第7話 被害者・事件概要(我妻調べ)
遥に関する情報を整理して、コーヒーを飲んで一息ついてから、我妻は話を続ける。
「それで、被害者の大場氏についてなんだけど……」
『大場 茂』享年58歳。
業界最大手の芸能事務所であるAプロダクション代表取締役社長。
下腹がだらしなく緩んだ大柄な体型と脂ぎった肌。
後ろに撫でつけられた髪は黒々としており、眉と唇は分厚い。ギョロギョロした目つき。
もうすぐ60歳に差し掛かろうかという大場だったが、そのエネルギッシュな外見は40代前半と言われても違和感はなかっただろう。
長らく芸能界をけん引し、多くのアイドルを輩出してきたクィーンメーカーでもある。
「大場さんについては私はあまり詳しくないんですが……」
業界の中央に君臨する大場と、辺境暮らしの遥にはあまり接点がない。
「これまでに会ったり話したりしたことは?」
「あの現場で初めてお会いしました」
「ふむふむ」
「今回の仕事を回していただいたので、普通に挨拶して少しだけお話させていただいて……」
「そこのところ、もうちょっと詳しく」
身を乗り出してくる我妻に驚き、僅かに身を反らせる遥。
自然と胸を強調するようなポーズになってしまう。
案の定、我妻の目は遥の胸元に釘付けである。
不躾な視線を真っ向から受け止め、思考を走らせる。
――あまり余計なことを口にすると、碌なことにならない……気がする。
しばし視線を彷徨わせ、言葉を探す。
その結果――
「……特にこれと言って何も」
まっすぐに我妻の眼を見つめて応える。
遥と我妻、二人の視線が交錯しテーブルに沈黙が降りる。
「ふ~ん……まあ、別に良いか」
我妻は身体を引いて、手元のメモをめくる。
「大場さんの死因は何だったんですか?」
「毒殺」
「毒殺?」
おうむ返しに問う遥。
疑問を覚える一方で納得もする。
誰も直接手を下してないあの状況、一番ありうるのは毒殺だろう。
「うん。司法解剖の結果、体内から遅効性の毒が検出された」
「遅効性……」
大場の死亡時刻に撮影現場にいたからと言って、アリバイがあるとは限らない。
つまり、事件当時あのホテルは怪しい者だらけだったということだ。
そんな環境で撮影が行われていたという事実が、遥の心胆を寒からしめる。
知らず、身体を抱きしめる。
「他に何かわかったことは?」
「う~ん、体内の残留物を調べたところ、毒は経口摂取の可能性が高いとされてるね」
「経口摂取ということは……」
食べ物、飲み物あるいは嗜好品の類か。
そこまで想像したところで、先日我妻が大場の昼食について尋ねてきた際に、遥は『ホテルのレストランではないか』と推測を口にしたことを思い出す。
――あれは、そういう意味だったのか……
「大場氏が口にした食べ残しや飲み残しは調査済み」
昼食だけでなく、当日分は片っ端から調べつくしたとのこと。
さすがの警察力と感心させられる。
「……毒は?」
遥の問いに我妻は首を横に振る。
残念……とは思わなかった。そんなところはとっくの昔に潰されているだろう。
発見されていれば、わざわざはるかに話を聞きになど来るまい。
「ちなみに当日の大場氏はレストランでお昼を食べてない」
何気なく呟かれた我妻の言葉が遥の耳朶を打つ。
「え?」
「ルームサービスを利用したみたいだね」
廊下の監視カメラにその様子が映っていた。
料理を乗せた大きめのワゴンが大場の部屋に入り、しばらくしてからホテルマンが回収。その一部始終が記録されていた。
我妻はシャーペンの尻でこめかみを叩きながら続ける。
「その、すみません。間違ったこと言っちゃって」
意図したわけではなかったが、捜査をかく乱してしまったかもしれない。
素直に遥が謝ると、
「うん? 別にいいよ。遥ちゃんはその場にいなかったんだから」
