第18話 推論 その2
「何も見つからなかった」
情報共有するや否や、山口警部補はそう断言した。
隠し通路、天井裏、通気口、窓の外からの侵入。
通常でない方法を用いたあらゆる手段は検討され否定された。
2日目に大場以外に部屋を出入りしたのはルームサービスの堀田のみ。
「となると、やっぱり怪しいのはルームサービス……」
口に出して呟いた遥は、ふと、首をかしげる。
肝心なことを忘れていたのだ。
「どうかした?」
「ルームサービスって、そもそもどんなものなんですか?」
「客からの要望で、ワゴンに食事を乗せて運ぶものだ」
その問いに答えたのは山口だった。
『今さら何を?』と呆れたような口ぶりで。
我妻とは違い、遥の色香に惑わされるような素振りは全く見えない。
良くも悪くも反応がない。そんな態度に地味にプライドが傷つけられた。
まあ、遥の事情はさておいて――
「いえ、そんなことぐらいは知ってますけど」
「ひょっとして、遥ちゃんは使ったことない?」
「用もないのに使いませんよ」
遥は食事を自室で取る習慣がなかった。
家に居る時はリビングで食べるし、学校では教室で友人と一緒に食べる。弁当持参だ。
かなプロには柿本がいるし、出先でも大抵は誰かが傍にいる。
ひとりで食べるのは寂しい。
「えっとね、こんな感じ」
我妻がスマホを取り出す。
表示された壁紙は――遥の写真だった。
ウェブで大好評を博した際どい水着のグラビア。
慣れた手つきで液晶を操作する我妻の指がいやらしい。
――これはセクハラでは?
目の前で自分の肌(の写真)に這いまわる指先に、顔が引きつった。
話の腰を折るつもりはなかったので黙っていたが、隣に座っている山口の表情が険しい。
性犯罪も取り締まる捜査一課のメンバーとしては、我妻はやはりどこかおかしい。残念な刑事だ。
「ほら、これ」
差し出された液晶に表示された写真を見て、驚愕のあまり声が出かかった。
恐らく監視カメラの映像と思われるそれは、きっと特に珍しくもないもののはず。
大型のワゴンにテーブルクロスが掛けられ、昼食が載せられている。
ワゴンで運ばれていた昼食のメニューは真っ昼間っからステーキだった。
大場らしいと言えば大場らしい。しかし問題はそこではなく――
「これ……中に人がいたんじゃないんですか?」
テーブルクロスの内側が、画像から窺い知ることはできないのである。
小さな液晶に表示された写真を見る限りでは、人ひとり入るほどの空間がある……ように見える。
いや……これは確実に人が載っているだろう。遥は大いに意気込んだ。
「無理だ」
「どうしてですか?」
速攻で否定され、思わずムキになる遥。
「確かに……人間を運ぶことができるように見える」
「だったら――」
なんで断言できるんですか。そう続けようとしたところに山口が言葉を重ねる。
「重さはどうする?」
「え?」
――重さ? このワゴンの重さってこと?
「遥ちゃん、体重はどれくらい?」
唐突な我妻の問いに答えようとして――ストップ。
いやいやいや……この男はいったい何を言っているのか?
「女性に体重を聞くのはマナー違反ですよ」
あと年齢。朗らかな笑顔が崩れ、射るような視線を向けてしまう。
我妻という男、致命的なまでにデリカシーが欠けているのではないだろうか。
犯人逮捕への情念はともかく、人として大切なものが色々とボロボロだ。
「まあまあ、大雑把な所でいいから」
当の我妻はまったく気にした風でない。大丈夫なのかこの人?
