第4話 撮影初日
『空野 彼方』は小説家である。
デビューは約2年前の夏。当時は中学二年生。『天才中学生作家現る』などと謳われたものだ。
出版された小説は今のところ大判で2冊。いずれも出版業界大手のK社から。
もうすぐ3冊目が書店に並ぶ。これもK社から出版されることがすでに告知されている。
文芸誌に掲載された短編は6編。月刊誌にコラムを連載中。
ここ最近の売り上げは上々。処女作の文庫化作業も進んでいる。
『高遠 遥』は『空野 彼方』であり『空野 かなた』でもあった。
女子高生小説家にして『かなたプロダクション』所属のグラビアアイドル。
それが遥の正式な肩書である。『属性盛り過ぎでは?』などと言われることもある。遥自身もそんな気がしている。
「小説家として、とはどういうことでしょうか?」
遥は身体を引いてソファに背中を預ける。
山口警部補を見つめる遥の視線が、にわかに鋭さを増した。
室内の空気が張り詰める。静寂の中、四人の息遣いが耳をかすめる。
「いや……ほら、空野先生のデビュー作、ミステリだったじゃないですか」
沈黙を破ったのは横合いから掛けられた我妻の声。
やけに能天気に響く場違いな声に、ほんの僅かだけとはいえ場の空気が和らいだ。
「……ええ、それが何か?」
「何か言うべきことがあるんじゃないのか?」
相変わらず上から目線の山口に、遥は若干の苛立ちを覚える。
気にするべきでないとわかっている。笑顔は崩さない。ただムカつくだけ。
国家権力相手でも心の中ならやりたい放題。日本では思想の自由が認められている。
「『推理作家が怪しい』なんて言い出したら、世界中殺人鬼だらけになりますよ」
そんな理由で疑われるのは心外であった。
付け加えるならば、作品中で人が死ぬのは別に推理小説だけではない。
「いやいや、たまたま……たまたま? まあ、いいや。推理作家の空野先生が、現場を直接ご覧になったのも何かの縁……なのかな?」
「おい」
「そこはほら、推理作家ならではの目の付け所というか、視点というか。とにかくそういう感じです、はい」
やたら『推理作家』を連呼してくる。別に遥はミステリ専門ではないのだが。
相変わらずへらへらしている我妻に視線を向けると、遥は何か得体のしれないものと相対しているような居心地の悪さを覚えた。
あの現場で一番人の生き死にに詳しい(と思われている)遥に疑惑を持つのは、あながち的外れでもない。
自分が警察ならば――そう考えてもおかしくはない。人死にの現場に推理作家。あやしい。何ともそそるシチュエーションではある。
残念なことに今は遥自身が疑われているので、面白くとも何ともない。ハッキリ言って迷惑極まりない。
「ひょっとして私を疑っていらっしゃいます?」
「いえいえ、そんな滅相もない。……それで、何かないですかね?」
『何でもいいんですよ』そう尋ねてくる我妻。
チラリと目を横に向けると、あからさまに強張った柿本の姿が視界に飛び込んでくる。
遥に話しかけている風に見せて、実際は柿本の様子を窺っていたらしい。
油汗を額ににじませる柿本の姿は『何か隠してます』と自白しているようなものだ。
生真面目で誠実な柿本の人柄は好ましく思っているが、こういう時にはちょっと困る。
とはいえ――
――さて、どうしたものか?
ここで拒絶することは――できなくはないだろう。別に令状が出ているわけでもなし。
警察にしても、今回はただの情報収集の一環に過ぎないと思われる。事件直後に事情聴取は行われているし、そこで知っていることは概ね話してある。
『事件発生から一か月が過ぎており、記憶に怪しい部分がある』と言い逃れる。問題はなさそうだ。
しかし、警察から余計な疑いを持たれるのは、人気商売の芸能事務所としてはありがたくない。
警察に協力するのは吝かでもない。殺人事件(あくまで仮。まぁほぼ確定だろうけど)なんてさっさと解決してもらいたい。
だから、山口の態度が気に食わないからと言って、子供じみた癇癪を起こす気にはなれない。
ただ――
――柿本さん……何かやらかしたの?