頭を下げた遥のことは特に気にしていないように見せかけているが、暗に『お前は容疑者リストから外れていない』と言われた風に聞こえてきて、遥は笑みを強張らせる。
「で、そのルームサービスについて調べたけど、これもやっぱりハズレ」
我妻曰く、捜査本部では今も怪しんでいるとのこと。
ホテルぐるみの犯行の線を徹底的に洗っているらしい。
……などと言うあたり、我妻自身はあまりこの説を採る気がない模様。
ホテルが大場を殺害する理由というのも、特に思いつかない。
我妻が乗り気でないのもわからなくはない。
「はぁ……」
食べ物も飲み物もだめとなると、残るは嗜好品の類になりそうだが……
「知ってるかもしれないけど、大場氏はタバコは吸わない。当日は酒も飲んでないね」
つまり、嗜好品の線も薄い。
どこから大葉の身体に毒が入れられたのか、そこが判明していない。
捜査が進まない原因はここにあるらしい。
チラリと視線を投げてくる我妻がさらに口を開く。
「何か気になることでも?」
「ああ、いえ、大したことではないんですが……」
「何でもいいよ。気になったことがあるんなら教えてほしい」
「その……大場さんがルームサービスで昼食って、ちょっと想像がつかなくって」
なるほど、と相づちを打ってページをめくる我妻。
「僕もそこまで詳しいわけじゃないけど、被害者は何というか……派手? 豪快? そんな感じだよね」
「ええ、まぁ……」
大手事務所のトップにして業界ナンバーワンの敏腕。
伝え聞く限りの噂から想像される大場像は、ホテルの自室でひとり寂しく食事を済ませるような人間ではない。
我妻の言うとおり『派手、豪快』というのが一般的に認知されている大場のイメージだ。
例えば――昼間からレストランを借りきって分厚いステーキをワインで流し込むような……これはさすがに偏見だろうか。
「でも、社長なんだから忙しくてレストランで食べてる時間がなかったとか……」
「そうですかね……いや、ちょっと待ってください」
我妻の言葉に首肯しかけて、引っ掛かりを覚えた遥はストップをかける。
「何かわかった?」
「いえ……そもそも大場さんは何であんなところにいたのかなって」
「なんでって、そりゃ自社のアイドルがいるからじゃないの?」
我妻には遥の言葉が理解できないようだった。
他業種の人間にどう説明すればよいか、言葉選びが難しい。
「ウチみたいな零細ならともかく、大場さんはAプロの社長ですよ。いくら猛プッシュしてるからってグラドルの撮影現場に顔出すなんて……」
「よくわかんないけど、そういうもんなの?」
「どうせ現場に顔を出すなら、ビッグネームのところだと思いますよ」
Aプロにはテレビに映画に引っ張りだこの大人気女優やタレントも大勢所属している。
彼女らを差し置いて一介のグラビアアイドルを優先する理由がわからないと遥は補足した。
「警察に例えるなら……引ったくりに警視総監が出てくる、みたいな?」
「……それは、引っかかるね」
極端すぎる例えだとは思ったが、我妻の注意を喚起することはできた。
「でも、僕が調べた感じでは大場氏は結構頻繁にあのホテルに足を運んでたみたいだけど」
「そうなんですか? その時の仕事は?」
「色々だね。現場を大切にしてたってことじゃないの?」
「ふ~ん」
「プライベートでも利用していた記録が残ってる」
大場があのホテルに執心しているということだろうか。
悪いホテルではなかったけれど、特筆するようなところもなかったように思う。
芸能界のドンともなれば、もっとグレードの高いホテルにだって泊まれるだろうに。
東京都ではあるものの立地は郊外。仕事でもプライベートでも使い勝手がいいとも思えない。
――大場さん、なんであのホテルに?
