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第15話 『各務原 洋司』


「は~い、かなちゃん視線こっち!」


 声のする方に眼差しを向けると――フラッシュ。そしてシャッター音。

 露わな肌に輝きを浴びると、身体の奥底から熱が沸き上がってくる。

 心の高揚によって、遥の白い肌は上気して紅潮する。

 くるくると変わる表情。笑顔の花が咲き、瞳の奥に怪しい光が宿る。

 男の心を射抜く魔性の輝き。


「よ~し、もうちょっと胸元見せていこう!」


 自然すぎる不自然な指示に、躊躇いなく身体をくねらせてポーズをとる。

 遥の脳内イメージに合わせたはずのシルエットは、しかし声の主のお気に召さないらしい。

 ならばと思いつくままに身体を動かす。『オッケー』の掛け声とともに連続したフラッシュが焚かれる。

 

 カメラマンというのは、ただ写真を撮るだけの存在ではない。

 芸術的素養はもちろん、知識や技術を高めるだけではまだ足りない。

 被写体が人間の場合は特に高いコミュニケーション能力が求められる。

 その全ての要素を兼ね備えた男。日本で最高のカメラマン――少なくとも対女性という点では誰もが認める男。

 それが、ちょうど今、遥の前に立っている『各務原かがみはら 洋司ようじ』であった。


 大場殺しの容疑者のひとりである各務原との接触には、特に障害はなかった。

 ちょうどS社(出版業界中堅)のグラビア案件で、各務原が遥を撮るスケジュールになっていたのである。


「は~い、おつかれさま。差し入れありま~す」


 S社の編集が用意してくれたのはコンビニのスイーツだった。

 出版不況が叫ばれる昨今、どこも経費削減には躍起になっている。

 これまでの経験から言えば、大手――たとえばK社のような――なら、もっとグレードが高いものが出てくる。

 同業者の中には、そういった比較を口にする者もいるけれど、遥としてはそんな些細なことに目くじらを立てたりはしない。

 ただ――


――う~ん、糖質脂質……カロリー……


『女の子は甘いものが好き』という言葉を真に受けて、わざわざ気を利かせてくれたのだろう。

 せっかく厚意で用意してもらったものを無下にはできない。

 しかし……だからと言って――制限、節制……

 煩悶する遥を、機嫌を害したかと勘違いした編集氏。


「かなたちゃんは、確か普段はお弁当持参するんだよね?」


「あ、はい。よくご存知ですね」


 咄嗟に答えてしまったが、声をかけてきたのは各務原だった。

 遥は健康管理を重視する。日々の食事はできるだけ3食とるし栄養もバランスよく摂取することを心がけている。

 どんなに忙しい時でも、どんなに小説の執筆が捗ったり捗らなかったりしても、食事と運動、睡眠は欠かさない。

 ロケ先で弁当を用意してもらえるのはありがたいが、仕出し弁当は得てしてその辺りが考慮されていないことがある。

 だから、あらかじめ食べるものは自分で用意するようにしているのだ。

 

――ほとんど面識はないはずなのに、何でそんなことを知っているのだろう。


 思わず各務原に疑念の眼差しを向けてしまう。

 

「あと、ウーロン茶しか飲まないとか、本当?」


「まさか。普通に紅茶くらい飲みますって」


 ただし砂糖とミルクは除く。

 各務原の言葉に、ようやく遥の食事事情を察したらしいS社の人が顔を青ざめさせている。

 別に恥をかかせるつもりはない。食べた分だけ走ればいいだけだ。だから――

 

「でも、これは美味しそうだから頂きます」


 あえて一番カロリーが高そうな、生クリームたっぷりのケーキを口に運ぶ。

 口の中に広がるまろやかな甘味。節制しているとはいえ甘いものが嫌いなわけではない。好きだからこそヤバいのである。

 頬にクリームがついた感触。そこにフラッシュ。


「え、ちょっと、止めてください各務原さん」


「いやいや、こんなおいしいショットは逃せないって」


「もう!」


 怒ったふりをして(ちょっと本気だった)頬についていたクリームを指で拭って嘗めとると、またフラッシュ。

 ハラハラと様子を窺っていたスタッフに向けて笑顔を浮かべると、ようやく落ち着いてくれた。

 その姿を確認してからバスローブを受け取って身にまとい、各務原に近づく。


「どうですか、各務原さん」


「いや~、この前の時も思ったけど……かなちゃんはいいね」


「ありがとうございます?」


 何がいいのかよくわからないが、褒められている……はず。


「うん。勘がいいっつーか、頭がいい? こっちの意図をちゃんと汲んでくれる」


 ふむ、と遥はうなずいた。

 正直なところ、あまり実感がない。

 日々鏡の前でポーズをとったり、同業他者のグラビアを見て研究はしている。

 ちなみに肌も露わなグラビア満載の雑誌は、弟に買いに行かせている。ちょっと暴君な姉だった。

 

