第9話 企画再始動
「え、本当ですか!?」
遥は思わず聞き返した。珍しいことに表情を取り繕うことを忘れている。
用件を伝えた柿本自身もまた理解に苦しむと言った風体だ。無理もない。
二人がいる場所は、大手出版社であるK社の地下スタジオ。
『空野 彼方』として小説の打ち合わせを行い、『空野 かなた』としてグラビアを撮影する。
遥がK社の本社ビルを訪れるときの、よくある行動パターン。
ちょうど撮影がひと段落して休憩していたところであった。
別件の打ち合わせで遅れてやってきた柿本が浮かない顔をしていた。
そんなマネージャーから伝え聞いた言葉に驚いた遥の声が、広いスタジオに響き渡る。
「どうしたの、かなちゃん?」
少し離れたところで証明の具合を確かめていたカメラマンが聞いてくる。
「あ、いえ、何でもありません」
柿本が咄嗟に返すも、動揺が顔に出てしまっている。
こういう時に腹芸の苦手な柿本はターゲットにされやすい。
普段は信頼のおける誠実な人柄がもろに裏目に出てしまう。
「そんな顔して『何でもない』ってことはないでしょ~」
しつこい奴だと思ってみても、その不快感を気取られるわけにはいかない。
慌てて笑顔を作り直し、その裏で思考を巡らせた結果――
「……この間の企画をもう一度やりなおすそうです」
「この前というと……アレを?」
興味津々といった態度で尋ねてきたカメラマンも眉をしかめた。
ある意味業界を震撼させた、件のAプロとS社による合同企画である。
グラビア撮影中にAプロ社長の大場が変死を遂げたのは、もはや周知の事実。
そんな曰く付きの企画を再び……なんて言われたら、誰だってひとことモノ申したくなる。
「聞くところによると『追悼 大場茂』で一回り大きな企画になるとか」
おずおずと柿本が続ける。
「いくらなんでも不謹慎だと思いますけど……」
「まぁ、Aプロがそう言ってるわけでして、その……」
大男が身体を縮こませて溜め息をつく。
それだけで遥は柿本の言わんとするところを理解する。
「要するに、Aプロの権力闘争に巻き込まれたってことですか」
柿本は無言で首を振った。縦に。
大場茂は芸能界において突出した存在だった。
彼の部下は大勢いたけれど、誰も大場の背中に追いつくことはできなかった。
そんな大場が唐突の死を遂げた今、残された者たちは生き残りのために、あるいは飛躍のために必死にその存在感をアピールしている。
たかがグラドルの撮影と言うなかれ。『大場が最期に足を運んだ現場』という事実こそが彼らにとっては重要なのだろう。
名前を売ってナンボの業界だとわかっていても、外部の人間としては『そんなことやってる場合か!』と言いたくなる。言わないが。
「それで、かなたさんにもぜひ参加してほしい……というか」
「参加は決定事項って感じですか」
「はい……すみません」
申し訳なさそうに身体をすくめる柿本。
生真面目に過ぎるこの大男からすれば、こんな危険な香りがプンプンする企画に遥を参加させたくないというのが本音だろう。
「私は……」
脳裏に蘇るのは――大場の死の瞬間。
小説では何度となく『人殺し』を行ってきた遥だが、実際に目の当たりにした『理不尽な死』からは言葉にし難い不快感と恐怖、そしてある種の絶望を感じずにはいられなかった。
事件から一か月以上たった今でも時々夢に見るくらいに、精神的ショックを受けたあの一件。未だにうなされて夜に目が覚めることもある。
一介の女子高生『高遠 遥』としては、面倒事にはこれ以上関わりたくないと思う。
しかしその一方で、グラビアアイドル『空野 かなた』としては、大手があちらから手を差し伸べてくれたチャンスを逃したくないという気持ちもある。
相反する二つの心の間で揺れ動く遥が選んだのは――
「……私は大丈夫です。やります」
自身の欲望に忠実な答えだった。強欲だという自覚はある。
