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第19話 見えざる死の経路


 見上げた空は曇りだった。重苦しい鉛色が空を覆っている。

 7月を前に梅雨前線の活動著しい日々を鑑みれば、これでもまだマシと思うべきなのだろう。

 そんなある日の夕方、遥は学校帰りにある人物と待ち合わせをしていた。

 場所は人通りの少ない歩道橋。上から見下ろす道路には高速で行き交う車の流れ。

 生き急ぐような焦燥感をもたらすカラフルな川を眺め、ついでスマホに視線を走らせる。


 待ち合わせの予定時刻まで、あと5分。

 喉が渇く。蒸し暑い気候のせいで夏用の制服の中は汗だくだ。息苦しい。

 襟ぐりにしなやかな指を突っ込み、外気をブラウスのうちに取り込む。あまり涼しくはならない。

 そんな環境であっても、顔にうっすらと施されたメイクが落ちることはない。気合いだ。


 足音。待ち人来たる。


「……待たせたかな?」


「いえ」


 問いかけに遥は首を横に振る。

 微かに吹く風に乗って、艶やかな黒髪がふわりと靡く。

 胸ポケットには学校指定の制服に不釣り合いなブローチが輝いていた。

 豊かな胸に手を当てて息を整え、声のした方に眼差しを向ける。


「それで、何の用? 電話じゃダメって……私、こう見えても結構忙しいんだけど」


 深呼吸。腹に力を入れ、喉を意識する。声が震えないように。


「単刀直入に言います。自首してください」


 やってきた人物――『谷川 雫』に向かって、そう言い放った。



 ★



「自首……って、どういうこと?」


「大場さんを殺した件です」


 逆光にあてられたか、言葉を不快に感じたか。

 きょとんとした表情を浮かべ、すぐに眉を顰める雫に対して遥はズバリと踏み込む。


「……これ、ドッキリ?」


 雫は訳がわからないと言った様子。

 遥から視線を外し、きょろきょろと当たりを見まわす。


「いいえ」


「えっと……う~ん、エイプリルフールは違うし……」


「違います。私は本気です」


「でも……いきなり犯人扱いなんて、意味わかんないんだけど」


「……」


「いやいや、いい加減にしないと怒るわよ」


 雫は声を荒げる。

 自分は関係ない。遥がおかしなことを言っている。

 傍から見ればそのようにしか思えないだろう。

『さすが女優を目指すだけあるな』と場違いな感想が遥の脳裏に浮かぶ。


「大体なんで私が社長を殺した犯人になるわけ?」


「……」


「ちょっと想像が飛躍しすぎてないかな? 現実と妄想の区別ついてる?」


「……」


 反論がないことをどう解釈したか、畳みかけてくる雫。

 食って掛かる彼女の姿を眺めていると、何とも言えない気分になってくる。


――素直に認めるわけないか……


 気が重い。空に浮かぶ鉛色をまとめて飲み込んだかのような錯覚すら覚える。

 それでも――始めてしまった以上、続けなければならない。


「雫さんが犯人だと証明する方法があるとしたら、どうですか?」


 一瞬、ほんの一瞬だが雫が怯んだ。


「何よ、それ。言ってみなさいよ」


「……いいんですね?」


「ええ、だってあの事件は警察だってお手上げなんでしょ。それとも……いっつも人殺しばっかり考えてる推理作家サマには、どうやって社長が殺されたか、わかるんだ?」


「……方法は単純です。雫さんはルームサービスのワゴンに載って大場さんの部屋に入り、毒を飲ませた。それだけです」


「馬鹿馬鹿しい。お話にならない」


 そう鼻で笑う雫。しかし遥の眼は、彼女の足がかすかに震えていることをしっかりと確認した。睨み付けるようだった眼差しが、すっかり泳いでしまっている。明らかに動揺している。