「なんて言うか、ちゃんと俺とイメージを共有してくれるじゃん?」


「……それはまあ、そういうお仕事ですから」


 グラビアのポーズは千差万別――とまではいかない。自分ひとりで考えるだけだと限界がある。

 特に痛感させられるのは性別の違い。どれだけ男性誌をチェックしても、男性自身の『見たいもの』を完全にトレースできているわけではない。

 そういったときに頼りになるのは、撮影時に間近で空気を共有しているカメラマン。

 ファインダー越しに視線を感じ、その指示を頭の中で精査し新しいイメージを作る。

 表情だって同じ。そういうことはままある。別におかしなことではないと思うのだが。


「それを自然に言っちゃうのがなぁ~」


『可愛い上にスタイル抜群、肌もきれいで頭も回る。そして何より勘がいいって、ちょっと半端ないよ』

 そんなことを真顔で言われるものだから、遥としては恐縮してしまう。

 日本一のカメラマンと名高い各務原は、かなりの職人肌というか気難しいという話を聞いていたのだが……

 こうして話をしてみたところでは、そういう風評と人柄が一致していない。


「私なんて、全然大したことないと思いますけど」


「またまた御謙遜を」


 別に謙遜でも何でもない。

 日々リサーチしている他のグラドルは、誰も彼も自分よりきれいに見える。

 なんでそんなふうに感じるのだろうか? 常に頭を悩ませている問題である。

 ひとつ気になっているのは、目標の差ではないかという点。


 遥は芸能活動と呼べる仕事は撮影ぐらいしかしていない。

 他のアイドルたちに比べると、グラビアの仕事に対する熱量に差があるような気がしてならない。

 そう感じるのは、きっと小説家とグラビアアイドルという二足の草鞋を履いていることに起因しているのだろう。

 どちらか一方に専心しているわけではないことが、コンプレックスになってしまっているのだ。

 無論、遥も手を抜いているわけではない。両方できるならやればいい。そう考えてはいる。

 日々の食事から生活習慣まで徹底的に気を遣っているし、撮影中は頭をフル回転させている。

 それでも――


「しかもNGがゆるいのもいいね」


 グラビアアイドルと言ってもいろいろ事情がある。

 例えば雫のように女優へのステップアップする場合は、事務所から徐々に露出を減らすように注文が入る。過激なポーズもダメ出しされる……らしい。

 性的なイメージを払しょくし、より一般受けを狙うようになるのだ。

 遥は今のところそのようなことは考えていない。柿本はしばしば難しい顔をしているが、他に売りがないと考える遥としては出し惜しみはしていられない。


 パソコンに転送された撮影データを見せてもらうと、そこには遥の知らない遥がいた。

 見たことのないポーズに見たことのない表情。

 可愛らしく、あるいはカッコよく、そしてセクシー。

 遥自身の想像の2割、いや3割増しは行っている。


「凄いですね」


「かなちゃんがね」


「いえいえ、そんな……」


 凄いのはカメラマンと撮影スタッフの力によるところが大きいと素直な感想を口にするも、各務原は笑って取り合わない。


「この前の仕事の時から凄いと思ってたんだ。この子はきっとエライことになるなって」


――エライことって何?


