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第6話 『高遠 遥』(我妻調べ)


「やあ」


『かなたプロダクション』に刑事二人がやって来てから数日後。

 学校からの帰り道、聞き覚えのある声に呼び止められた遥が振り返ると、そこにいたのはひょろりと背の高い男。

 整った造作の顔にだらしない表情。そしてこれまた微妙に残念な着こなしのスーツ。

 

「我妻さん……でしたっけ?」


「そうそう、憶えててくれて嬉しいよ」


 相好を崩す我妻。微妙に見えて、これでもれっきとした捜査一課の刑事。

 遥の想像している『エリート』像とは全くもって重ならない人物。

 先日大場の死について遥に話を聞きに来た二人組の片割れであった。


「ちょっと話を聞きたいんだけど、いいかな?」


「……我妻さんおひとりですか?」


「うん。源さん……山口さんとは別行動」


 我妻の言葉にしばし迷う。

 殺人事件の解決のために警察に協力することは、別に構わない。

 ただ――何となくこの男は油断ならない。理由がわからないというのが不安に拍車をかけてくる。

 どうにも、頭の片隅で警報が鳴っているように感じるのだ。


「あ、若い男と二人っきりってかなちゃん的にNGだったりする?」


 煮え切らない様子の遥を見て何か勘違いしたらしい我妻が、そんなことを口にする。


「いえ、別にそういうわけではないです。我妻さんは警察の方ですから、その辺りは大丈夫かと」


『もし何か問題が起きたらそっちで何とかしろ』

 言外にそう匂わせると、わかっているのかいないのか、我妻は大きく頷いた。


「じゃあ、ちょっとついて来てくれる?」


「……はい」


――まぁ、いいか。


 我妻に案内されて遥が足を踏み入れたのは、表通りから離れた喫茶店だった。

 外観はいっそ殺伐と言ってもいいほどだったが、中は意外なほどに落ち着いたお洒落な雰囲気。

 薄暗い店内には客はほとんどおらず、密談にはもってこいのロケーション。

 入り口からは見えない奥のテーブルに案内されて腰を下ろす。


「ここ、穴場なんだ」


 きょろきょろと見まわす遥に我妻が声をかけてくる。

 ……念のために出口を確認していたとは言えない。


「何でも好きなものを頼んでいいよ。ちなみに僕のお勧めはチーズケーキ」


 注文を取りに来た店員に、すかさずコーヒーとチーズケーキを頼む我妻。


「私は……それじゃレモンティーをお願いします」


「あれ、ケーキ食べないの?」


「……甘いものはあまり食べないようにしてるんです」


「辛いものの方が良かった?」


「そうじゃなくって。夕飯の前にケーキなんて……太るじゃないですか」


「あ、ごめん」


『太る』という単語に我妻が反応した。

 どうやら遥の事情に思い当たったらしい。

 日々の節制が魅惑のボディを形成するのである。


「折角お誘いいただいたのに、すみません」


「いや、僕の方こそごめんね。そういうのってやっぱり気にするんだ?」


「身体が資本の商売ですから」



 ★



 遥の前にはレモンティー、我妻の前にはホットコーヒーとチーズケーキ。

『それじゃ、失礼して』と一言、我妻はフォークでチーズケーキをカットして口に放り込む。

 流れるようなスイーツシーンに遥の口中に唾が沸き上がるも――我慢。

 誤魔化すようにレモンティーを口に運ぶ。程よい酸味と芳香が口腔に広がっていく。


「いや~、こういう所に男一人って入りにくくってさぁ」


――絶対ウソだ。


 遥の目の前で甘味に舌鼓を打つ男のあまりに手慣れた所作を見る限りでは、この男、多分常連。


「勤務時間中に可愛い女の子と美味しいケーキ。幸せだなぁ」


 緩んだ顔で駄目な大人の典型みたいなことを口にしている。

 警察とは一体……


「……帰っていいですか?」


「あ、ごめん。それじゃ話をしようか」


「……山口さんに怒られるんじゃありません?」


 能天気な我妻にチクリと一言。


「かなちゃんが気にすることじゃないって」


