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第17話 推論 その1


「ごめん、待たせちゃった?」


 S社での撮影が終わり柿本に家まで送られた遥は、眠りにつく前に我妻に連絡を入れた。

 ひととおり容疑者候補に話を聞いた旨を報告すると、それならば一度会おうということになって呼び出された。ちょうどオフだった翌日に予定を入れる。

 遥が集めた情報と、警察が新たに集めた情報、その二つを突き合せようという話だ。

 電話やメッセージのやり取りで済ますにはセンシティブな内容だけに了承したものの、我妻のことだから『単に会いたかっただけ』とか言いかねない気もする。

 場所は、前に我妻に連れてこられた喫茶店。店外から見えない奥の方の座席。定位置。

 待ち合わせの時間より5分前に到着し、伊達眼鏡をかけて髪をアップにして変装した遥が頷くと、後からやってきた我妻は申し訳なさそうに頭を下げた。


 遥はアイスティー、我妻はコーヒーとパンケーキを頼む。

 店員が奥に引っ込むのを確認してから、遥はメモを見ながら集めた情報を説明する。

 雫、なぎさ、各務原、そして柿本。

 四人分の話を黙って聞いていた我妻は、一区切りついたところで軽く息を吐いた。

 ちょうど注文していたメニューが運ばれてきて、『少し考えをまとめるね』と言って目を閉ざしてしまう。

 遥は黙ってアイスティーを口に運びつつ、我妻の様子を窺う。


「重要なポイントは3つかな」


「……たった3つですか?」


 4人に話を聞いたのに3つとは。

 遥としては落胆を禁じ得ない。推理小説のようにはいかない。

 髪を弄っていた指に力がこもる。


「3つもだよ。聞き込みなんてそんなもんさ」


「はぁ……」


「まずひとつ目は……初日の『親睦会』で遥ちゃんがセクハラ被害を受けていたこと」


「え、それですか?」


 警察とはいえ男に話すべきか迷ったものの、なぎさに発破をかけておいて自分は別というわけにもいくまいと考え直した。

 内心ではあまり重要な話題でもないなと思っていただけに、いきなり俎上に挙げられてしまい平静を保てなくなる。


「今までずっと黙ってたよね?」


「それは……まあ……」


「こんなこと聞くと深いかもしれないけど、やっぱり言いにくいものなの?」


「……グラビアアイドルとか関係なしでも、そういう風評が広がるのは嫌です」


「水着は見せるのに?」


「男性の性欲を煽っていることは重々承知していますけど……好きでやることと、好きにされることは根本的に違うんです」


 自分の肢体を見せて注目を集めるのは好き。

 自分の肢体を欲望のままに弄ばれるのは嫌い。

 身勝手な言い分かも知れないが、そこのところを勘違いしてほしくない。

 例えば、ちょうど今ここで豊かな胸に手を当てて我妻の視線を操作するのは面白い。

 だからと言ってこのままホテルに行きたいかと言われればお断り。そういう所である。説明が難しい。

 まあ、それはともかく――


「ふ~ん。僕が犯人を捕まえるのは好きだけど、正義の味方を気どるのは嫌いってのと同じか」


 それはどうだろう。全然違うのではないか。

 疑問に思ったが口にはしなかった。


「柿本氏がやたら『飲酒させてない』って言ってたのは、こっちを隠すためだった、と」


 我妻の指摘に恐る恐る頷く。

 未成年に酒を飲ませたとなれば監督責任の問題が発生するが、セクハラの問題が表面化するよりはマシ。

 おそらく柿本はそう考えたのだろう。本人に確認はしていないが、あの遣り取りはちょっとわざとらしかったと思う。

 それが遥を慮った結果なのか、スキャンダルを避けるための方便なのかまでは不明だ。柿本の性格的には前者だと推定されるが。


「大場の野郎、ブッ殺してやろうか」


「もう亡くなられてますよ」


「そうだった……あとは閻魔様にお任せか」


 残念そうな我妻の声。

 そんなにセクハラが許せないのなら、そちらの取り締まりをやればいいのに。

 一番に取り締まるべきなのは会話中も胸をガン見している我妻本人である。その次には意図的に男を誘うポーズを見せる遥だろうか。


「んで二つ目、なぎさちゃんのアリバイについて」


「ええ」


「これは事務所に問い合わせてみるよ。確認が取れれば彼女のアリバイが成立する」


「ですね」


 とは言え、なぎさが電話していない間に犯行に及んだ可能性は残る。

 あの場では具体的なところまで話を聞くことができなかったのが残念だ。


