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第12話 潜入、Aプロダクション!


 ある晴れた昼下がり。見上げた先には――天を衝くビル。

 都内の一等地にあってひと際目立つその建物こそ、最大手芸能事務所『Aプロダクション』

 丸ごとひとつ自社ビルで、中には撮影スタジオ、レッスン場ほか芸能活動に必要なアレコレがぎっしり詰まった夢の城。


「聞いてはいたけど、うちとは大違いね……」


 眼鏡のレンズ越しにその威容を目の当たりにして、遥は思わずため息をついた。

 ビルの一室を間借りしている『かなたプロダクション』と比較してしまうと、物悲しさで胸がいっぱいになる。


「ま、まあ、それは置いておくとして……」


 いきなりAプロの迫力に飲まれかけた遥は、軽く気合を入れなおして入口へ足を進める。

 自動ドアが左右に開き、そのまま中へ入るとすーっと風が肌を撫でる。汗ばむこの季節、空調が嬉しい。

 向かって正面にはカウンター。常駐しているらしい受付嬢まで美人だ。人材まで豊富だ。

 受付嬢は来客を見て僅かに目を細めたが、遥が近づいて眼鏡を取ると一転して驚いたような表情を浮かべる。

 目の前にいる少女が『空野 かなた』だと気が付いたらしい。


「本日はどういったご用件でしょうか?」


 きれいに作られた笑顔。滑舌の良い声。プロの仕事だ。

 しかしその眼の奥の輝きは、他社の所属グラドルがAプロを訪れたことについて疑問を抱いていることがありありと見て取れる。


「すみません、私、こういう者でして……」


 我妻に倣って名刺を差し出す。

 そこには『小説家 空野 彼方』『かなたプロダクション所属 空野 かなた』の名前が印字されている。

 飾り気のない紙片ではあるが、どんな時でも営業活動は大切だ。

 もちろん、遥は今の事務所を辞めるつもりもなければ、Aプロに自分を売り込みに来たわけでもない。


「先日の撮影の際に御社の『谷川 雫』さんに助けていただいたんですが、気を失っておりまして」


 改めて礼を言いたい。そう伝えると納得したらしい受付嬢は手元の端末を操作する。

 ほとんど待つことなく『谷川はレッスン中です』との答えが返ってくる。


「待たせていただいてもよろしいですか?」


「ええ、それは構いませんが……時間が……」


「おや、君は……」


「……?」


 横合いから掛けられた声の方に振り向くと、そこにいたのは若い男。

 パリッとスーツを着こなして、端正な顔立ちに爽やかな笑みを浮かべている。

 整えられた髪は軽く色が抜けたきれいな茶色。


――どこかで会ったっけ?


