第3話 『高遠 遥』/『空野 かなた』
『空野 かなた』こと『高遠 遥』は現在売り出し中のグラビアアイドルである。
さらに言えば『かなたプロダクション』に所属する唯一のグラビアアイドルでもある。
ちなみに『かなたプロダクション』は社長一名グラドル一名の零細芸能事務所である。事務所は賃貸。
「大場さんの件と言うと……ああ」
警察の問いに遥は首を傾げ――るふりをする。
彼らの問いかけは予想通りのものであったから。
捜査一課の刑事がこの事務所にやってくる用事なんて、ほかに思いつかない。
「何か思い当たることが?」
四角い警察――山口源次郎が遥を睨み付ける。
年の差を鑑みれば、それは祖父が孫を詰問しているように見えるかもしれない。
厳つい容貌をしている山口を前にして、しかし遥は特に気にした様子もない。
「いえ、どこかでお二方の姿を見たような気がしていたんですが……大場さんのお葬式の時にお見かけしたな、と」
「大場氏のお葬式に出席してたんだ?」
わざわざ確認してくる若き刑事は、興味深げに遥の顔に目を向けてくる。
「ええ、まあ……お仕事を頂きましたので一応」
『お仕事』という遥の言葉に、山口がピクリをこめかみを揺らした。
「その辺りのお話を、詳しく聞かせていただきたい」
「はい、構いませんが……」
有無を言わせぬ山口の口調。
隣に座っていた柿本が表情を硬くする。
狭い室内で見えない火花を散らす男たちをスルーして、遥は『あの日』の記憶を遡る。
★
『大場 茂』
業界最大手の芸能事務所である『Aプロダクション』の代表取締役社長。享年58歳。
縦にも横にも大柄で、色々な意味で『脂ののった』男。芸能界に興味がない人でも名前くらいは知っている。
そんな男が先月、都内の某ホテルで息を引き取った。より正確に表現するならば変死した。
自身の事務所所属のアイドル『谷川 雫』他二人のグラビア撮影を見学中のことであった。
表向きに公開されている情報はこの程度。
――捜査一課がこんなことを聞きに来るなんて……これはもう殺人事件でしょ。
「そうですね……と言っても、何を話せばいいのか……」
「何でもいいよ」
そう笑いかけてきたのは我妻。
しかしその眼の奥には鋭い光が隠れていることを遥は見逃さなかった。
どうして二人の刑事が遥に話を聞くために足を運んだかと言うと、遥が――『空野 かなた』もまた、その現場にいたからである。
『絶賛売出中の美少女が集う』と言った気合が入っているのかいないのか判然としない企画。
これに偶然、あるいは何らかの力が働いたか『空野 かなた』にもお声がかかった。
弱小プロダクション所属のグラドルとしては渡りに船のお話で、二つ返事で飛びついた。柿本はいい顔をしなかったが。
ホテルを借りきって一泊二日のスケジュール。大場が死んだのは二日目の午後、ちょうど『空野 かなた』の撮影中。
シャッター音とフラッシュを一身に浴びていた遥の目の前で、いきなり大場が倒れ込んだ。
そのまま白目をむいてもがき苦しみ息を引き取るまでの一部始終を、遥は間近で目にすることとなった。
死体を目にすることは初めてではない――病死した祖母に続く二人目――とは言え、リアルな人の『死』を目の当たりにした動揺は想像以上のもので。
ひと月以上たった今でも、あの日の光景は脳裏にこびりついている。
★
「とまあ、そんな感じです」
遥が口にしたことは、すでに公開されている情報と大差ない。ゴシップ系の雑誌の方がもっと詳しいアレコレを掘り出しているのではなかろうか。
腕組みして目を閉じ、天井を仰ぐようなポーズをとって当時の記憶を掘り返していくように見せかけて……実際はうっすらと目を開けて、二人の刑事の様子を探っていた。
左右の腕に挟まれる形で強調された胸に我妻が釘付けになっている。わかりやすい。
頼りなさそうな雰囲気が見せかけのものか否か判断するために狙ってやったこととは言え、ここまであからさまだとは思わなかった。
想定外の展開に遥は逆に困惑してしまった。この人、本当に警察なの?
