周りを確認するも人影はない。
「物も取られてない。一体なんだったんだ?」
不可思議な現象に首を傾げる。玄関のドアの鍵を閉め、モズボスは書斎に戻った。
「これは、マタリに渡してたのと同じ毒だな」
黒い外套にフードを被った男が背を向けて調合した粉末状の毒を興味深そうに持っていた。
「誰だ!?」
男は毒を置き、振り返る。
「ひっ!?」
男は黒い鳥の嘴──まるでカラスのような仮面をつけていた。
「お前は何者だ! 何をしにきた!?」
「何者かは知らなくていい。ただ、お前に会いに来た。色々と聞かないといけなくてな」
「何だ?」
モズボスは手を後ろに回して試験管を隠した。
「マタリに何で毒を盛った?」
「何の事だ?」
「とぼけんな。さっき気色悪いこと言ってたじゃねえか」
(聞かれていたか、やはり、この睡眠薬で眠らせるしかない。あの仮面でも顔にさえ当てれば何とかなるだろう)
「聞いていたのか、なら教えてやる」
にぃっと口を横に開く。
「愛だ」
「……」
「俺は一目見た時から運命だと感じた。俺の物にしなければ、そう思った。だから、俺だけを必要とするようにしたんだ。俺以外はいらない。お互いに必要とする。これは愛だ」
「だから、モカを森に行かせたのか」
「あの子供か。邪魔だったからな。知らない男の子供などいらない」
「そうか。最後に、その手に持ってる物はなんだ?」
「これの事、かっ!」
モズボスは男に試験管を投げる。
(眠れ!)
顔に向かって投げられた試験管は男にぶつかる……ことなく、キャッチされる。
「は?」
「投げるもんなんだな? ほら」
「うふぇっ!」
男は試験管をモズボスの顔面にぶつけると、割れる試験管の中身の液体が顔にかかる。変な悲鳴と共に液体から煙が上がり、モスボスは倒れた。
「睡眠薬か、丁度いい」
部屋の中を物色してから眠るモスボスを担ぎ、モズボスの自宅を出た。
◇ ◇ ◇
「♪ 〜」
「うぅ、ここは?」
何か音が聞こえ、モズボスが目を覚ますと、状況は掴めないが自室ではないことがわかった。
(クソ! 俺が眠らされたのか。手は自由だが、脚がロープで拘束されてる。今どこにいるんだ? 外にいる事は間違いないが、暗くて周りが見えない。ひとまず、このロープを!)
手でロープを解こうとしていると、
「やっと起きたか」
モズボスの目の前に先程の男が現れた。
「っ!! ここはどこだ!」
「ここか? ここは、『クライ森』だ」
「なに!? どうしてここに!?」
「うるせえぞ。ここはクライ森って言ったよな?」
モズボスは慌てて口を手で塞ぐ。クライ森で叫べば、それに釣られ、魔物が寄ってくるからだ。
「はぁ……」
男は仮面を外す。
「お、お前は! 『ジントニック』!」
仮面の男──ジンは、静かに佇む。
「何が目的だ? 金か? いや、マタリか? お前もアイツに惚れてんのか?」
魔物に気づかれないように声を潜めてジンに尋ねる。
「寝言は寝て言えボケが。求める物なんかねえよ」
「じゃあなんだ?」
「テメェのせいで、ガキがこの森で死にかけた」
「それがどうした?」
「…………」
「は!? まさか! ここに置いていく気か!? ふざけるな…………あ、うぇ」
モズボスの視界が歪む。
「彼女に飲ませてた毒をお前にも飲ませた。部屋にあった全ての毒を」
「おおえっ、く……そ! くっそ、が!!!!」
嗚咽混じりに、涎を垂らしながら叫ぶ。
「たす、けて、お願いだ! うおえ、あぁ、なんでもする! …………っ助け……て!」
「俺は助けないが、アイツなら助けてくれるかもな?」
ジンが親指で後ろを指す。
「グルルル」
「嘘、だろ?」
指差す方向には、ゴアウルフが、今か今かと獲物に狙いを定め、ゆっくりと歩いてくる。
「この街に、テメェみたいなゴミはいらねえんだよ」
「待ってくれ、はぁ、たすけ、て! おねがい、だ。死に、た、くない」
モズボスはジンに縋り付く。
「女を毒で苦しめ、ガキを森へやって殺そうとした。なら、同じことされても文句は言えねえよなぁっ!」
ジンはモズボスを蹴り飛ばす。
「この街の平和の為に」
一言だけ残し、消えた。
「ひぃっ! ひは、く、くるな! おぇ! くるな!」
後退りしながら手を振り回すモズボス。
しかし、ゴアウルフは助けるつもりはない。喰うモノと喰われるモノの関係、彼は、ただの餌だ。
「♪〜」
ジンは鼻歌を歌う。ジンの歓喜の歌を。
静寂に包まれ、暗闇に満ちるこのクライ森で、小さくも鮮明に一人の鼻歌が響いた。