黙って自分の思考に潜ってしまった遥の姿を見て、我妻が折衷案を提示する。
「じゃあ、その辺は僕が改めて調べてみるよ」
「……すみません、変なこと言って」
遥としては、自分のせいで殺人事件を担当している刑事に無駄足を踏ませるかもしれないと考えると恐縮してしまう。
「いやいや、その道のプロが『おかしい』って言ってるんだから、僕としても気になるしね」
何も見つからないなら、それはそれで構わない。
笑いながらチーズケーキを口に放り込み、コーヒーで流し込む我妻。
……大場殺しとホテルにはあまり関係がないと感じているらしい。
「折角だからついでに聞いておきたいことがあるんだけど」
「……なんですか?」
わざわざ前置きして聞いてくるあたり、何が飛び出してくるかわかったものではない。
身構える遥に近づくように手振りしてくる。怪訝に思いつつ遥が耳を寄せたところに、
「大場氏の黒い噂、知ってる?」
★
「黒い噂……ですか?」
「うん」
「……具体的にはどう言った感じのお話でしょうか?」
問いながら、遥はつばを飲み込んだ。いつの間にかテーブルの下で拳をぎゅっと握りしめている。
背筋を冷や汗が伝うような感覚を覚える。緊張――している。
いきなり室内の温度が上がったような、そして暗くなったような感じがする。
「そうだね……僕が聞いたところでは……」
曰く、逆らうと仕事を回してもらえない。
曰く、新人たちをブラック企業も裸足で逃げ出す過酷な環境でこき使う。給与はゼロ。
曰く、裏社会とのかかわりがある。
「そして、アイドルを囲う」
「『囲う』と言うと?」
「ぶっちゃけると肉体関係」
『15歳の女子相手にそんなこと聞くか!?』と呆れるくらい率直だった。
デリカシーの欠けている人物なのかもしれない。あるいは必要性を感じていないか。
我妻の中の大場像は相当に歪んでいると推測される。
「……」
「『仕事が欲しければ股を開け』なんて話もある」
「……業界あるあるですね」
あっけらかんとした我妻の言葉に、顔を強張らせる遥。
美男美女がひしめき合う業界だけあって、その手の醜聞には事欠かない。
「自分で言っといて何だけど、これ本当なの?」
眉をしかめ、声をひそめる我妻。
「……私はAプロの内情にはあまり詳しくないので」
遥も顔を近づけ言葉を濁す。自然と声は小さくなる。
あまり人の目につくところで、大きな声で話したい内容ではない。
互いの吐息を肌で感じる距離だが、生憎というべきかロマンもクソもない。
別に我妻相手に雰囲気を出したいとも思わない。
「否定はしない、と」
「私たちが自分の身体を衆目に晒して男性の性欲を煽り立ててるのは事実ですから、そういう噂が立つのもわからなくはない……です。すみません、それ以上は、ちょっと……」
遥はそう言って我妻の追及を避ける。
『壁に耳あり障子に目あり』と言う。同業他社の悪い噂を口にすることは憚られる。
失言からの炎上は勘弁してほしいところだ。
「なるほど……色々あるみたいだね」
「ええ、その、まあ……」
大場は良くも悪くも目立つ存在であった。ゆえに、どこで怨みを買っているかわかったものではない。
抱く憎悪の激しさが殺意に繋がるというのなら、大場の死を願う人間は少なくないだろう。
「さらに社内の権力闘争もある」
「……大場さんの力は圧倒的だったと思いますが」
その話は、遥にとって意外なものだった。
芸能界全体を見渡しても、大場と伍する存在と言うのは想像しがたい。
ましてや社内だなんて話にならない。殆ど大場のワンマン体制だったのではないか。
少なくとも外部の人間から見たAプロとはそういう事務所である。
「下の人間からしてみれば、さっさと消えてほしいと思ってるだろうね」
我妻の指摘は鋭く、返す言葉もない。
なにしろ遥自身、今の我妻の言葉でなんとなく腑に落ちた部分があるのだから。
『ああ、やっぱり』
記憶の中で形容しがたい形相を浮かべて崩れ落ちた大場。
その死にゆく姿を目の当たりにして、遥もまた胸の内でそう呟いたのだ。