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第11話 覚醒


 闇の中にひとり浮かんでいた。

 上下左右、どこまでも広がる闇。


――ここはどこ? 私はどうなったの?


 次々と疑問が浮かぶ。身体に力が入らない。

 混乱し、焦燥し、そして恐怖する。

 最後に残った記憶は――思い出そうとしても、虫食いのようにボロボロと崩れ落ちて形を成さない。


「いや……」


 意識が薄れ、消失する。

 家族、友人、仕事仲間。

 みんなの顔が色褪せて、消えてゆく。


「こんなのは嫌……」


『高遠 遥』を構成するあらゆるものが消えてゆく。

 予感がする。死の予感が――


「死ぬのは……嫌ぁ――――!」


 絶叫。そして浮遊感。

 漆黒の闇に光が差し込んだ。



 ★



「嫌ぁ―――――!」


 叫び声とともにバネ仕掛けのように身体を起こす。

 荒い吐息。汗だくの身体。ゆっくり首を振ると、見覚えのない部屋に驚いた顔の大男。柿本だ。

 恐る恐る手を胸にあてると、薄い布地の奥から暖かくやわらかな感触。身体の奥から響いてくる確かな鼓動。


「ハア――ッ、ハァハァ……生き――てる……?」

 

 ペタペタと頬に触れる。

 髪が貼り付いている。不快感すらいとおしく思えてくる。


「かなたさん!」


 すぐ傍から柿本が気づかわしげに声をかけてくる。


「柿本さん? ここは……私はいったい?」


「かなたさん、とりあえず横になってください」


 柿本は遥の質問に答えなかった。

 ただひたすらに『横になれ』と繰り返してくる。

 部屋を見回していた遥は、ようやく自分がどこにいるか理解した。病院だ。

 柿本に促されるままにベッドに横になり、視線で説明を求める。


「かなたさん、撮影の途中に意識を失ってプールに落下したんです」


 柿本に言われて――思い出した。

 撮影中に身体が不調を訴え、それを口にする前に水に落っこち、そして――


「大場さんのことがあったから、みんなびっくりしてしまって」


 誰も動けなかった一同をよそに、待機中だった雫が咄嗟に飛び込んで助けてくれたらしい。

 水を飲んで呼吸が怪しくなっていた遥に人工呼吸まで施してくれたとのこと。


「雫ちゃんのお父さんが医療関係のお仕事をされているそうで、彼女もひととおりの知識を持ってたのが幸いしたね」


 ドアを開けて入ってきたのは警察――我妻刑事。

 撮影現場で見せていた無邪気な様子はどこにもなく、珍しく――遥が知る限りでは初めて――神妙な表情を顔に浮かべている。

 こうして見る分には端正な顔立ちだと、場違いな感想が脳裏をかすめた。


「私は……」


「心労からくるストレスと不眠、栄養失調だってさ」


 身近であんな事件があったから仕方ない。

 我妻はそう口にしたが、それだけでもないと遥は考えた。

 大場が死んだ。理由はわからず犯人も捕まっていない。

 どうやって毒を飲まされたのかすらさっぱりわかっていない。

 つまり――次は自分が殺されるかもしれない。

 飛躍しすぎかもしれない。しかし、その可能性は否定できない。

 だって、何にもわかっていないのだから。

 その不安が無意識のうちに遥の心身を蝕んでいたということだろうか。


――こんな気持ちを胸に抱えたままじゃ……


「正直焦ったよ。警察がガードしてる最中にまた誰か死んだなんてことになったらシャレにならない」


 その口ぶりは、遥を水中から引き揚げてくれた雫にも感謝しているようだ。

 さすがに『何かあるかもしれない』というあやふやな推測だけで、救急車やレスキューを控えさせておくわけにはいかなかった。


「ちなみに各務原氏は人工呼吸のシーンをしっかりカメラに収めていたけど」


「え、ちょっと、それは……」


「酷いよねぇ、人の命がかかってるのに。芸術家ってのはみんなあんななのかね?」


 自分のことを棚に上げてずいぶんな言い草である。

 張り詰めていた我妻の顔は、もういつもどおりのニヤケた笑みを形作っている。

 その表情は穏やかで、遥のことを相当気にかけてくれていたことが容易に想像できる。


「え、やだ、もう……メイク崩れちゃってるじゃないですか!」


「あ、怒るのはそこなんだ」


 呆れた様子の我妻。

 なぜだろう、無性に腹が立ってくる。


「その件については各務原さんに言っておくから、とにかく今はゆっくり休んで」


「はぁ……お願いしますね、柿本さん」


『医者を呼んでくるから』と部屋を出ようとする柿本と、あとに続く我妻。

 その背中に向けて、


「あの、ちょっといいですか?」


「ん? なんだい?」


 振り向いた我妻の顔はいつもと同じ飄々としている。

 しかし、その眼にはいつか見た光を感じる。


「今回は、ただの体調不良だったんですよね?」


 大場殺しとの関連性を疑わずにはいられない。

 自分が狙われる理由は思い当たらないが、どこで怨みを買っているかわかったものではない。


「ああ、君は毒なんか盛られていない」


 遥の危惧するところを正確に読み取った我妻は断言した。


「……よかった」


 じゃ、また後でね。

 そう言い置いて男たちは部屋を去る。

 残された遥はベッドに横たわり、知らない天井を眺めたまま思考に耽る。

 ほうっと大きく息を吐き出した。胸に溜まったモヤモヤが一緒に抜けていく。


――よかった。本当によかった。


『空野 彼方』として、これまでに何人もの人間を殺してきた。

 もちろんフィクションの世界のことである。

 しかし大場が死に、今まさに自らもまた死ぬかもしれないという体験を経ると、自分の描写がどれだけ上っ面を撫でただけの甘いものかを思い知らされる。