「ありがとうございます」


 疑問は胸の内に秘め、感謝の言葉を口にする。

 ファインダー越しに多くの女性を見てきた各務原の言葉には信憑性がある。

 ……まぁ、お世辞かもしれないが、少しだけ心はアガる。褒められて悪い気はしない。


「あ、そういえば少しお話いいですか?」


「ん? いいよ、撮影順調だから時間ある」


 各務原は上機嫌だ。いい感じに口を滑らせてくれると嬉しい。


「この前のお仕事……大場さんが亡くなられた時のことを伺いたいんですが……」


「え、なんで?」


 各務原の声には奇妙な重みが宿っている。先の二人と同じ、予想通りの反応。


「……不謹慎だとは思うんですが、小説のネタにならないかな、と」


 言い淀む遥を興味深げに見つめてくる各務原。

 その瞳の奥に灯る輝きは不思議な色合いで。


「まあ、いいけど。でも大体は警察に話しちゃったからなぁ」


「そうなんですか?」


 わざとらしい。各務原に余計な疑念を抱かれたかもしれない。

 表情には出さなかったものの、遥の心臓が早鐘を打つ。


「聞きたいのは二日目のお昼?」


「はい。あと、大場さんと揉めたって話、本当ですか?」


「はは、僕を疑ってるわけか」


「それは……すみません」


「その割には正直に答える。変わってるね」


 やっぱり面白い。

 失礼なことを口にしたわりには、各務原の機嫌は悪くない。


「どっちの話からするかな……ま、先に二日目の話にしようか」


 傍の椅子を引きとせて腰かける各務原。

 遥は横向きになってテーブルに腰を下ろす。


「あの時は、午前中の撮影が予定どおりいかなくて、ちょっと頭に来てたな」


「……怖かったです」


 今日の各務原は普通に語りかけてくれるが、あの日――と言うかあの撮影では終始言葉が少なめだったような記憶がある。

 なぜだろう? 単に撮影が上手く行ってなかったから? よくわからない。


「ごめんごめん。ま、それは置いといて。確かなぎさちゃんを撮り終わった後のアリバイがないって話だろ?」


 あっけらかんとした各務原。

 一番聞きたかったところにズバリと踏み込まれ、遥は無言でうなずく。

 気圧されている。そう認めざるを得ない。追求できるか自信がなくなってくる。

 しかし――


「自分の部屋に戻って飯食って、ちょっとだけ昼寝。それだけなんだよなぁ」


「おひとりだったんですよね?」


「ああ。周りの人間に当たり散らすなんてカッコ悪いし、後々差し障りがあるだろ? ひとりになりたいさ」


「お昼寝されてたのは?」


「12時半くらいから1時の間だっけ。あの日は朝早かったから眠くってさ」


「ですね。私も少し眠りました」


「う~ん、アリバイないし怪しまれるのは仕方がない」


 警察にも相当しつこく聞かれたらしく、各務原の表情が渋くなる。


「何かアリバイを証明できるものはないんですか?」


「ない、な~んにも!」


 いっそ清々しいほどの態度である。

 胡散臭いと言えば胡散臭い。

 しかし憶測で決めつけるわけにはいかない。何しろ事は殺人。

 滅多なことで誰かを糾弾することはできない。


「それで、俺に大場さんを殺す動機がないかってところで、揉めた話が出てくる、と」


「……揉めたんですか?」


「ああ。揉めたよ」


 これまた素直に頷いた。疑ってほしがってるんじゃないかと邪推したくなるほどに。


「勘違いしないでほしいけど、大場さんと揉めたのはこれが初めてじゃないよ」


「えっ?」


「なんつーか、あの人と俺は趣味が合わなかった」


 各務原曰く、大場が強引に押してくるアイドルの多くが、自身の琴線に触れない女の子ばっかりだったという。


「はぁ」


「しかもあの人、俺の写真にイチイチ難癖付けてくるわけ。喧嘩にもなるでしょ」


 業界トップの大場相手に喧嘩する各務原も大概だと思う。

 遥の前では終始穏やかな各務原に、そんな激しい一面があることが想像つかない。

 

「俺は可愛い子の写真が撮りた過ぎてこの仕事やってる。好きなことに妥協はしたくないんだ」


 だからこそ揉める。でも――


「ま、それでもちゃんと成果は出してきたから」


 大場からしてみれば各務原は気に食わないが、他のカメラマンとは比較にならないレベルの結果を出すから使う。

 各務原からすれば、気に食わない子を撮るのは煩わしいが、たまに当たりの子と引き合わせてくれるから受ける。

 そういう関係だったらしい。


「気に入らないからって撥ねつけて終わっちゃったら子供だよね。俺たちは大人として仕事はするよ」


「なるほど……」


「ここまで話してあげたお礼に、写真集出すなら俺に撮らせてくれない?」


「そうですね。私の一存では決められませんが……各務原さんにお願いできればうれしいですね」


「大人だねぇ、君も」


 これで15歳って。

 そう苦笑する各務原だった。


「さて、後半の撮影始めよう」


「はい! よろしくお願いします」


 二人を遠巻きにしていたほかのスタッフやS社の方々に向けて笑顔と朗らかな声をプレゼント。

 調査は大事。でも、仕事も大事。そういうことだった。


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