人気商売は、名前を売らなければならない。
誰にも知られず気付かれず、手に取ってもらえない。そんなことになったらおしまいだ。
今の『空野 彼方』と『空野 かなた』を作り上げた原体験、処女作の大参事が15歳の少女の中でいまだに尾を引いている。
★
「私、今度の週末に泊りの仕事があるから」
帰宅した遥が新しく入った案件を告げると、両親とそして一歳年下の弟はそろって目を丸くした。
一家そろった夕食のテーブル。高遠家は遥を除いてごく普通のご家庭である。
娘の芸能活動については――デビュー当初は日夜親子喧嘩を繰り返したものだ。
今でこそ遥の意思を尊重し応援してくれてはいるものの、内心はどうなのか遥にもうかがい知れない。
柿本というお目付け役の存在がなければ、確実に反対されているだろう。その点だけでも遥は柿本に感謝している。
「週末って急すぎない?」
母はそこに引っかかっているらしい。
「私が一番下っぱなんだから、しょうがないでしょ」
「それはそうかもしれないけど……ねぇ、あなた」
「……学校の方はどうなんだ、遥?」
妻から水を向けられた父親が心配するのは、娘の学校生活。
高校生は学業第一。昔から堅苦しいところのある父であった。
「ん~、別に普通だけど」
「成績は大丈夫か?」
「大丈夫、問題ない」
遥はもともと学校の成績は悪くない。
小説執筆とグラビア撮影、両者の合間を縫って勉強時間は確保している。
「なら、言うことは特にない」
散々言い争った父と娘との間で最終的に結ばれた協定の一つ。
成績を維持することが遥の芸能活動を容認する条件であった。
そして、遥は現在のところこの条件を常に満たしている。
ゆえに、父は何も言えない。たとえ娘をどれほど心配していようとも。
「ありがと」
「で、姉ちゃん今度はどこに行くわけ?」
続けて尋ねてきたのは弟の望。近所の中学校に通う三年生。
野球部に所属しており、中学校最後の大会に向けて日々練習に励んでいる。
ようやく春が終わろうという季節だというのにその肌は健康的に焼けている。
「『ホテル・オールブルー』」
「そこって……」
「前の仕事の続きだって」
絶句する望。遥のロケ先であり業界のレジェンドである大場の死に場所。
その名は一般の中学生にまで知れ渡っている。
まあ、遥の弟を一般人と呼ぶべきかどうかは議論があろうが。
「この前は桐生さんのサインもらってる余裕なかったから、今度話してみるね」
「いや、それは別にいいけど」
「遥、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だって」
心配そうに見つめてくる一同に自信満々に笑みを返す遥。
この仕事を始めてから、笑顔を作るのだけは上手くなっているのである。
★
週末――土曜の朝、遥たちが訪れた『ホテル・オールブルー』は物々しい気配に包まれていた。
大半のメンバーは先日の撮影時と変わっておらず、笑顔であいさつすると『二日間、またよろしく』と返事してくれる。
しかし、中にはこの前に居なかったはずの顔もあり――
「何やってるんですか、刑事さん」
撮影現場の片隅で相変わらずむすっとしているのは『四角い』山口警部補。
その隣では妙にソワソワと当たりを見回す『ひょろ長い』我妻。
二人とも、先日かなたプロダクションで顔を合わせた捜査一課のメンバーである。
「仕事だ」
「おはよう、はる……いや、かなちゃん」
取り付く島もない山口と、やたらと愛想を振りまいてくる我妻。
喫茶店でのやり取りを経たせいか、現場では遥の本名を口にするのを避けてくれている。
底知れないところはあるけれども、人間味がある我妻の方が随分マシ――正確には山口だけが周囲からかなり浮いている。
「お仕事ご苦労様です」
殊勝に頭を下げておく。
「……まったく、信じられん」
不機嫌を隠そうともしない山口。