「……ほかに何か気づいたことは?」
対してこちらは不機嫌そうな山口の声。
その勘気はへらへらしている同僚に向けて――ではなく、遥に向けられている様子。
我妻とは真逆で露骨に機嫌を害している。こちらは見たままの堅物と言ったところか。
「そう言われても……う~ん」
天井を見ながら首をかしげると、サラサラと流れる黒髪をバックに純白の首筋が映える。
「例えば、誰か不審な人とか見なかった?」
「不審な人、と言われても……柿本さん以外は殆ど初対面の方ばっかりでしたし」
遥の記憶にある限りでは、ごく普通の撮影現場だったはずだ。
カメラマンをはじめとする撮影スタッフ。ヘアメイク、スタイリストなどなど。
ホテルの従業員も時折顔を見せていた気がする。
「特にそれらしい人はいなかったと思います」
「そうか」
むすっとしたままの山口。あからさまに肩を落とす我妻。
まぁ、彼らにしても、そんな簡単に有力な情報が手に入るとは思っていないだろうが。
気を取り直して遥は話を続ける。
大場が倒れた後、救急車とパトカーがサイレンを鳴らしてホテルにやってきた。
地に臥した大場の巨体は救急車に乗せられ病院へ。
残っていたスタッフは警察の指示に従い事情聴取。
所持品検査やボディチェックまで行われ、その物々しさに『これはただ事ではない』と緊張したことを覚えている。
少なくとも、祖母が死んだときにはこんなことはなかった。当たり前だが。
「わざわざウチまで話を聞きに来られるということは、やっぱり何かあったんですか?」
殆ど殺人事件だと当たりをつけてはいるものの、わざとらしくない程度にとぼけてみる。
大場の葬式はとっくに終わっている。遥も仕事を貰った手前、一応参列した。
……多数の業界人が集まる機会に顔を出せば、それが新しい仕事につながるという疚しい気持ちがあったことは否定しない。
実際あの場で涙を流していた人のうち、一体どれくらいが純粋に故人を悼んでいたかは中々に怪しいところではある。
人気のないところでスカウトに声をかけられたりもした。さすがに霊前だったので『話はまた後日』と断ると、あからさまに苛立たしげな顔をしていた。そういう人間とは仕事をしたくないので、連絡はしていない。
「そう言うわけではない」
相変わらず取り付く島もない山口の言葉は、遥に質問を許さない。
強情な言葉に遥は眉をしかめるも、部屋に差し込む西日が目に入った体でごまかした。
「あんなに大騒ぎしておいて、今さらそんなこと言われても……」
大場の死に不審な点がなければ、わざわざ現職の刑事が二人もこんな弱小事務所に足を運ぶはずがない。
あれから一か月がたつ。いい加減に情報規制も限界が来ていると思うのだが。いつまでも『変死』で押し通せはしないだろう。
殺人事件だと公開するなら、今ここでバラしてしまっても問題なかろうに。この山口という刑事は融通が利かないようだ。
「と、ところで最近お仕事の方は?」
重たくなった場の空気を入れ替えるためだろうか、唐突に話題を変える我妻。
その意図は見え見えだったが、これ以上の山口との会話を不毛に感じた遥は、この流れに乗った。
「ぼちぼちですね」
「あれ、かなちゃん関西系?」
「……何ですか、それ?」
ほんの微かに眉を寄せる遥。
純粋に意味が分からなかった。
「いや、何でも……」
『ジェネレーションギャップ?』などと小さく呟く我妻だが、遥の耳にしっかり届いている。
あまり意味はなさそうだったので追及はしない。
「まあ、その、なんて言えばいいのか……ここは随分落ち着いてるなぁ、と」
「所属アイドルひとりの弱小事務所ですから」
遥は部屋を見回す。すっかり見慣れた光景だ。
ビルの一室を改装しただけの狭い事務所。社員数二名(アイドル含む)。
芸能事務所とは名前だけの、華やかさの欠片もない部屋であった。
「いや、そんなことはないと思う、なぁ……」
目を泳がせている我妻の言葉に力がない。