 厚すぎる我妻の面の皮には全く効果がない模様。

 遥は軽くため息をついた。

 ただ――気になる部分については釘をさしておく。


「あの、プライベートでは名前で呼んでくれませんか?」


「え? いいの?」


 目を丸くする我妻。嬉しそうだ。

 警察というより、これではただの――


「勘違いしないでください。仕事とプライベートを分けてるだけです」


『空野 かなた』の顔はそれなりに売れているのだ。

 人気急上昇中のグラビアアイドルとうり二つ(というか本人だが)の人間が外で『かなちゃん』と呼ばれてしまうと、他人の邪推を招きかねない。

 例えそれが人目につかない場所であろうとも。こういうものは心構えの問題。気を抜くといざという時に失敗することになる。


「あ、そう……」


「それで、本当に大丈夫なんですか?」


「源さんのこと? 別にいいよ」


「そんなあっさり……警察が民間人に情報を漏らすのってマズいんじゃ……」


 あまりにもあっけらかんとした我妻に、思わず眉を顰める遥。

 特にあの山口という警部補は昔気質というか、頑固者というか、そういう所には人一倍うるさそうに見えた。

 我妻自身がどうなろとも知ったところではないが、遥に面倒が降りかかってくるのは御免だ。


「僕は事件さえ解決できればいい。事件から一月たって捜査は行き詰ってる。これまでと同じやり方を続けても意味ないし」


「はぁ……」


「もちろん秘匿すべき部分は弁えてるし、何か問題が起きたら僕の名前を出してくれればいいから」


「ずいぶんご執心なんですね。自分の手柄になるからですか?」


「手柄も別にいらないなあ。殺人犯を野放しにしたくないってだけ」


 遥の揶揄を軽く流す我妻。ますます人物像が見えない。

 ただ、殺人犯を野放しにできないという点だけは遥も同意できる。


「そうですね。私も仕事をご一緒する誰かが人殺しだなんて疑っていたら、これからの仕事に差し障りが出そうです」


「推理作家としては美味しいシチュエーションな気もするけどね」


「自分が巻き込まれないという前提があれば、です」


 そりゃそうだ。

 我妻は初めて心からの笑みを見せた……ように思える。


「ところで、何で私なんですか?」


「ん? どういうこと?」


 我妻は、遥の言葉の意図を掴みかねると言った風に首をかしげた。


「だって……私が犯人かも知れませんよ」


 冗談だけど。


「ああ、そういうこと。う~ん、なんていうか刑事の勘、みたいな?」


「……失礼ですけど、お年は?」


「はは、まだ二十代」


 捜査一課に入るには功績をあげて推薦されなければならないと聞く。

 振る舞いはアレだが、二十代で捜査一課に配属されるということは、やはり相当な能力を持っているのだろう。

 油断のならない人物であるという遥のイメージと矛盾しない。


「本当に、大丈夫なんですか……」


「大丈夫だって。責任は僕が取るから」



 ★



「とりあえず遥ちゃんについて調べたことから確認させてほしい」


「どうぞ」


「それじゃ、早速」


 おそらく自筆と思われるメモを読み上げる我妻。


『空野 かなた』そして『空野 彼方』。本名『高遠 遥』15歳。

 現役女子高生にして、小説家兼グラビアアイドル。

 2年前にK社から処女作を出版。ジャンルはミステリー。


「これ、何歳ぐらいのときに書いたの?」


「結構推敲に時間がかかったから、書き始めたのいつぐらいだったかなぁ」


「しかもミステリーって、渋すぎるでしょ」


「祖父の影響なんですよ」


「しかしこの処女作が……」


 言い淀む我妻。遥の頬が軽く引きつる。


「サッパリ売れなかった」


「ええ、そりゃもう酷い有様で……」


 無名の新人とは言え、担当と共に心血を注いだ力作だった。

『天才中学生作家』なんて煽りが書籍の帯にデカデカと記載された。

 それでも――ダメなものはダメ。


「僕も読んだけど、面白かったよ」


「ありがとうございます。ちなみにお読みになられたのはいつ頃ですか?」

 