死者が出て――おそらく殺人――いるにもかかわらず、企画を強行しようという考え自体が理解の範疇の外にあるのだろう。
遥も全くもって同意見ではあるが、仕事を貰う立場としては人前で不満を口にするわけにもいかない。
「まあまあ、そう尖がらないでくださいよ、山口さん」
「ふん」
鼻息荒く立ち去る山口の背中を目で追いつつ、
「追いかけなくていいんですか?」
「源さんは僕よりずっと年上だよ?」
言外に『お守りは勘弁』という我妻の本音が漏れ聞こえるようだ。
山口の姿が見えなくなるや否や大きな欠伸を漏らす。
「ま、源さんの気持ちもわからなくもないけど」
「けど?」
「何も言わなくても事件の関係者が再び集まってくれるんだから、別にいいんじゃないのって感じ」
ニヤリと口の端を歪めたその顔は、ただの能天気な若者ではない。
この男も立派な曲者であるという認識を新たにした。
「相変わらずですね」
遥としては苦笑せざるを得ない。
「それに、現役グラドルの撮影現場に潜入なんて、こんなおいしいシチュエーション見逃せないって」
……ニヒルな顔は一瞬で消え去り、すぐに元に戻ってしまった。
これまでのやり取りの中で、どっちもこの男の本音であることは十分に理解している。
「ほんと、相変わらずですね」
――撮影の邪魔にならないなら、別にいいか。
今回に限って言えば、難しい大人の話はAプロがつけてくれるだろう。
何と言っても主催者様なのだから。どういう手段かまでは遥が気にすることではない。
「前より安全なのは確かだと思うよ」
「よろしくお願いしますね」
撮影に不安があること、万が一何かトラブルが発生した時に備えて警察がいてくれた方が助かることは事実であった。
★
『谷川 雫』と『桐生 なぎさ』の両名がホテルイン、程なくして撮影が始まる。
前回とほぼ同じスタッフが集結しているにもかかわらず、雰囲気は固い。
今は亡き大場の件、そして――
「うひょー!」
紛れ込んでいる異物――警察の存在。
――でも、我妻さんは結構馴染んでるような気も……
我妻は、アイドル三人そろったところで歓声を上げ、水着姿を披露した時には奇声を上げ、そして撮影が始まると身をくねらせて感動している。
奇行を見せるたびに隣の山口に小突かれているが、態度を改めるつもりはないらしい。
「あの人、場になじみすぎでは?」
「ねぇ」
思わずつぶやいた言葉を拾われる。
カメラの前でポーズを決めているのは『谷川 雫』であり、遥の隣りで共に見学――しつつ我妻に呆れているのは『桐生 なぎさ』である。
「前にお会いした時も思ったけど、変わった人よね」
「ですよね。警察というよりなんか普通のファンって感じで」
「そうそう!」
警察とは思えない我妻をネタに盛り上がる。
遥としては、この前の撮影ではなぎさとはあまり話す機会がなかったので、これだけでも我妻に感謝していなくもない。
前回のなぎさは……何と言うか見ていて悲壮感に溢れていた。もちろんカメラの前では笑顔だったが。
我妻情報のとおり、よほど水着グラビアの仕事が嫌だったのだろう。
勿論、今回もその点は変わらないのだが……今回は前と比べて多少リラックスできている様子。
――まさか我妻さん……そんなわけないか。
頭の中に浮かんだ妄想は一瞬でかき消された。
「かなたちゃん、そろそろ準備してくれる?」
「はい」
スタッフに声を掛けられるなり、『じゃあまた後で』となぎさとの会話を打ち切り撮影モードへ移行する。
遥の動きを目ざとく察知した我妻が今日イチのテンションで盛り上がっている。
「やりにくいなぁ、もう……」
今までで一番難しい現場かも知れない。遥は軽くため息をついた。
順調とは言い難いまでも初日の撮影は終了。
機材の撤収に入るスタッフを前に我妻が一言。
「あれ、今日は『親睦会』はないの?」
「……それはこの前やりましたから」
「なんだ、残念」
心の底から漏れた我妻の本音に、遥としては苦笑を返すしかなかった。