疑念を抱きつつも、言葉を選び口にする。
「……50キロはありません」
明言は避けた。
「つまり40キロはある、と」
我妻が付け加えるが遥は肯定も否定もしなかった。
まったくもって図星だった。四捨五入……それ以上考えるのは止めた。
墓穴を掘りそうだった。あまり他人に詮索されたい情報ではない。
「仮に中に人がいるとして、あの日にホテルにいた人間の中で一番軽そうな遥ちゃんでも40キロ以上はある。とすると……」
いちいち40キロを強調しないでほしい。
遥の願いは全く届いていない模様。
「さすがにホテルマンが気づく」
「……ああ」
そういうことか。不躾な我妻の質問の意図がようやく理解できる。
テーブルクロスの内側に潜り込めば、見た目を誤魔化すことはできる。しかし、重量はどうにもならない。
自動操縦ならいさ知らず、ワゴンを運んでいるのは人間。物理法則を無視することは不可能なのだ。
「ルームサービスが疑わしいという意見は捜査本部でも挙がった。しかし重量の問題があって早いうちに切り捨てられた」
さすが日本の警察は優秀だった。
一介の推理作家が思いつく程度のことはとっくに検証済み。
だからこそ捜査は暗礁に乗り上げているとも言える。
「……何らかの方法で仮に重量を誤魔化せたとしても、さらにもうひとつ問題が」
「というと?」
そんなことを言ってくる我妻は、ルームサービス説を捨てきれていない様子。
ベテランひしめく捜査本部で早々に却下された説を、ことさらに深く掘り下げているのだから。
「あの中に犯人がいたとして、どうやって大場に毒を飲ませるかって話」
遥は部屋に入る方法ばかりに気を取られていたが、確かに部屋に入っても大場に毒を飲ませなければミッションは終了しない。
毒を飲ませると言っても、ワゴンの下から唐突に現れた犯人が持っているものなんて怪しすぎる。誰も口に入れたりはしないだろう。
つまり、大場の意思にかかわりなく毒を体内に放り込む方法が必要になってくるわけだ。
「それは……料理に毒を混ぜるとか」
両腕を抱くように組み、天井を見上げる。
「最初から毒を入れとけばいいじゃん」
まったくもってその通りだった。
わざわざ大場の部屋に入ってから毒を入れる必要性が全く存在しない。
必要性どころか、無駄にリスクを引き上げるだけであった。意味がなさすぎる。
「じゃあ……力づく?」
腕はそのままに頭を横に傾ける。夕焼けの光を浴びてきらめくサラサラの黒髪が肩から流れ落ちる。
遥の脳裏に、犯人が大場に覆いかぶさって、無理やり口を開かせて毒を飲ませる絵が浮かび上がる。
この方法だと女性2人には難しい――というか、一番体格の良い柿本が怪しくなる。
しかし、遥の想像は杞憂に終わる。我妻はまたもや首を横に振った。
「午後の撮影の時、大場の様子はどうだった?」
「どうって……普通でした」
ざっと記憶を思い返してみても、特におかしな点はなかった。
あえて言うなら着こなしがだらしなかったが、大場は初日からそんな感じだった。
少なくとも犯人と命懸けの力比べをした後には見えなかった。
「毒かどうかはこの際置いといて……無理やり何かを飲まされたのなら、一言ぐらいあるでしょ?」
「一言どころか大騒ぎしそうですね」
芸能業界のボス格である大場である。
それほどの無礼を働かれたなら、無言ということはあるまい。
争ったなら爪の間から犯人の皮膚が見つかったり……というのもミステリーのお約束だが、そういうものもなかったのだろう。
この説もやはり無理がある。
「大場さんが昼寝しているうちに飲ませた、とか」
「昼寝するかどうか保証がないよ」
「ですよね……」
大場が起きたままなら、犯人はずっとワゴンの中で身体を折りたたんでいたことになる。
食事に睡眠薬を仕込んでいたら可能ではないか、と言いかけてやめた。
そんな簡単な方法なら、とっくに警察が痕跡を見つけているだろうことが容易に想像できる。
というか、睡眠薬を仕込むくらいなら毒を仕込めばいいのだ。手間をかける意味がない。
「とまあ、こんな感じで捜査本部としてはお手上げってのが現状」
両の手のひらを上にして肩をすくめる我妻。
「ちなみに、我妻さんはどう考えてるんですか?」
「僕は……それでもルームサービスが怪しいと思う」
捜査本部でとっくに否定されているにもかかわらず、我妻はあくまでルームサービスを睨んでいる。
