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第2話 かなたプロダクション


 閑静なオフィス街をひとりの少女が颯爽と歩いていた。

 道征く誰かが、その姿を認めて口笛を吹く。


 薄手の白いブラウスを内側から大きく盛り上げる胸元。

 翻ってきゅっとすぼまる腰回り。

 校則違反の短いスカートから伸びる、程よく肉が乗った長くて白い脚。 

 腰のあたりまで届くストレートの黒髪は艶やかに輝き風にそよぐ。

 首に巻かれた真紅のネクタイが躍動的な歩調に合わせて軽やかに揺れる。

 頭のてっぺんから足のつま先まで、若さと自信に満ち溢れている立ち居振る舞いである。


「今日はオフのはずなのに……」


 ぶつぶつと愚痴をこぼす少女は、しかし周囲の視線に気が付くなり笑顔を返す。

 切れ長な二重の目蓋に、深い海の底あるいは夜空の闇を思わせる黒を湛えたミステリアスな瞳。

 すーっと通った鼻梁に、新鮮な果実を思わせるピンクの唇。透きとおるような白い肌に、かすかに紅潮した頬。

 整い過ぎと言ってもいいほどの顔立ちだが、朗らかな笑顔のおかげで目が離せない。引力あるいは存在感がある。

 その美貌にあてられた視線の主は、へらっと相好を崩し慌てて目を逸らす。

 少女はそんな相手の姿に満足したか、一瞬だけニュアンスの異なる笑みを浮かべた。


「コラムは上げたし、原稿は……まぁ、まだ大丈夫……のはずだし……」


 見る者が見ればわかるように、彼女が身に纏っているのは都内の某有名進学校の制服。

 そして彼女が歩いているのは、学校から遠く離れた街の一角。

 時間は昼を過ぎて夕刻に近づき、太陽が西に傾き始めている。空は薄朱に色づいて夜の訪れを感じさせる。

 彼女は下校中――と言えなくもなかろうが……どうにも怪しい。この辺りは住宅街ではない。


「撮影はこの間やったばっかり。次の撮影まで時間あるし」


 少女は中空を見つめ、たおやかな指を折る。前から来た男とすれ違いざまに軽く身体が接触。

 振り返ってみると、ぶつかった男は少女の前方不注意を咎めるどころか大喜び。さっきの男と同じ顔だ。

 軽く頭を下げて微笑みかけると、男はひらひらと手を振ってくる。余計な揉め事にならなくて何よりだった。

 気を取り直して肩に下げていた鞄からスマホを取り出し、スケジュールを確認。何度見返しても今日はオフ。

 次いで授業中に送られてきたメッセージをチェック。『柿本さん→高遠遥』。


『学校が終わったら顔を出してほしい』


『奇妙だな』というのが少女――『高遠たかとお はるか』が、そのメッセージを目にした時に最初に抱いた感想だった。

 メッセージの送り主である柿本は、遥が所属する芸能事務所の社長兼マネージャー兼……事務全般を担当している。

 ややワーカホリック気味のところがあるもの一般常識が欠落しているわけではない。

 生真面目に過ぎると言ってもいいほどの性格で、この春に高校生になったばかりの遥が学生生活を犠牲にしてまで働くことに難色を示す男である。

 芸能事務所の社長がそれでいいのかと思うことはあるが、楽をさせてもらっている身としてはあまり文句も言えない。

 そんな柿本がわざわざ学校帰りに遥を呼び出すというのだ。よほどの急用に違いない。その割には……メッセージに詳細が記されていないのはなぜだろう?