「久しぶり、元気してた?」


 そんなことを言われてしまうと、ますます混乱してしまう。


「あ、その顔は俺のこと憶えてないね」


 素直に頷くわけにもいかず戸惑う遥の様子に腹を立てた様子でもなく、


「ほら、雫のマネージャーだよ」


「ああ……」


 ようやく得心がいった。雫の傍についていた男だ。

 あのホテルでも見かけた記憶がある。


「それで、今日はウチにどんな御用で?」


「えっと……この前、雫さんに助けてもらったお礼を……」


「なるほど、それで……」


 男はしばらく何か思案する素振りを見せ、


「だったら、雫のレッスンが終わるまで見学でもしていくかい?」


――へぇ、中見てもいいんだ……


 雫のマネージャーの提案は遥にとって一考に値するものであった。

 同業他社、しかも業界最大手のビルの中。興味がないと言えばウソになる。

 雫のレッスンがいつ終わるかはわからないが、何かの話のネタになりそうだ。大手の仕事ぶりも見てみたい。

 グラビアアイドル『空野 かなた』としても小説家『空野 彼方』としても好奇心がムクムクと湧き上がる。取材は基本。


「よろしくお願いします!」


 笑顔で返事。

 一瞬とは言え、本来の目的を忘れかける遥だった。



 ★



 大場殺しの犯人捜索に協力する旨を我妻に伝えたところ、アリバイのない重要参考人たちの情報を探ってほしいと頼まれた。


「とっくに事情聴取は終わってるんじゃないんですか?」


「それはまあ、そうなんだけど。遥ちゃんみたいに警察に協力的な子ばっかりじゃないんだよ」


 我妻曰く、警察が相手と見るや警戒心をマックスまで引き上げてしまい、あまり込み入った話ができていないらしい。

 何回顔を出しても結果は変わらず。余程手を焼いているのか、声に疲れが滲んでいる。


「同業者の遥ちゃんなら話しやすいこともあると思うしさ」


 一般人である遥にここまでぶっちゃけるあたり、警察――あるいは我妻自身――相当手詰まりを感じている模様。

 

「芸能界の大物が殺されたってんで、早く犯人を挙げろって突き上げられててさ」


 捜査本部も縮小どころか拡大傾向にあるらしく、他のヤマに人員が裂けないと上役が嘆いているとか。


「そうですか」


「まったく……普段は散々こき下ろす癖に、こういう時は大声張り上げるんだからほんとメンドクサイ」


「同情します?」


「ありがと。で、お願いしていいかな?」


「それぐらいなら。時間もありますし」


「助かるよ。……ところで」


「……なんですか?」


「いや、どういう心境の変化かなって思ってさ」


 我妻の疑問はもっともなものだ。

 これまでの遥は警察の要請に対しては素直に答えていたが、それほど積極的に関わってはこなかった。

 そもそも一市民としては、あまり殺人事件になど首を突っ込みたくなるものではない。

 電話越しの我妻の問いに、目を閉じて頭の中に浮かんだ思考を整理し、一言一言ゆっくりと口から紡ぎ出す。


「大場さんの死を目の当たりにして、警察とお話しして、それでも今回の事件は自分にとってはどこか他人事だったんです」


「ま、そりゃそうだよね」


「でも、いざ現場で死にかけて――今日のは私の勘違いだったんですけど――このままでいいのかって」


 心の中に浮かんでいた曖昧な感情を言葉が形取ると、明確な意思となって胸の奥で明かりが灯る。

 口を開くごとに『犯人を捨て置けない』という気持ちが燃え上がっていく。


「普通はそのままなんじゃないの?」


「怖いんです。人殺しがすぐ傍にいるかもって……次のターゲットは自分かもって考えるのが」


 想像しただけで背筋が震える。

 悪意を通り越した殺意が自らに降りかかる可能性が、すぐ傍に存在するという現実が。

 そのイメージは――恐怖すら超越した何か。恐ろしくておぞましくて目を逸らしたくなる。屈服したくなる。

 人は死を前にして何を思うのか、これまで遥はそんなことを深く考えたことはなかった。考える必要がなかった。

 だってミステリにおいて、死を前にした者は大体そのまま死んでしまうのだから。死人に口なし。

 しかし――今は違う。勘違いとは言え死をすぐ傍に感じた。幸い今回は難を逃れた。しかし――殺人犯の正体は不明のまま。動機も不明。


「だから、やられる前にやってやれってこと?」


「……はい。変でしょうか?」


「どうだろう? 僕にはよくわからないけど」


「けど?」


「遥ちゃんが協力してくれるなら――ありがたいな。僕も全力でサポートするよ」


 後半は――日頃のへらへらした雰囲気からは想像つかない真剣な我妻の声。


「サポートするのは私の方だと思いますが……とにかく、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしく」



 ★



 マネージャー氏に案内されるままにエレベーターに乗り込む。広くて明るい。

 扉が閉まると、狭い部屋に若い男女で二人きり。


「あの、よかったんですか?」


「ええ、空野さんには是非とも当事務所の様子をご覧いただきたい」


 重力がかかる。エレベーターが上昇を開始。目指すは10階。

 遥の問いに張り付けた笑顔を返し、距離を詰めてくる男。

 押されるままに下がると――壁。マネージャー氏はなおも接近してくる。


――これは『壁ドン』って奴では?