「……さっきの話もそうなんだけど、こういう話って警察相手でも言いにくいものなの?」


 公権力である警察と、一個人に過ぎない大場(既に故人)。

 我妻的には――あるいは一般的には警察の方が強い力を持っていると思われている。

 ゆえに――若い刑事は首を傾げ、ペンの尻で頭を掻きながらそんなことを宣う。

 疑問を隠そうともしない我妻の視線を受けて頷く遥。


「この業界で生きる人にとって、Aプロというか大場さん相手に堂々と敵意を向けるというのは……難しいです」


 新人となると余計に厳しい。

 あの男の不興を買うだけで、仕事が全く回ってこなくなる可能性もある。

 なぎさと別れてから気付いたが、彼女は舞台の稽古もやっていた。女優志望でもあるのだ。

 声優としてだけでなく、そちら方面でも将来を考えているのなら、なおさら大場やAプロを敵に回すのは得策ではない。

 グラビアアイドルである遥より、声優のなぎさの方が大場を脅威に感じていたのは意外な気はするが。


「ふ~ん、じゃ、今回の件はウザい老害が消えてくれてよかったってこと?」


「そこまで言ってませんって」


 業界人のひとりとしては、あまり突っ込んだことは言えない。


「でも、各務原氏は大場相手に揉めてたんでしょ?」


「あの人は特別です」


 各務原は業界ナンバーワンのカメラマンだ。替えが聞かない存在である。

 大場がいくら各務原を煙たく思っても、無下にすることはできない。

 アイドルや女優を多数輩出しているAプロとしても、各務原との関係が切れるのはダメージが大きい。

 それだけの実績と実力を持ち、関係各所に顔も名前も売れている各務原だからこそ、大場に立ち向かうことができるのだ。


「すでに十分な地位を築いている各務原さんと私たちじゃ立場が違いすぎます」


「そういうもんか。んで3つめ……その各務原氏が手掛ける遥ちゃんの写真集について」


「それはどうでもいいですよね?」


「何言ってるの、重要だよ。一番重要。わかってないなぁ」


 我妻が何を言っているのかさっぱりわからない。

 大場殺しの話をしていたはずなのに、なぜ遥の写真集の話が出てくるのか。

 恐ろしいことに、この刑事、真顔であった。声も100%マジ。


「それ、今回の事件に関係あります?」


「関係ないけど、重要度という点では段違いだね」


 人の生死よりエロが大切と言い切る姿は男としてはともかく人として、あるいは刑事としてはどうなのだろう?


「我妻さん、一度病院に行った方がいいんでは?」


「いやいや、僕は全然正気だから」


――せめて『本気』と言ってほしかった……


 へらへらと笑う我妻の顔を見ていると、自分の常識を疑いたくなってくる。

 そこをぐっと堪えて遥は我妻から情報を聞き出そうと試みる。


「それで、警察はあれから何か新しい情報を掴んだんですか?」


「そうだねぇ……特に目新しいものはないかな」


「……」


「前に話した堀田……ああ、大場の部屋にルームサービス運んでいったホテルマンね。彼もかなり厳しく締め上げられたんだけど」


「何にも証言がなかった?」


 遥の言葉に我妻は頷いた。


「ほかにも事件現場の再検証、家族を含む大場の身辺関係、Aプロの営業状況……あとは裏社会との関わりとか」


 大場に関わるひととおりの調査は完了していると言う。


「ちゃんと仕事されてるんですね」


「警察だからね。でも、肝心の事件についてはさっぱりさ」


 そう自嘲する。

 捜査本部が立ち上がってから大分時間が経過している。大勢の警察官が動員されているのに進捗ははかばかしくない。

 テレビのワイドショーも、最近では大場の死そのものよりも警察の怠慢を叩く報道が増えたように見える。


「大場が死んだのは午後2時過ぎ。逆算すると服毒は12時から13時。アリバイがあやふやなのはすでに挙げた5人」


 我妻がメモを見ながら殺しの状況を説明する。


「ガイシャは初日に遅れてホテルにやってきた。その後の『親睦会』で遥ちゃんにセクハラするも逃げられて不貞寝」


 ペンを置いてページをめくり、トントンと指でテーブルを叩く。


「翌日の午前中はずっと部屋に籠りっきりだったけど、お昼あたりにルームサービスを頼んでる」


 ホテルの監視カメラによって、大場の部屋に出入りした人間が他にいないことは確認済み。

 遥は目を閉じて記憶の中にあるホテルのスィートルームを思い出す。

 4階を丸ごと占領する広大な部屋。ふかふかのカーペットをはじめとする高級な調度品……

 