 スマホをしまって軽く首をかしげる。サラサラの髪が流れ、一瞬だけ白いうなじが露わになる。


「……新しい仕事かな」


 考えられるのはそのくらいしかない。遥はそう結論付けた。

 直接会って話さなければならないというのなら、それなりに大きな案件かも知れない。胸が期待で高鳴る。

 ほとんど無意識に調子っぱずれな鼻歌を歌いながらビルに入って、エレベーターに乗り込みスイッチオン。

 上昇時の重力、停止時の浮力に合わせて豊かな胸がたゆんと揺れた。

 夏に向かう5月の好天のおかげか肌はほんのりと汗ばみ、微かにブラウスが透ける。

 ネクタイを緩め、首元から外気を取り込む。唇から熱を持った吐息が漏れる。

 エレベーターから降りて、慣れた風に廊下を進む。入り口からここまで誰ともすれ違わない。


「さて……」


 しばらく歩いて目的地に到着。ドアの前で足を止める。

 大きく息を吸って――吐く。


『かなたプロダクション』


 そう記されている表札を確認し、バッグからコンパクトを取り出す。

 小さな鏡に映った自分の姿を見ながら、少女は手櫛で髪を整える。

 ついでネクタイを締め、緩めた胸元を元通りに直す。

 中にいるのは身内だけ――のはず。もとより来客の多い場所ではない。

 それでも身だしなみを整えるのは、彼女の流儀だった。

 たとえ相手が誰であろうとも、視線に敏感な年頃の少女である。


 来客用のベルを鳴らすと(遥は客ではないが)、程なくして内側からドアが開く。

 内側から足音は聞こえなかった。このビルは平凡な外見に寄らず完全防音で、どれだけ騒ごうとも物音は外に響かない。


「ああ、せっかくのオフなのにすみません、かなたさん」


 室内から身体を縮こませるように現れた男は、遥にとって見慣れた姿。

 身長190センチ強の筋肉質なボディと、短く刈り上げた髪に太い眉が力強さを感じさせる。

 太い筆で描かれたような顔立ちに反した穏やかな表情のギャップが印象的な男。

 ひと回り以上年下の遥に対しても敬語を用いる。男は遥を『かなた』と呼んだ。


柿本かきもと いさむ


 格闘家か何かにしか見えないこの人こそ、所属アイドル一名の芸能事務所『かなたプロダクション』の社長兼(以下略)。


「大丈夫です。急ぎの用もなかったし」


 遥は特に気分を害したようでもなさそうに答える。

 路上で零した愚痴は、とっくの昔に頭の中から消し去ってしまった。

 柿本の身体から奥を覗き込むと、見慣れた光景が広がっている。


 窓から差し込む光が室内を照らしている。蛍光灯に明かりは灯っていない。

 きれいに整理された事務用のデスク。ノートパソコンは閉じられたまま。

 来客用のソファには――


「お客さん?」


「ええ、まぁ……」


 柿本が言葉を濁すが、遥の大粒な黒い瞳はソファに腰かけた人影を捕えている。男、二人。


「ふぅん」


 柿本の身体を避けて歩みを進めつつ、そっとテーブルに視線を走らせる。

 客のために用意されたお茶はすでに冷めきっていた。どうやらかなり待たせているらしい。

 片方は全く手を付けられておらず、もう片方は半分ほど減っている。

 二人は早く遥と話をしたいのだろうが、このまま着席するのはおもてなしの心に反する。

 細やかな気遣いが円滑な人間関係の基本だ。変な噂を立てられてはたまらない。


――さて、まずはお茶の用意っと。


 見慣れない二人の男に軽く会釈。鞄を籠に置き、『すぐに戻りますから』と付け加えてから遥は給湯室に向かった。

 備え付けのやかんに水を補充してコンロを点火。茶筒と湯飲みを戸棚から取り出す。

 程なくしてお湯が沸いた。お茶を入れて買い置きの茶菓子をセット。

 部屋に戻り、二人の客にお茶を勧める。スマイルを忘れずに。


「どうぞ」


 湯呑をテーブルに置くついでに二人の客の姿をチェック。


「ああ」


「うわ、生かなちゃん!」


 言葉の少ない方は、何と言うか『四角い』男だった。

 背は低く(と言っても身長163センチの遥よりは高い)、肩幅は広い。

 全体的に角ばった線で描かれているような顔のパーツ。むすっとした表情。

 第一印象は『頑固おやじ』と言ったところか。


 もうひとりは歓声を上げた男。

 ひょろりと伸びた背筋に、ざんばら頭。20代?

