第14話 『桐生 なぎさ』
『谷川 雫』に話を聞くことはできたものの、次のターゲットである『桐生 なぎさ』との接触は困難を極めた。
何しろ彼女は現役女子高生にして声優。ラジオのパーソナリティの仕事もある。
さらに劇団にまで所属している。売り出し中の若手だけあって実に多忙。働きすぎでは?
商売繁盛は羨ましい限りではあるけれど、そんな彼女の足取りを追う方としてはたまったものではない。
声優事務所を始め、なぎさの訪れそうなところへ手あたり次第に足を運んでも、ものの見事にすれ違いばかり。
遥だって学校があるし仕事もある。そうそう好き勝手に動き回ることはできないのだ。
――あんまり借りを作りたくないけど、仕方ない……
溜め息とともに我妻にメッセージを送ると――即座に反応があった。
『なぎさちゃんは明日アニメの収録があるよ。場所はここ↓』
「え、早すぎ……」
我妻の返事が早すぎる。ずっとスマホとにらめっこしていたとしか思えない。
しかもここまで的確になぎさのスケジュールを押さえていることも怪しい。
――警察ってそんなに暇なのかな? てゆーか、ストーカーかな?
遥は失礼な疑問を抱いたが、慌てて頭から追い出す。
あっちも色々な所から追い立てられて、大場殺しについて走り回っているはずなのだから。
日本の警察は優秀。そういうことにしておこう。
――でも、ちょっと引く……
我妻への評価が乱降下する一件であった。
★
幸いというべきか、我妻の情報に間違いはなかった。翌日、遥は収録スタジオから出てきたなぎさと無事接触できた。
年齢も性別もバラバラな人たち(おそらく声優)と談笑しているところに割り込むのは気が引けたが、今回を逃せば次がいつになるかわかったものではない。
「桐生さん、ちょっといいですか?」
「え、あなたは……」
なぎさが怯えたように身を引いた。
遥が変装用の眼鏡を外すと、ようやく得心がいった風であったが、それでも警戒はとかない。
彼女の周りにいた人たちが『何があったのか』と言わんばかりの視線を向けてくる。
同業者の連帯感か、あるいはかわいい後輩を護るためか。どちらにせよ当然と言えば当然だ。
「この前の件で少しお話があるんですが……」
そう切り出してみるも反応は芳しくない。
それでも、真剣な遥の表情に思うところがあったのか、なぎさはゆっくり頷いて二人でその場から移動する。
何度も後ろを振り向いていた当たり、何かしら予定が入っていたのかもしれない。悪いことをした。
なぎさは夕食がまだだということで、手近なファミリーレストランに腰を落ち着ける。
遥はドリンクバー(でウーロン茶)、なぎさはお勧めパスタを頼む。
「結構食べるんですね」
「食事は基本ですから」
声の仕事はエネルギーを使う。なぎさも遥や雫と同じようなことを口にするが、微妙に意味が異なっている模様。
グラビア撮影の時から薄々感じてはいたが、なぎさは写真を撮られることに――あるいはグラビアを飾ることを倦厭している節がある。
あくまで実力で役を勝ち取っていきたいという本人の意思と、とにかくメディアへの露出を優先する事務所の間で意見の齟齬があるらしい。
我妻からのメッセージにはそう書かれていた。
そんななぎさから見れば、小説を売るために肌を晒しているような遥のような人間に対しても好意を抱くことができない、といったところか。
――よそよそしかったもんなぁ。
その情報、もっと早く欲しかった。
メッセージを見て頭を抱えた遥だった。
「それで、お話というのは……」
「あ、はい。まずは、その……先日の撮影を台無しにしてしまってすみませんでした」
神妙に頭を下げる。話を聞くにしても、まずは謝罪から。誠心誠意。
なぎさにとって意に添わぬグラビア撮影だったというのに、遥の体調管理ミスのおかげで迷惑をかけてしまった。大失態だ。
「そんなにしないでください」
「でも……」
なぎさは、続く遥の言葉を遮った。
「あのときは、たまたま空野さんだっただけ。私も結構危なかったですから」
「そうなんですか?」
自分の失態ばかり気にしていたせいで、他のメンバーの状態まで気を回すことができていなかった。
大場の死を引きずっているのは自分だけではない。言われてみればその通りかもしれない。