 間近で見る男は、俳優と言ってもいいほどのイケメンだった。なんでマネージャーなんてやってるんだろう?

 その男の指が遥の前髪を横に梳き、耳から顎をくすぐるように流れ、首筋を通って豊かに盛り上がった胸元を撫でてゆく。

 上着のボタンに指を引っかけてそのまま軽く下に。外部から力を掛けられたバストが揺れる。

 高級スーツに包まれた男の長い足が、遥の白い生足の間に差し込まれる。

 男の瞳の奥に粘着質な光。それは遥に注がれる多くの男と共通したもの。見慣れている。怯むことはない。

 負けじと男を上目遣いで見つめ返す。口には微かな笑みを浮かべて。ただ――内心では首をかしげている。


――なんか、ややこしいことになってない?


 取り繕った余裕の表情の裏側で、Aプロの現状を思い出す。

 カリスマ的トップだった大場を欠いた今のこの事務所は、後継者の座を巡って争っている真っ最中。

 そこそこ名前の売れている他社所属のアイドルを引き抜くことができれば、それは大きなポイントになる。

 そう踏んだ男の勇み足と言ったところか。あるいはただのスケベ心か。どちらにせよメンドクサイ。


「どうされたんですか?」


「いいね。凄くいい」


 胸の柔らかさを確かめるようにしばらく上下していた男の指は、ボタンを離れ曲線を描くボディラインを触れるか触れないかの距離でなぞりつつ下へ向かう。

 男の吐息が遥の唇をかすめる。甘い声が耳朶を打つ。

 

「こんなことしてていいんですか?」


「うん? ただのスカウトだよ」


――どこがよ……


「雫さんについてないどころか、よその事務所の女の子に手を出そうとするなんて……」


「何も問題ないさ。だってここは天下のAプロだぜ」


 多少の不祥事は事務所の力で揉み消せる。男はそう笑った。

 その傲慢さにイラッとさせられる。しかし、それが現実でもある。


――さて、どうしたものか……


 事を荒立てずにこの場を逃れるにはどうすればいいか煩悶。

 そんな遥の思惑とは裏腹に、虎の威を借る狐は、それ以上は何もできなかった。

 密室の二人に重力がかかりドアが開く。エレベーターが10階に到着したのだ。


「やれやれ……」


 未練がましげに男は遥から距離をとる。

 さすがに衆目の中で行為に及ぶ勇気はないらしい。


――やれやれはこっちの言葉だっての!


 遥は内心をおくびにも出さずに開かれたドアの向こうに視線を送る。

 行き交う人間は、男も女もどこかで見たような顔ばかり。

 テレビか雑誌か、あるいは映画か。さすがAプロは格が違う。

 社長ひとり、グラドルひとりの弱小事務所の人間としては感嘆することしきりである。

 目の前の男ような不埒者がいない点だけは、かなプロの方が優れているが。


「ほら、雫はあそこ」


 男が指し示す先は――女優育成コース。一応案内はしてくれるらしい。

 指先を辿ってみると、そこには雫だけでなく多くの若手が集まっていて、講師らしき男の言葉を熱心に聞いている。

 生徒たちの目は真剣そのもので、よそ見なんて誰もしていない。張り詰めた室内の空気の中、そんじょそこらの進学校ではかなわない程の熱意が渦巻いている。


――うわ~、凄い!


「雫も頑張ってるけど……なかなかねぇ」


「……え?」


 雫のマネージャーの言葉は意外なものだった。

 自分の担当グラドルなんだから、もっと推しているのかと思っていたのだ。

 男の声には何となく諦めに近い感情が混ざってるように聞こえた。


「……まあ、それは置いといて。レッスン終了まであと30分ほどかかるけど?」


「そうですね……」


 30分。長いようで短い時間だ。建物の外へ出て何かをする余裕はないし、かといって廊下で立ちっぱなしというのはしんどい。


「もしよければ、中に入って見学するかい?」


「え、いいんですか?」


 その提案に思わず乗っかりそうになったところで、ようやく遥は正気に返る。

 このままずるずると相手のペースに乗っかっていると、いつの間にかとんでもないことを口走りかねない。

 それは、遥にとっていささか都合が悪い。


「あ、いえ……ここで待ってますので、どうかお構いなく」


「別に取って食おうと言うわけじゃない。俺たちには未来のトップスターの資質を持つ子を応援する義務があるってね」


――未来のトップスターって……義務って!