「毒は経口摂取であることが確定。他に目立った外傷はなし」


「と言うことは……」


「2日目に大場が口にしたものはルームサービスのみってこと」


「室内備え付けのものは?」


「手を付けてないね」

 

「毒は出なかったんですよね?」


「大場の部屋だけじゃなく、ホテル全体を調べたけどな~んにも出ない」


 脳内スィートルームにどんどん×印が増えていく。


「……経口摂取というのは間違いないんですよね」


「ああ」


 一番怪しいのはルームサービスで運ばれた食事ということになるが、ここに毒は含まれていない。

 そうなると……


「経口摂取が確定で、ルームサービスが白となると……」


 遥は腕組みして思考を加速させる。


「推理作家としては、どう?」


「……毒ガスとか?」


 ダクトを通じて室内に毒をばら撒く。

 この場合もっとも怪しいのはホテルの関係者。


「それはさすがに証拠が残るでしょ?」


「ですよねぇ」


 仕掛けが大掛かり過ぎる。とても誤魔化しきれるものではない。

 そんな証拠が見つかったなら、警察だって困りはしない。


「だったらバスルームのシャワーに仕込んであったりは……」


 我妻は首を振る。


「シャンプーとかも確認したけど、これも白」


「じゃあ、遠隔操作の……」


「間接的な服毒トリックってこと?」


「ダメですかね?」


「う~ん、ミステリーならありかもだけど、そういうものも見つかってないねぇ」


「そうですか……それじゃ、部屋に隠し通路とかは?」


「あるか、そんなもん」


 頭上から響いた声は我妻のものではなかった。

 もっと太くて重い声。

 見上げたそこには――いかつい顔をした熟年刑事の姿が。


「山口警部補……」


「げ、源さん、何でここに……」


 あからさまに『しまった』と顔をしかめる我妻の頭に拳骨が落ちる。


「お前はいったい何をしとるんだ。民間人にペラペラと情報をばらしおって、このバカモンが!」


「いや、でも、ちょっと待ってくださいよ。これには訳が」


 言い募る我妻の頭にもう一発。


「あの、協力を申し出たのは私です。我妻さんを責めないであげてください」


 見かねた遥がそう告げると、さらに山口は顔をしかめる。


「我妻、お前まさか……」


「……」


「お前、自分がやったことがわかってるのか!? 捜査情報の漏洩は厳罰ものだぞ」


「厳罰結構。僕の首よりも殺人犯を捕まえる方が重要じゃないんですか?」


 激昂する山口を見据える我妻の眼は――冷たく光っている。声に温度を感じない。

 常日頃見せるへらへらした態度からは想像もつかない冷徹な姿。開き直りとも違う。

 おおよそ感情らしきものが見当たらない。こんな顔をする人間がいるのか。

 目の前で豹変した我妻に寒気を覚えた遥は、思わず両手で身体を抱きしめた。


「面子なんかに拘って犯人に逃げられて。ま、警察はそれでもいいんでしょうけど」


 怒りに身体を震わせている山口を鼻で嗤う。


「お前……ふざけているのか?」


「責任取って腹を切るわけでもなし、辞職するわけでもなし」


 お偉いさんが頭を下げてゴメンナサイ。それで終わりだ。

 そうやって事件が迷宮入りして困るのは、殺人犯を野放しにされた一般市民。


「犯人を逮捕できない警察なんて、存在価値がありませんよ」


「お、お前……」


 親子ほど年の離れた我妻相手に山口は苛立っている。否、それだけではない。

 得体がしれない。理解ができない。自分たちとは全く別の価値観に生きているナニか。

 我妻という男の真の姿の一端を垣間見て、遥もまた言葉にできない感情を抱いている。


「ま、それはいいとして。遥ちゃんにはもうあらかた話しちゃったし、せっかくだから協力してもらいましょうって話です」


 いつもの調子を取り戻した我妻が笑う。

 しばらく立ち尽くしていた山口は――最終的に我妻の隣りに腰を下ろした。

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