 雫の女優としての伸びしろに疑問を感じていたのは彼女のマネージャーだったか。演技が薄い。


「そうですか?」


「いや、おかしいでしょ。いくら体重制限しているって言ったって、私がいきなりワゴンの中に潜んでいたら、ホテルの人が気づくって」


「おかしくはないです。だってホテルの人は雫さんが載っていることを知っているんだから」


 遥が言葉を発した瞬間、雫の表情が凍り付く。

 山口警部補の言葉どおり、人間ひとり分もの重量を誤魔化すことはできない。

 だったら――逆に考えればいい。ホテルマンが最初から犯人が載っていることを知っていれば、この問題は解決する。


「な、何で私がそんなことを……」


「大場さんにまつわる黒い噂、雫さんは当然ご存知ですよね」


「……何のこと?」


 空とぼけてくる。

 しかしあちこちに彷徨う視線が、雫の内心を的確に表している。


「大場さんは――自社の若い女の子を食い物にしていた」


「それは、こういう業界だから噂ぐらい……」


 唐突な話題転換に訝しげな眼差しを向けてくる。

 そこに浮かんでいるのは警戒の色。


「始めにおかしいと思ったのは、そもそも天下のAプロの社長がグラドルの撮影現場にわざわざ足を運んだこと」


「……」


「いくら自社で猛プッシュしていると言っても、優先順位を考えれば、普通はもっと知名度の高い人のところに行くはずです」


 業界最大手の事務所の社長の時間は貴重で、すべての現場に足を運ぶなんて考えられない。必然的に優先順位がつけられてしまう。

 芸能界全体を見渡せば、グラビアアイドルの重要性は高いとは言えない。

 かなプロのような社長ひとりアイドルひとりの零細事務所ならともかく、超大手のAプロの社長としては、当日の大場の行動は不自然極まりない。

 ……その辺りの事情を知らない警察は、あまり気に留めてはいなかったけれど。


「そ、それは、その……期待されてるのよ、私は!」


「警察が調べたところによると、あのホテルにはAプロから相当量の資金が流入しているそうですね。そして大場氏は頻繁にあそこに宿泊している」


「なんなのよ、何が言いたいのよ!」


「女の子を……食べるために。あの日は雫さんが『デザート』だったんですね」


 反応は劇的だった。

 ほんの瞬きするほどの間ではあるが息が止まってしまった雫は、次の瞬間に猛烈に反駁してくる。


「そんなこと、何を証拠に……事務所に言って名誉棄損で訴えるわよ!」


「残念ながら、あのホテルはすでに警察の捜査一課が令状を持って家宅捜索に入っています。大場さん殺害の件ではなく児童売春の容疑で。証拠はすぐに出てくると思います。雫さんが――あの日大場さんの部屋にいたことも」


 遥が我妻たちに伝えたのは、ホテルぐるみで行われていると推定される児童売春の可能性だった。

 対象はホテルに限らない。かかわったと思われる人間――これまでAプロで猛プッシュされてきたアイドルたちを含む――を山口が徹底的に洗った。

 当初は事件と関係ないことを調べ始めた山口に対する周囲の反応は厳しいものだったらしい。しかしその空気は時を置くことなく一変する。

 日本の警察は優秀だ。遣り取りの詳細までは教えてもらえなかったが、程なくして遥の予想が正しかったことは証明された。

 唐突に明らかにされたこの事態を重く見た警察は、利用者を一網打尽にするべく大規模なチームを組んでこの案件を追及している。


 調査に協力してくれた山口警部補は、最初から遥の言葉を信じたわけではなかった。そもそも遥と山口は相性が悪い。『四角い』刑事は遥の言葉に懐疑的であった。

 しかし、そんな彼を説得するに至ったのは、皮肉にも遥自身が大場から受けたセクハラ被害の告白。

 被害者である遥の口から語られた破廉恥極まる『親睦会』の内容に憤った山口は、刑事としての情熱を掻き立てられ調査を開始。

 ターゲットはAプロが猛プッシュしてきた女優やタレント全般。中には国民的知名度を誇る者もいたし、芸能界から足を洗った者もいた。彼女らの大半は当時未成年。今の遥と同い年、あるいはもっと若い少女も存在した。