問題はすぐ傍でソワソワしている柿本だ。隣りの巨漢を見ているだけで不安になってくる。
遥の記憶にある限り、警察相手に委縮するようなことはなかったと思うのだが。
まさか遥の預かり知らぬところで大場氏殺害に関与――
――してるわけないか。
きっと心配性な性分が表に出過ぎているだけだろう。
そう言うことにして、再び記憶の糸を手繰りにかかる。
「そうですね……」
両腕を抱きしめつつ、おとがいに指を当てる。
右手の親指と人差し指。
遥が深くモノを考えるときの癖だった。
★
件の撮影が行われたのは今を遡ること一か月ほど前、ゴールデンウィークが迫る4月下旬のことである。
業界最大手の芸能事務所であるAプロダクションと、これまた大手出版社であるS社の合同企画。
こんな案件に、なぜか弱小プロダクション所属の『空野 かなた』に出演依頼があった。理由は不明。
現地集合と知らされた場所は、都内郊外にある『ホテル・オールブルー』。
集合時刻は土曜日の朝10時。柿本が運転する車に乗せられた遥を待ち受けていたのは、五階建ての瀟洒なホテル。
いささかこじんまりとした造りではあったが、それでもグラビア撮影のために土日貸し切りというのは珍しい。
えらく金がかかっているな。それが企画に対する遥の第一印象だった。
「そうなの?」
「ホテルを丸々貸し切りというのは、なかなか豪快だと思います」
撮影スタッフにも宿泊する者がいるからと言って、土日に通常の宿泊客を締め出すというのはホテルとしてどうかという気もする。
そんな無茶を押し通すことができたのは、ひとえにAプロの業界力によるところが大きい――のだと推察される。
実際にどれほどのマネーが動いたのかは、ゲストの遥にはわからない。
「グアムとかサイパンとか、よく行くんじゃないの?」
「行きたいですねぇ。ねぇ、柿本さん」
あいにく遥にはそんな仕事は舞い込んで来ない。
事務所パワーにも期待できない。弱小プロダクション悲しい。
「……善処します」
「ゴホン」
話が逸れたので流れを戻す。
今回の企画はAプロおよびS社主導の合同撮影。撮影対象は3人。
『谷川 雫』19歳。Aプロ所属。最近事務所が猛プッシュをかけている人気グラビアアイドル。
『桐生 なぎさ(きりゅう なぎさ)』17歳。人気声優。彼女については、遥はあまり情報を持っていない。声優というのも現地で本人に聞いた。
『空野 かなた(そらの かなた)』15歳。『美少女すぎる小説家』などと言う頭の悪いキャッチフレーズで売り出し中の小説家兼グラドル。遥本人である。
「凄いねぇ、ビッグネームが揃い踏みだ」
「いや、私なんてとてもとても」
内心はともかく、一応謙遜しておく。
「二人とは仲良しだったりするの?」
「雫さんとは前に撮影で一緒になったことがあります」
「なぎさちゃんは?」
「桐生さんは初対面で……最初どこの誰だかわからずに失礼なことを言っちゃいました」
「怒ってた?」
「ぜんぜん」
遥の記憶にあるなぎさは怒ってはいなかった。ただ、距離は感じたが……いちいち報告することでもなかろう。
三人のうち最初に現場入りしたのは遥だった。運転手の柿本は小心なところがあり、指定時刻よりもかなり早く到着したのである。
「何時くらいだった?」
「何時って……柿本さん、憶えてます?」
「確か8時半……いえ、9時ごろだったと思います」
「それはさすがに早すぎるんじゃない?」
5分前行動にしても行き過ぎ感がある。
それでも――相手を待たせるよりはマシ。
立場の弱い者はいろいろと気を遣わされる。
「だって、柿本さん」
「……面目ないです」
遥の後に『桐生 なぎさ』が来て、最後に到着したのが『谷川 雫』だったと記憶している。
「気になってたんだけど、四月にグラビアって寒くない?」
我妻の質問の意図がつかめなかった。
グラビア撮影なんて一年中あるだろうに。
まさか夏に撮り貯めしているとでも思っているのだろうか。
「水着だけじゃありませんし、プールも室内だったし」
「小さいホテルなのに室内プールがあるんだ」
『ええ』と遥が頷く。
屋上がガラス張りのプールになっていた。
雰囲気のあるホテルに似つかわしくない外見。
珍しいように思えたので、記憶にも鮮明に残っている。
「グラドル御用達だそうです。っていうか、現地はもう調べられてますよね?」
「まあ、当事者から話を聞くのは大事だからね」
「はあ……いいですけど」
それから撮影準備――スタッフたちが走り回り、グラドルたちは着替えにメイクに大忙し。撮影が始まったのは午後1時。
途中で昼食を腹に入れたから、開始時刻が午後であることは間違いない。
「昼から撮影なのに朝集合なんだ?」
「ええ、でも待ち時間がありましたね」
「原因は?」
「原因は……大場さんです」
ここで被害者が現場に姿を現す。
一番最後にやってきたくせに、全く慌てたところもなく、悪びれもしていなかった。
彼に苦言を呈する者もいなかった。権力を持つ者は強い。
Aプロ社長の大場の到着が遅れたおかげで1日目の撮影はかなり押していた。
「大場氏は後からやってきた、と」
「はい」
「撮影はスケジュール通りに進まず、大場さんがスタッフに当たり散らしてました」
「そりゃ横暴だね」
「ノーコメントです」
既に故人とはいえ、大場のことをあまり悪く言いたくはない。
外部からどう見えるかはともかく、遥にとっては良好な関係を築きたかった人物だ。
今回の仕事をステップにもっと大きな舞台を用意してもらえたかもしれない――と考えるのは調子が良すぎるか。
何はともあれ撮影は終わった。最終的に帳尻はあったと聞いている。スタッフの皆さん、ご苦労様。
撮影が終わってからホテルのレストランで夕食を取り、そのまま親睦会へ。
――あ。
そこまで話したところで、ようやく遥は柿本が懸念するところを理解した。
案の定、柿本は大きな体を強張らせている。
「へぇ、親睦会。興味あるなぁ」
我妻がニヤリと笑う。先ほどまでの穏やかな雰囲気を一変させて食いついてきた。
山口は閉じていた眼を見開き、遥たちを睨み付けてくる。
現役刑事二人が放つ圧力に、遥はゴクリと喉を鳴らした。