「去年の秋かな」


 処女作で盛大に失敗した『空野 彼方』は、しかし昨年の秋に出版された第2作でブレイク。

 ちょうど我妻が処女作を手に取ったのも同じ時期である。その理由というのが――


「小説がウケたというよりは……」


「グラビアのおかげですね」


 思わず苦笑する。


「否定しないんだ?」


「そのために脱いだんですから」


 しれっと答える。

 第2作の出版より少し前、『空野 彼方』は『空野 かなた』という芸名でグラビアデビューを果たした。

『美少女すぎる小説家』というキャッチフレーズでK社の漫画雑誌『週刊少年チャレンジ(通称『週チャレ』)』のカラーページを飾った。

 国内発行部数ナンバーワンの週刊漫画雑誌である『週チャレ』の表紙。その宣伝力は半端ではない。当時14歳の美貌と肢体を見せつけたおかげで知名度が爆発。

 整った顔立ちに知的な表情、抜群のスタイルの美少女が推理作家。このギャップの凄まじさよ。


「当時のスリーサイズが88-58-86っと……ちなみに今は?」


「黙秘します。……でも、まだ成長中ですよ」


 ちろっと舌を出して微笑むと、我妻はデレデレと鼻の下を伸ばす。

 こういう所はわかりやすい男である。


「うは! それにしても……いくら名前を売るためとはいえ、グラビアデビューって随分と思い切ったね」


 我妻の言葉に、遥は当時の状況を思い返す。


「そうですかね。いい方法だったと思いますけど」


 手塩にかけて世に送り出した処女作が全く評価されなかった。否、評価の俎上にすら挙がらなかった。

 それは自分を全否定されたにも等しい。当時まだ中学生だった遥の心に拭い難い傷跡を残した。悔しかった。涙で枕を濡らす日々が続いた。

 そして出版目前だった第2作。内容には自信がある。しかし――それは処女作も同じだった。

 もし第2作も同じ道をたどることになったら……不安で胸が押し潰されそうだった日々を思い出す。


「そんなとき、K社の芸能担当の人が『売れないんなら脱げば?』って言われて」


「それ、どう考えてもセクハラだよ」


「後から考えてみれば、そうなんですけど。その時は『これだ!』って」


 単に知名度を上げるだけなら小説にこだわる必要はない。

 脚光を浴びるのは別の分野でいいのだ。目から鱗だった。

 当時の遥は自分の容姿にあまり自信を持っていなかった。どちらかというと異性の視線を忌避していたくらい。

 それでも――なにもしないよりはマシ。時おりやたら思い切りが良くなると評判の遥である。

 結果としてグラビアアイドル『空野 かなた』と小説家『空野 彼方』は世間の注目を集めることに成功。

 誰にも見向きされていなかった処女作も重版。予想を上回る反響に遥自身が驚いたものだ。


「……だったら、もうグラビア辞めてもいいんじゃないの?」


「う~ん、そういう感じでもないんですよね」


 両腕を組んでクッションの利いたソファに背中を預け、天井を見上げて答える。

 容姿を褒められるのは単純に嬉しい。テンションが上がる。

 きれいに撮ってもらえた。次はもっときれいに撮ってもらいたい。

 そのためにはどうすればいいか試行錯誤を繰り返し、努力を重ねることが楽しい。


 撮影現場で目の当たりにしたスタッフの姿に、自分はひとりではなく多くの人間に支えられているということに気付かされた。

 それはグラビアに限らず小説の世界でも同じこと。自然と周囲の人間に対する感謝の念が強まる。

 人間、ひとりでできることなど限られている。いつの間にか少女は、大人の世界に生きるプロになった。


「私、グラビアのお仕事好きなんです」


「じゃあグラビア辞めない?」


「当面その予定はないです」


「やった!」


「そんなに嬉しいんですか?」


 視線を我妻に合わせて軽く睨み付ける。


「そりゃ嬉しいに決まってるよ。日本中の男を代表して断言する」


「ありがとうございます」


 基本的に褒められることが好きな遥だった。


「概ね僕が調べたとおりだったんだけど……」


「……どうやってそんなに詳しく調べたんですか?」


「だって、ほら、僕って警察だし」


 それは職権乱用なのでは?

 遥は疑問を抱いたが口に出すことはなかった。

 テーブルの下で足を組みなおす。


「小説家としてもグラドルとしても充実している遥ちゃんには、大場氏を殺害する動機がないんだよね」


「そう言っていただけて幸いです」


 他社とは言え、大場は芸能業界最大手のトップ。

 遥にしてみれば仕事をくれるありがたい存在である。

 そんな上得意を遥が殺す理由がない。


「まあ、動機は凶器にはなりませんけど」


「お、なんか推理作家っぽい」

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