事実を指摘されても、遥としては別に怒る気にはならない。
「そういえば、Aプロにも行かれたんですか?」
「え、あ……まぁ、その……うん」
口を滑らした我妻。隣に座る同僚を睨む山口。
――まあ、当然よね。
Aプロダクション。通称Aプロ。
(元)代表取締役社長は、先日変死した大場茂。業界最大手の芸能事務所。
テレビをつければ毎日所属する芸能人の顔を見る。大場ともども芸能界に興味がない人でも名前くらいは耳にする。そういうレベルの知名度を誇っている。
都内の一等地にビルを丸ごとひとつ社屋として抱え、中にはレッスン場ほか様々な部署を抱えているらしい。
一般的な『芸能事務所』という言葉のイメージをそのまま絵にかいたような会社である。芸能界を支配するお城、あるいは要塞といったところか。
あそこに足を踏み入れた後にかなたプロダクションを見ると、そのあまりの落差に業界の闇が垣間見えるかもしれない。それぐらいの格差がある。
まあ、それはともかく……
――つつくなら我妻さんかな。
我妻というこの若い刑事、やけに遥の勘に引っかかってくる。
とぼけた仕草が全て演技ということも考えられるが――天の岩戸に閉じこもっている山口よりはマシ。
大場の突然の死は遥にとってもショックだった。何しろ目の前で死なれているのだ。せっかく頑張った仕事もパーになってしまった。
だと言うのに、遥の耳には通り一遍の話しか入ってこない。兎にも角にも情報が欲しい。
短いスカートから伸びる白い足を見せつけるように組み替える。
「あちらは今、大変みたいだね」
「そりゃ、大場さんは業界のレジェンドですから」
大場が代表取締役を務めていたAプロダクションはもちろん蜂をつついたような大騒動の真っ最中。
あれから一か月以上たった今もなお、社内で権力闘争に明け暮れている。
Aプロ内紛の影響は社内に収まらない。
アイドルプロデュースの第一人者である大場の死は、業界全体に大きな嵐を巻き起こしている。
芸能界の辺境に暮らす遥ですら、あれやこれやと噂が耳に入ってくるのだ。
実際のところ芸能界に留まらず一般人レベルで様々な憶測が飛び交っている。具体的には学校の休み時間とか。
「それで、大場さんの死に不審な点があると?」
「あ、えっと……」
「ひょっとして、私を疑っていたりします?」
身を乗り出して上目遣いで我妻との距離を縮める。
突然の話題転換に言いよどむ我妻。視線が遥の胸元にガッチリ固定されているのはある意味感心してしまう。
そんな同僚を咳払いひとつで制する山口。
「随分と興味がおありのようだ」
「それはまあ、業界の人間なら誰だって同じだと思いますけど」
「人がひとり死んでる。好奇心で軽々しく口を挟むものではない」
言っていることは全くもってその通りなのだが、重々しい山口の声には拒絶の色が浮かぶ。
――この人は一体何をしに来たんだろう?
遥は心の中で独り言ちる。
話を聞きに来たと言う割には、山口からはあまり積極的な気配を感じない。
――ひょっとしてアレかな?
ひとりがプレッシャーをかけ、相方が優しく接する。飴と鞭。
そうやって情報提供者の心理をうまくコントロールする。ありそうだ。
あまり山口を気にするのは得策ではない。
「ちょっと、源さん」
「源さん?」
「あ、いや、こっちの話」
山口に睨まれて頭を掻く我妻。
『源さん』というのは山口のあだ名のようなものなのだろう。
遥にとっては割とどうでもいいが、山口にとっては気にするところらしい。
目の前の二人の刑事は、親子に見えなくもないほどに年が離れている。
「折角だから、かなちゃん――もとい空野先生に話を聞いてもらうのもいいと思うんですけど」
何しろこの道のプロなんですから。
そう続ける我妻の言葉に、鉄壁の笑顔を浮かべていた遥の表情がピクリと響く。
身体を抱く腕に力がこもる。背筋を冷や汗が伝う。
「ねえ、小説家の『空野 彼方』先生?」