 目、鼻、口と言ったひとつひとつのパーツは整っているのに、だらしない笑みのせいで色々と台無しである。

 特にチラチラと遥の顔と胸元を往復する視線が残念さを加速させている。

 遥は慣れているから気にしないけれど、その不躾な視線は人によっては怒りだすかもしれない。

 一見した感じでは、どこにでもいるような若者にしか見えないが――その眼の奥には言葉にし難いものが宿っている。

『とらえどころがない』あるいは『油断できない』相手、少女はそう直感する。


 二人とも夏に向かうこの季節にクソ真面目にスーツ姿……若い方は微妙に着崩れていた。

 あまりこの場所の空気に似合わない人物に見える。しかし――妙に引っかかる。


――どこかで見たような?


 人の顔を覚えるのはビジネスの第一歩。耳にタコができるほど聞かされている。

 見慣れた柿本の隣に座った遥は、笑顔を作りつつ裏で必死に記憶を探った。

 しかし、彼女が答えにたどり着く前に四角い男が動く。


「我々はこういう者です」


 胸元から取り出されたのは――黒い手帳だった。

 そこに記されていた文字は――


「警察?」


 四角い男は『山口やまぐち 源次郎げんじろう』、若い男は『我妻あがづま 拓海たくみ』と名乗った。所属は捜査一課。


――捜査一課ね……若さを考えれば我妻さんはかなりのエリートか。


 口には出さないまま遥は頭のメモに二人のデータを書き記す。

 捜査一課に配属されるには警察学校で優秀な成績を修めたり、多くの犯人を検挙したりして警察署から推薦状を貰う必要があると聞く。

 軽薄な見た目からは想像できないが、我妻という男は相応の能力を持っていると考えた方がよさそうである。やはり油断ならない相手であった。

 そんな遥の胸の内に気付いた風でもなく、


「ええ」


 重々しく頷く山口を置いて、隣りの大男に視線を送る。


「ひょっとして、ガサ入れですか?」


「ちょっと、かなたさん!?」


 柿本は豪快な外見に寄らず、その言葉に大いに狼狽する。

 見た目とは裏腹に小心で繊細な性格な男なのだ。

 

「いや、冗談ですから」


「かなたさんの冗談はときどき笑えないんですよ」


「……ごめんなさい」


 場の空気を和らげるためのジョークに想像以上の反応を返される。

 柿本は生真面目な男だが――これは過剰反応ではないか。

 もうちょっとウィットに富んだ返しが欲しいと思う反面、そんな柿本は全く想像がつかない。

 ゴホンと山口が咳払い。我妻は相変わらず。


「それで……警察の方がうちに何か御用でしょうか?」


 我ながら白々しいな、と思いつつ遥は尋ねる。

 警察ともあろう者が、何の用もなくこんなところに足を運ぶはずはない。

 しかし、民間人に過ぎない遥にしてみれば、思いつく理由なんてほとんどないのだ。

 警察の広報のお仕事依頼――には見えない。だが捜査一課という時点で大体予想はつく。

 一課が担当するのは――殺人、強盗、暴行、傷害、誘拐、立てこもり、性犯罪、放火など。

 いわゆる凶悪犯罪である。ミステリー小説や刑事ドラマにもしばしば登場する花形部署であると言ってもいい。

 そんな捜査一課の刑事がやってきたとなると、遥の記憶にある範囲では心当たりの案件はひとつしかない。


「『大場おおば しげる』さんの件で話を伺いたいんですよ」


 口火を切ったのは最初に窘められて以来沈黙を守っていた我妻。

 遥を興味深げに覗き込んでくる。遥はその視線を真っ向から受け止める。


「ねぇ、グラビアアイドル『空野 かなた(そらの かなた)』さん」


『高遠 遥』=『空野 かなた』


『かなたプロダクション』に所属する唯一のアイドル(仮)は、捜査一課の刑事たちを前にしても、美貌に浮かぶ笑みを崩さなかった。

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