「そう言っていただけると助かります」
「私の方こそ、お仕事なのにずっと失礼なことばっかり……」
「それは……」
我妻情報により仕事に対する彼女のスタンスが知れた今となっては、どう返事をしたものか迷ってしまう。
「自分でもわかってるんです。声のお仕事だけで頑張りたいって言っても、まだ実力が追いついてないって」
「そんなことはないと思いますけど……」
遥の言葉になぎさは首を横に振る。
「ごほん。それはもういいとして、わざわざそんな話をするために私を追いかけ回していたんですか?」
「別に追いかけ回していたわけじゃ……」
どうにも弁解の言葉に力が入らない。
冷静に自分の行動を思い返してみれば、立派なストーカーそのものであった。
さっさと我妻に相談すればよかった。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』というではないか。
故事成語という奴は馬鹿にならない。文章で商売をしている割には迂闊である。
「その……実はなぎささんに伺いたいことがありまして」
遥が口を開くと同時に、パスタが運ばれてくる。
食欲を誘う香りが二人の鼻腔をくすぐる。
「あ、温かいうちにどうぞ」
「……それじゃ、失礼します」
手を合わせて遥の目の前でパスタを食べ始めるなぎさ。
対して自然と口中に湧き上がる唾を飲み込む遥。
「えっと、一口食べます?」
視線を感じたか、なぎさが声をかけてくれる。
「いえ、帰ったら夕食があると思いますので」
適度な食事は必要だが、食べ過ぎ禁物である。我慢。
遥の事情を察したらしく、なぎさはそれ以上誘いをかけてくることはなかった。
背もたれに身体を預けて前髪を横に梳き、黙ってウーロン茶を喉に流し込んで空腹をごまかす。
「空野さん、実家暮らしですか?」
「ええ、両親と弟と一緒です。確かなぎささんは……」
「ひとりっ子です」
両親はいますけど。そう付け加えつつパスタを食べるペースは速い。
みるみる間に皿が空になってゆく。よほど腹が減っていたのか。お仕事大変ですね。
「それで、お話というのは何でしょう?」
なぎさは澄ました顔で一人前をペロリと平らげて、ナプキンで口を拭いつつ尋ねてくる。
「はい。先日の撮影――大場さんが亡くなられた時のことをお伺いしたくて」
そう口にした瞬間、なぎさの身体が大きく震えた。
★
「えっと……まず、初日の撮影が終わった後のことですけど、親睦会に出席されませんでしたよね?」
「……それが何か?」
本命の前に軽いジャブを打ったつもりが、なぎさの声色は固い。
テーブルの上に置かれた拳がぎゅっと握られている。
「大丈夫だったのかなって」
今回の企画を主導しているのはAプロ。その社長である大場が顔を出す集まりに欠席する。
不義理――とまでは言わないが、大場の不興を買うことにはならないか。
遥の感覚では、なかなかそこまで思い切った行動はとれない。
今後の仕事に影響が出る可能性を考えれば……
「私……その、噂を聞いたことがあるんです」
なぎさの声は震えている。
「噂?」
「あの社長が、女の子を……その……」
言葉を濁すなぎさ。
その意図は明白であり、彼女に余計なことを言わせる必要性は感じなかった。
「まぁ、確かにそういうことはありましたね」
「……空野さんはそれでいいんですか!?」
ばね仕掛けの人形のように体を浮かせるなぎさ。
別段彼女が極端なまでに潔癖と言うわけではない。
おそらく遥の方が一般常識からずれてしまっているのだ。
「いいとは思ってませんけど……結果的にではありますが、大したことはありませんでしたし」
「でも……私、あなたのようには割り切れません」
遥のようになあなあで済ましていては、いつかきっと取り返しのつかないことになる。
なぎさの危惧するところはそのあたりのようだ。同じ女として理解はできる。
「それで、えっと……二日目の昼なんですけど……」
「……はい」
遥が憶えている限りでは、午前中に最後まで撮影していたのはなぎさだった。
結構時間が押していたように記憶している。
「ずっとNG出して、カメラマンの人に張り付かれて……」
「撮影が終わった後、どうされてました?」
「それは……」
「それは?」
俯いていたなぎさは――遥に促され、思い切って口を開く。