 さっきまで遥をとって食おうとしていた男の言葉に苦笑い。

 大仰しいマネージャー氏の言葉に苦笑する。彼の言葉は逆効果だった。

 Aプロの威容に飲まれかかっていたところを踏みとどまった。

 どこか浮ついていた心が急速に冷めて、ここを訪れた理由を思い出す。


「今日は雫さんにお礼を言いに来ただけですので」


「そう? だったら、これから俺と……」


「お断りします」


 男に最後まで言わせない。肩に回された手を払いのける。 

 それでも最後に名刺を押し付け、『気が変わったら連絡頂戴』と言い置いて去っていった。

 歩み去る男の背中がエレベーターに消えるのを確認して、遥は大きく息を吐き出した。


「さすが業界ナンバーワンってところかしら……」


 よく言えば押しが強い。悪く言えば傲慢。

 あれくらいの性格でないと、やっていけないのだろうか。

 ついつい柿本と比較してしまう。いかつい巨体と穏やかな心を持つ巨漢。

 遥が気づいていないだけで、相当無理を敷いているのではないかという懸念。


――ま、まあ、それは後にして……


 再びレッスンルームに視線を戻す。遥たちの廊下でのやり取りなど誰も興味を持っていなかった。

 彼らのうち、いったいどれだけが女優として日の目を浴びることになるのだろう。

 互いに相争い蹴落とし合う者たちがひとところに集う。まるで蟲毒のようだ。ふと、そんな感想が頭をよぎった。



 ★



 マネージャー氏の言葉どおり30分後に講義は終了した。

 散り散りになる生徒たち。談笑する者、足早に部屋を去る者、講師に詰め寄る者。

 雫は――最後のグループだった。

 講師との会話――遥の位置からは内容は聞こえない――を切り上げた彼女を呼び止める。


「雫さん!」


「あら、かなたちゃん?」


 雫の口から漏れた遥の名前。その声に対する周囲の反応は劇的なものだった。

 レッスンを受けていた若手は射殺さんばかりの視線を放ち、対照的に講師の男は興味深げに笑みを浮かべる。


「どうしたの、こんなところで?」


「あ、いえ、この前助けていただいたそうで、そのお礼を言いに来たんですけど」


 しどろもどろになりながら表向きの要件を口にする。演技ではない。


――なにここ、プレッシャー半端ないんですけど!

 

 すっかり委縮してしまっている遥の姿に思うところがあったのか、


「折角だから少しお話ししましょうか?」


「えっと、勝手に訪ねて来ておいてアレなんですけど、時間は大丈夫なんですか?」


 Aプロ一押しの雫は、きっと遥とは比べ物にならないほど忙しいのではないか。

 ここまできておいて今さらではあるが、そんな疑問が頭をもたげてくる。


「大丈夫よ。バイトまでまだ時間あるから」


「そう……ですか」


 微笑みかけてくる雫の様子に嘘の雰囲気は見当たらない。

 

――バイト……バイトかぁ……


 雫ほど売れているグラドルでもバイトしないといけないのか。マジかよ。厳しいなぁ。

 自身も小説家との二足の草鞋でやっているわけで他人事でもない。


「それじゃ、カフェに行きましょう」


「……カフェ?」


「ええ……と言ってもウチのだけど」


――社内にカフェ! そんなのもあるのか!


 遥の脳裏に映し出されたのは、かなたプロダクションの狭い給湯室。

 改めて事務所のパワー差を思い知らされる羽目になった。


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