 調査は難航したそうだが、業界のボス格である大場が死んだことで統制が緩くなっていたのか、やがてポツポツと証言らしきものが集まりだした。

 手に入れたわずかな情報をもとに、さらに聞き込みを深める。その繰り返しの結果――今度は事案の規模の大きさに頭を抱えることとなった。

 そして――これは遥にとって想定外の話ではあったが、彼女たちを『食べて』いたのは大場一人ではなかった。とんでもない話である。


「犯人とホテルがグルなら、誰だって大場さんの部屋に入れます」


 もちろんホテルは自分たちが殺人の片棒を担がされているとは思ってもみなかっただろうけれど。

 彼らは、いつもどおり女の子を大場の部屋に運んだだけだったのだから。

 大場の死に一番震えあがっていたのはホテルの人間かもしれない。

 児童売春の件で咎められることになっても、殺人の共犯に祭り上げられるのは御免だろう。きっとその辺りは警察が上手くやる……はず。


 状況が確認されたところ、容疑者の中でまず除外されたのは柿本と各務原。

 児童売春と関わりがなく、ルームサービスを利用した移動手段が使えない。大場は男色家ではなかった。

 さらに、この二人の場合、毒を持ち込んでも大場に確実に飲ませる方法がない。

 力づくとなれば、あとで大場が普通に姿を見せたことに説明がつかない。


 次に除外されたのはなぎさ。彼女と事務所との通話記録が確認されアリバイがより強固なものになった。

 当日のなぎさは相当腹に据えかねていたらしく、彼女の空白時間の大半が電話によるものだと判明した。

 電話で愚痴を延々と零しながらでは、ワゴンの下に隠れることはできない。


「と言うわけで、消去法で雫さんです。どうやって飲ませたのかまで……説明する必要はありますか?」


 雫は俯いたまま口を開かない。やむなく遥はあの日の状況説明を続ける。

 大場が雫を『食べる』と言うのであれば、しかもこれが初めてでなければ……


「警察のボディチェックが甘かった……というのは言い過ぎになりますか。まさかその場にいた人間全員を素っ裸にするわけにもいきません」


 ボディチェックは遥も受けた。

 女性の警察がいなかったせいで、男性が恐る恐る触れてくるくらいだった。

 その件については山口にも苦情を申し立てた。

 漫画や小説なら『役得、役得』と大喜びでタッチするようなシチュエーションだが、現実だとそうはいかない。


「身につけているのは水着だけ。まさかその下に毒が塗られていたなんて気づけと言う方が無理でしょうし」


 あの喫茶店で遥が『推理』を口にした時、警察組二人は『そんな馬鹿な』と呆れかえった。

 しかし児童売春の取り調べが進み、遥の言葉に誤りがなかったことが明らかになると話が変わってくる。

 我妻は『もし自分が担当だったら、こんな見逃し絶対なかったのに』などと言って山口から拳骨を貰っていた。


「……社長があそこにいただけで、どうして……」


 そこまでわかるのか。

 遥を見る雫の眼が雄弁に語っている。

 狂熱を帯びた視線。その根源はいったいいかなる感情か。


「気になった点がもうひとつありました。二回目の撮影の時です」


「え?」


「私がプールに落ちて意識を失ったとき、雫さんは真っ先に飛び込んで私を助けてくれて……その、人工呼吸までしてくれたそうですね」


「……それが何よ」


 若干視線の圧は緩んだものの、雫の口調は荒い。


「大場さんが毒殺されたホテルで、似通ったシチュエーションで、奇しくも時間まで同じ。あの状況を見れば……普通の人なら『毒を盛られたんじゃないか』って疑うはずです」


「……」


「大場さんが毒を飲まされて死んだことは公表されています。それなのに雫さんは躊躇いなく私の口に自分の口をつけた。おかしいですよね」


 一歩間違えれば雫自身の命が脅かされるはずの状況だ。

 いくら彼女が博愛精神に満ち溢れた善人だったと仮定しても無理がある。


「……」


「そんなことができるのは『私は毒を盛られていない』と確信できる人物、つまり犯人だけなんじゃないかって」


 順番が逆だったのだ。ルームサービスとの関係よりも先に、遥は自分を助けた雫の行動に違和感を持った。