「部屋に戻ってウチの事務所に電話してたんです。『こんな仕事、もう嫌だ』って」
「……」
「だっておかしいじゃないですか。私、声の仕事がやりたかったのに、何で人前で水着になんてならなくちゃならないんですか!?」
苦渋に満ちたなぎさの声。店内にいた他の客の視線が集まり、慌てて二人とも顔と身体を隠すように縮こまる。
名前を売るために堂々と水着姿で男を誘う仕草を見せる同業者――例えばグラビアアイドル――に対する批判を含んでいるように感じられたのは、遥の気のせいだろうか。
ちなみに『空野 彼方』に対する批判の多くもまた、その点である。思うところは――ないでもない。
「誰にも知られず、読んでもらうどころか手にとってすらもらえない。チャンスももらえず埋もれて消えるぐらいなら、私は……」
知らず漏れ出した遥の声に力がこもる。……これは呪いだ。
そんな遥の様子になぎさはハッと目を見張る。
「ご、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
「いえ、私の方こそすみません。私は……自分で始めたことですから」
か弱げな声に我に返って、強張っていた顔を揉みほぐす遥。
大きく深呼吸して、先ほどのなぎさの証言を脳内再生。
「つまり、あの日の昼休みのなぎささんの動向については、事務所側も理解していると」
「……はい」
「それは、警察には?」
「いいえ、誰にもしゃべってません」
「何で言わないんですか!?」
殺人事件の容疑者のひとりとして挙げられているのに、黙っていてもいいことは何もない。
なぎさの思考がどうにも理解できなくて、遥はつい声を荒げてしまう。
「……怖かったんです」
「怖い?」
「業種は違えどAプロの影響力についてはわかっているつもりです。いまだ新人の私がAプロを非難したことが記録に残るって思うと……」
――そういうものなの?
遥としては首を傾げざるを得ない。
なぎさの中では親睦会に出ないのはOKで、愚痴を残すのはNGらしい。
大場に対する心証を鑑みれば逆のように思える。セクハラされるのは絶対嫌ってことだろうか。
そう疑問を抱いた遥だったが、
――Aプロにも声優育成コースがあったっけ……
なぎさが問題視しているところは、決して的外れとまでは言えないようだ。
それでも納得しがたく感じられるのは、遥の半分が『小説家』という芸能業界に全く関係ない要素でできているからだろう。
Aプロの脅威については、遥よりも声優であるなぎさの方が危機感を抱いている。どうにもチグハグな印象はぬぐえないが。
「私は大場社長を殺してなんかいません。私が余計なことを言わなくても、警察がきっと犯人を逮捕してくれるって、だから……」
肩を震わせるなぎさ。うっすらと涙がにじんでいる。
自分の潔白を信じているからこその判断だったらしい。
事件から2か月がたとうとしているのになお決着を見せない状況は、彼女に相当な負担をかけているようだ。
「なぎささん、私は……ちゃんと警察に説明した方がいいと思います」
「でも……」
「警察だって万能と言うわけじゃない。みんながみんな、あなたのように情報を隠してしまったら、事件はいつまでたっても解決しない」
それほど多いわけではないが誤認逮捕の事例は存在する。
今回に関して言えば、それ以前の問題で容疑者を絞ることすらできていない。
「……空野さんは警察に協力しているんですか?」
小説のネタにするという建前を振りかざしてはいるものの、少し頭を使ってみればすぐバレる話ではある。
「はい。私は……人を殺すような人と一緒に仕事してるって考える方が怖いんです」
犯人の意図するところは不明だが、自身の意に添わぬ相手を殺して回るような人物だったら、いつ遥がターゲットになるかわかったものではない。
自らの身の安全を守るためにも、ちゃんと事件が解決してもらわなければ困るのだ。
「それは……確かにそうですね」
事務所に相談してみます。
肩の荷が下りたかのようにホッとした笑みを浮かべるなぎさ。眦に涙を浮かべている。
遥もまた笑顔で返したが、
――この話の裏が取れたら、なぎささんは容疑者から外れるわけか……
薄暗くなってきた窓の外に視線を送る。残されるのは――あと4人。




