ああ、ザクロよ腐れ
木々に釣り下がるザクロを観た。
こんなところにザクロなど植わっていたのかと思いしげしげと眺める。
ザクロの花がどんなものかは知らないが、いったいいくつの花が咲き、そのうちの幾つが実となり、その中の幾つが食べられる大きさになるのだろうか。そもそも、他の実を大きくするために木の持ち主によって断ち切られた花や実もあるかもしれない。
しかし、私には大きく立派に実ったザクロしか見ることはできない。
ザクロから目を戻して、帰路につく。
いつも通りの日々が過ぎ去る。ここは、小さな工場。私は工員ではない。設計士でもない。
ただの事務員である。しかも、ここで一番やる気がない事務員だ。勿論、仕事はまじめにやる。どちらかと言えば、仕事の内容も丁寧で早い方だと思う。たまに褒められることもあるし、それなりに頼りにされているとも思う。
しかし、やる気はない。できることならば、今の仕事をすべて投げ出して、誰もいない何処かに行けたらどれだけいいかと思う。職場の誰にも言ったことはないが、この仕事が嫌いだ。特に思うのが、誰からも必要とされていないのに慣例やえらい人間の思い付きで作られる書類を処理している時だ。この何の意味もなく印刷されて、場所を取り仕事の手間を増やしているこの世の不合理の権化のような存在だ。
「これ頼むよ。」
そんなことを考えている間に、新しい書類がやってきた。何も考える必要はない、定型的にさっさと処理を済ませてしまおう。
文字というモノは、人類最大の発明品だと思う。形もなくとらえどころもない情報を他者に伝え保存さえ可能なのだ。現代においては、ある程度の思考力とでも言うべき能力を持って人間の思考的な仕事を補助するコンピュータもプログラム言語という文字によってつくられているというのだから驚きだ。
その文字を、無為に乱造しては捨てていくのだ。
鐘がなる。私はさっさと帰るが、工員や設計士の人は休憩してまた働く人もいる。交代でやってくる人もいる。ここは工場にしてはましな方らしく、場所によればどこまでも残業するようなところもあるらしい。恐ろしいことだ。
挨拶をして、机を片づけ、事務所の扉を開けて私は出ていく。事務所にはまだ、人が残っているがあれは本人たちが就業中におしゃべりやスマホやらで時間を浪費した結果だ。どうする気もない。忙しいときは引き留められることもあるが、今日はすんなりと帰ることができた。
事務所から出て、すれ違う休憩に行くらしい工員の人にあいさつをして、駐車場へ向かう。
そこには、何の変哲もない軽自動車が居座っている。扉を開けて、カバンを助手席に追いやり、乗り込む。そして、田舎道を進んでいく。帰宅途中の道と言うのは、不思議なもので何も考えずに運転しているだけで家に着けているような気さえする。
そんな帰り道は、どうやって仕事をやめるかを考えるのだ。何の仕事もせず生活がしたいと夢を見る。車の中に思惑が広がり、少し寂しい気持ちになる。
結局のところ実にならなかった夢を思い出し。無に帰した努力を空しく思い。社会に埋もれて誰の目にもとまらない存在になった、何もできない自分を苦しく思う。
後ろ手に玄関の扉を閉めた。
家に帰ったところでやる事も、やりたい事ももうないのだと思ったが、実態はその逆なのだ。やりたい事は山ほどあるのだ。山ほどあるやりたいことに、手を尽くした結果が今なのだ。
財布を持ってスーパーへ行った。どうにも考えすぎて今日は、暗い気分になってしまった。今日はどうにも料理する気になれないので惣菜でも買おう。そして、炭酸の入った飲み物でも飲んで気分を変えよう。
帰り道に行儀は悪いと思いつつジュースをラッパ飲みしながら歩いた。いつか見たザクロの木に気が付いてみてみると、実はもうなくなっていた。
ジュースを一気に飲み干した。炭酸の泡が砕けながら、喉を駆け下りていく。
ザクロの実を羨む様な、蔑む様な気持ちが脳を埋め尽くした。言いたい言葉はいろいろと浮かんできたが、ただ一言。
「へ」
私はそう言った。