 腑に落ちない雫の行動が遥の疑念を呼び、その疑念とほかの状況を組み合わせた結果として大場殺しの状況を再現するに至った。

 雫犯人説をとるならば、ホテルと何らかの協力関係にあることが前提になる。

 しかしホテルにはAプロから資金が流入している。大場を殺す理由がない。

 だったらホテルはなぜ雫を大場の部屋に運んだのか。そもそもなぜホテルにAプロから資金が流れ込んでいるのか。

 そこまで考えれば、あとは容易く想像できる。


「助けてもらったことには感謝しています。だから……自首してください」


 何もしなくても、児童売春の線から警察は雫にたどり着く。

 事が事だけに、情状酌量の余地がある。遥はそう説いた。


「私は……雫さんが悪いとは思っていません。『どんなことがあっても命を奪ってはいけない』なんてきれいごと、私は嫌いですから」


 その一言が、雫の琴線に触れた。触れてしまった。

 押し黙っていた雫の喉が唸る。凝固していた身体が震えだす。


「あんたに……あんたみたいな何でもできてチヤホヤされて、いい気になってる女に何がわかるってのよ!」


 慟哭だった。溜め込んでいたものが、怨念があふれ出した。


「わかりません。想像するだけです」


 まかり間違っても『わかる』とは言えなかった。

 雫が大場殺害に至った動機については想像の域を出ない。

 諸々の情報を取りまとめれば、かなり正確な姿をを描き出すことはできる。

 ただ、それをこの場で口に出すことは憚られた。


「できることは何でもやった! 日本一の女優にしてやるからって……社長の言うことを聞いた。嫌だったけど仕方がなかった。社長に逆らったら、この業界では生きていけない。なのに……」


 大場はいつまでたっても約束を守らなかった。

 ただ貪られるだけの日々が雫の心を侵食し、そして――


「恋人と別れさせられて、毎日レッスンばっかり。エロい写真撮られても笑顔を作って、それでもみんなから馬鹿にされて……なんなのよ、なんなのよ、もう!」


「雫さん……」


 うずくまった雫に遥が近づいたその瞬間、光が奔った。

 咄嗟に後方に飛び下がった遥の目の前を、刃が通りすぎる。

 咄嗟に回避することには成功したものの、尻もちをついてしまって身動きが取れない。


「あんたが、あんたが悪いのよ……あんたさえいなければ……あんたなんか助けなければ!」


「雫さん、やめてください!」


 腰が抜けてしまった遥には、雫の凶刃から逃れる術はなかった。

 ゆっくりと雫が近づいてくる。その顔に浮かんでいたのは凄絶な笑み。

 全国の少年少女を魅了したものとは似ても似つかない、壊れた笑顔。

 もはや言葉は――理屈は通用しない。


「大丈夫。私はまだ大丈夫。ここであんたを消してしまえば――」


「いいわけないんだよなぁ」


「え?」


 間延びした声と共に雫が文字通りの意味で反転。

 歩道橋の床にたたきつけられた痛みでナイフを取り落とす。

 その腕を逆に極められて、雫は肺から空気を吐き出した。まったく容赦といったものを感じさせない機械的なアクション。


「ここまで頭が回る子が、たったひとりで殺人犯と対峙するわけないじゃないのさ」


 我妻だった。

 遥が雫の気を引いているうちに、警察がすでに周囲を固めていたのだ。

 すぐにでも逮捕をと息巻く刑事たちは、自首を促すから説得のチャンスが欲しいと懇願した遥の意を汲んでくれた。

 常日頃から凶悪事件と戦っている彼らも、雫を取り巻く過酷な環境に思うところがあったようだ。


「我妻さん……」


「今回は君の要望を聞いたけど、こういう危ないことはやっぱりやめた方がいいね」


 遅れてやってきた刑事たちに取り押さえられ、引き立てられる雫。

 一時の激情は去り、その顔には何の表情も浮かんでいない。

 フラフラとした足取りで警察に連行される雫は、遥とすれ違う瞬間に口を開いた。


「アンタも気を付けなよ」


「え?」


 闇色を増した曇り空のもと、雫が最後に残したのは後輩へのアドバイスだった。

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