「その心は?」
「あそこ以外、大場に毒を盛る機会がないじゃん」
ホテルの監視カメラはそれぞれの個室内を映してはいない。プライバシーの侵害に当たるから。
裏を返せば、ほかの場所は概ね監視されているわけで、バレないように大場と接触するチャンスがない。
だからこそ、我妻はルームサービスに拘っている。
「それは……確かにそうですが……」
ルームサービス説は重量の問題と、服毒手段の問題の二つを抱えている。
この説を採用しないにしても、どのみち服毒経路の問題が立ちはだかる。
当日に大場が他の人間の飲みさしの水を口にしたか、あるいは話題に挙がっていない食事をつまみ食いしたか。
誰かが余計な飲食物を持ち込んでいたりしないか。捜査本部は、その辺りの可能性を探っているとのこと。
ホテルは貸し切りだったから、当日の人やモノの出入りは限定されている。
人数は決して少なくはないが、総当たりで調べているらしい。文字通りの人海戦術だ。
「空中浮遊で部屋に乗り込み、催眠術で毒を飲ませたなんて言うのは当然なし」
「そんなこと言いませんし」
推理小説だったら作者フルボッコで炎上しかねない案件だ。
しかし犯人がそんな力を持っているのなら、もっと自然に大場を殺すことが可能だったはず。
わざわざ毒なんか盛らなくても、いくらでも手段はあるだろう。
自殺に見せかけるなりなんなりしておけば警察が疑うこともない。
初めて目の前にいる二人が事務所を訪れたときは、内心で『警察何やってんの』と失望していた遥だが、こうして話を聞いてみると警察は丁寧にひとつひとつ可能性を潰している。
ことが殺人ゆえに憶測で動くことができなかったとはいえ、地道にコツコツと情報を集め、推測を立て、検証し、却下する。警察の仕事はその繰り返しであった。
そんな不毛ともいえる積み重ねの上にあるのが、遥に与えられた情報。小説ならサラッと流されるところだが、こうしてみると頭が下がる思いだった。
口から毒を摂取したことは確定。食べ物からも飲み物からも毒は検出されていない。嗜好品もなし。
毒を体内に摂取したのは2日目の昼頃というのも確定。
2日目に大場の部屋に出入りしたのは、午後の撮影のために部屋を出た本人を除けばルームサービスのみ。これも確定。
隠し通路他、入り口以外のあらゆる場所からの出入りは不可。
室内に毒の痕跡はなし。争った形跡もなし。
「これは確かに……確かに……」
ルームサービス説を却下した捜査本部の言い分も、あくまでこだわる我妻の言い分も理解できる。できてしまう。
「ルームサービス……ルームサービスじゃない……でもルームサービス……」
うわ言のように同じことを繰り返す遥。
店内は空調が聞いているものの、身体を抱きしめるようにして考え込んでいると蒸し暑くなってきた。
胸の谷間辺りから滴り落ちる汗の感触。夏が近い。
眼前には口を付けていないアイスティー。涼しげなその液体に浮かんでいた氷は解けて上澄みの色が薄まっている。
大きく息を吐いてグラスに手を伸ばす遥、その脳裏によぎったのは――微かな違和感だった。
――食べ物でもなく飲み物でもない。それでいて大場さんが自然と口に含むもの……
「遥ちゃん、大丈夫?」
気づかわしげに声をかける我妻。
その視線は微妙に顔からズレていたが、手をひっこめて思索にふける遥は気づかない。
グラスに向けて伸ばされていた右手が顎に当てられる。
――部屋に入る方法はルームサービスしかない。でもホテルマンは……いや、これは……
――そうすると怪しいのは……いや、おかしい。あの人のあの行動はおかしい。
――大場さんを取り巻く黒い噂。私が実際に体験したアレ……
「だから、あれがこうなって、そうなるから……」
「遥ちゃん、遥ちゃん!」
肩を揺り動かされて正気に返る遥。
ぼんやりしていた焦点が定まっていく。
世界が、思考が、推理が集束する。
――え、でも、これは……あまりにも馬鹿馬鹿しい……でも、でも……
「犯人……わかったかも」
そんな言葉が口から零れた。
証拠はない。あるのは可能性だった。
考えられるあらゆる不可能を可能とする理論、その道筋。
見えざる死の経路は、確かに今、遥の目の前に姿を現している。
「ほんと!?」
「なんだと!」
色めき立つ警察組二人。
彼らに向けて遥は提案する。
「すみません、協力していただきたいことがあるんです」
明日完結!(予定)