 人の命とはそうそう簡単に扱っていいものではない。むすっとした山口警部補の言葉が思い出される。

 しかし、その一方で今の自分ならもっと良い描写ができるようにも思う。

 人に聞かれたら『まるで懲りていない』と呆れられること請け合いである。これはもはや職業病のようなものだ。各務原にとやかく言える筋合いではない。


――それにしても……


 遥はベッドの上で記憶をたどる。

 起床。朝日をバックに撮影。2人の撮影を見学。そして自分の撮影。

 陽光のもと、せわしなく鳴り響くシャッター音。浴びせられるフラッシュ。

 肢体を覆う小さな布地。目。目。目。四方八方から向けられる視線。

 高揚した精神。過去回想。突然の体調不良。プールへの転落。ここで記憶が途切れている。


――みんなびっくりしただろうな。


 大場が死んだ時と状況が酷似しすぎている。

 同じロケーション、同じシチュエーション。ご丁寧に時間帯までほとんど同じ。

 おそらくあの場にいた誰もが遥の死を予感しただろう。

 しかし――遥は死ななかった。我妻が保証したように、今回のトラブルは大場殺しとは関係ない。殺人ではない。

 現に機転を利かせた雫によって救われた遥は、今こうして五体満足のまま病院に運び込まれている。


――ん?


 なんだろう?

 なにかが遥の中で引っかかった。

 違和感。それも――とても小さな違和感がある。

 手を伸ばせば届きそう。でもその正体に触れることは叶わない。

 目蓋が落ちる。思考を維持できない。


――ダメ……ちゃんと考えないと……


 遥の願いもむなしく、消耗した身体は急速にスリープモードへ移行した。



 ★


 

 柿本に送られて家についたのは、予定よりだいぶん遅い時間帯だった。

 案の定というべきか、両親からはコッテリ絞られる羽目に。

 自室にたどり着いたときにはすっかり疲労困憊してしまっていた。

 

『撮影は中断しました』


 帰りの車内で、柿本は沈痛な面持ちで語った。

 縁起の良し悪しはともかく、せっかくもらった大きな仕事である。

 自分のせいでスケジュール通り進まないことを申し訳なく思う。

 しかし、柿本は『中断』と言った。『中止』ではない。

 意識を失っていた遥は柿本から状況を聞くことになったわけだが、Aプロの方がこの企画に躍起になっているらしい。

 

「まぁ、小さいとは言えホテルひとつ借り切ってやってるわけだし、そうそう引き下がれないか」


 遥たち3人に、有名カメラマンである各務原ほか多くのスタッフを拘束し、ロケーションを確保。

 ここでやめては誰にとっても大損である。遥だって他人事ではない。

 その一方で、常に付きまとうのはある種の薄気味悪さ。

 Aプロの社長である大場の不審死(殺人)、遥の体調不良による水難。

 まるで撮影を阻む何者かの意思が働いているかのような錯覚を覚える。


「だからと言って……負けてられないのよ」


 ベッドに倒れ込み、あおむけになると見慣れた天井が視界に広がる。

 呼吸に合わせて上下する胸元のポケットから、一枚の紙片を取り出す。


『これ、僕の連絡先』


 別れ際に我妻が押し付けてきたその紙片は、名刺だった。

 業界人なら名刺交換は当たり前、遥だって一応名刺は用意している。

 顔と名前を覚えてもらってナンボの業界だから、その辺りに手抜かりはない。


「しっかし、警察が名刺って……どうなの?」


 我妻の名前と電話番号、メールアドレスが記載されている。裏は真っ白。

 どこからどう見ても名刺そのものだが、警察という職業と名刺というのがどうにも結びつかない。

 遥が知らないだけで、案外普通に警察も名刺のやり取りを行っているのだろうか?

 ……なにはともあれ、


――このままにはしておけない。


 今日のトラブルについては、完全に遥の予想外の出来事だった。

 人見知り100%だった昔ならともかく、一年以上グラビアアイドルとしてキャリアを積んできた自分が、まさか仕事中に倒れるなんて。

 常々生活習慣には注意を払っている。たとえ小説を執筆している最中であろうとも、睡眠時間は確保してきたし、三度の食事を欠かしたこともない。

 体力づくりのため、あるいはスタイル維持のための運動も、積極的に生活習慣に取り入れている。週に何度かは近所のジムにも通っている。

 そんな自分が、あんな失態を晒すことになった原因は――やはり大場の死に他ならない。自分でも気づかないうちに精神的なショックを受けていたということ。


 警察が動き始めて一か月以上、もうすぐ二か月といったところ。

 我妻の話を信じるならば(疑う理由はないが)、捜査はサッパリ進んでいない模様。

 このままでは、安心して仕事を受けることができるようになるのはいつになるのか。

 死に怯えながらでは身体も心も委縮してしまう。それは――良くない。気に入らない。


『空野 彼方』はこれまでに2冊の推理小説を世に送り出した。

 別に犯罪のプロを自称するつもりはないが、何も知らないわからないと言うわけでもない。

 人を殺すアイディアを考えるという点では、それなりに自負もある。あまり自慢できるものでもないけれど。

 

――あの時と同じね。


 思考は鮮明。意志は決定。

 ただ座して死を待つくらいなら、前へ。

 それは『空野 かなた』が生まれた原感情。

 ゆえに――『高遠 遥』はスマホを取り出し、液晶に指を滑らせる。

 上体を持ち上げ、空いた手で軽く髪を梳く。

 呼び出しのコールはたったの3回。


「もしもし、我妻さん?」


 ならば戦おう。

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