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10/20

第10話 過去/現在/そして……


 スタッフやグラビアアイドルたちだけでなく警察も固唾をのんで見守る中、『ホテル・オールブルー』での撮影は進む。

 二日目。朝も早よから再び朝日をバックにした撮影。カメラマンである各務原は、前回の撮影よりもいいものが撮れたと豪語している。

 美少女3人の合わせから、『谷川 雫』、『桐生 なぎさ』の個撮を経て昼食。


「……今のところ何もありませんね」


 昼食のおにぎりを食べつつ遥が零すと、


「何かあってもらっては困ります!」


 律儀に柿本が返事をする。

 その生真面目さには遥も苦笑せざるを経ない。


「お昼を食べたら私の撮影ね」


 誰に問うでもなく独り言ちる。

 前回、大場が死んだ時間が――近い。



 ★



「ここが大場さんの部屋か」


 空いた時間を使って、遥はあの日大場が泊まっていた部屋の前にやってきた。

 撮影の途中で抜け出してきたので、水着の上にバスローブ、足元はサンダルと言った軽装のまま。

 場所は4階のスィートルーム。フロア丸ごと使ったこのホテル最高の一室である。

 この階はエレベーターホールとスィートルームのみ。

 VIP仕様らしく、ホールのカーペットや調度品すら他のフロアとは格が違う。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、遥は思いっきり浮いていた。


「中に入れないかなぁ」


 推理作家として、未解決事件の犯行現場(推定)に興味がないと言えばウソになる。

 ハッキリ言ってもの凄く見たい。『ひょっとしたら……』という淡い期待は、今回の企画を受けた理由のひとつでもある。

 当然ながら今は使われておらず、ホテルも遥に鍵を貸してはくれない。現実は甘くなかった。

 ミステリで活躍する探偵たちは、どうやってあちこち調べ回っているのだろう。作家のくせして、その辺りの事情がよくわからない。


――だいたいなぜか警察にコネがあるとかそんな感じよね……


「興味ある?」


 背後から声をかけてきたのは――


「我妻さん?」


 ひょろ長いシルエットの刑事、我妻であった。

 この男もコネと言えなくもない……言えなくもない?


「どうしてここに?」


「遥ちゃんのいくところ常に……冗談は置いといて、中を見たいんじゃないかと思って」


 バスローブからのぞく胸の谷間を凝視する我妻を軽く睨み付ける。

 刺すような視線をものともしない我妻は、ルームキーであるカードを遥の目の前で手元でひらひらさせる。


「……いいんですか?」


「いいんじゃない。もう一月以上経つし現場検証もとっくに終わってるし」


 あれから一度も使われてないらしいよ。

 鼻歌を歌いながらロックを解除し中にドアを開く。

 誘われるように室内に入った遥は――


「うわ~」


 思わず感嘆の声が出た。

 さすがVIP専用だけあって、同じホテルとは言え遥の部屋とは内装からしてレベルが違う。さらにメチャクチャ広い。


「こんな広い部屋にひとりで泊まるとか……」


「持て余しそうだよねぇ」


 へらへら笑う我妻に同意しかけて……スルー。

 中へ進みつつ、あちらこちらに視線を走らせる。

 しかし――


「う~ん、これは……」


 腕を組んで天井を見上げると、豪奢なシャンデリアが吊り下がっている。

 広すぎるベッド、冷蔵庫をはじめとする大きな電化製品。風呂場に洗面所。

 スケールとかかっている金額こそ違えど、根本的な部分では遥が泊まっている部屋とあまり変わらない。


――でも、隠れるところはなくもない……かな?


 ベッドに腰かけてみるとふんわりとお尻を受け止めてくれる。

 バスローブの裾から零れた白い脚が根元のあたりまで露わになった。


「ひととおり調べてはみたんだけど、特に何も出てこなかったんだよねぇ」


「はぁ」


 胸の中で膨らんだ期待は一瞬でしぼんでしまった。

 何となく無駄足を踏まされたようで脱力感。

 我妻の視線は……挟まれた両腕で強調された遥の胸に固定されている。

 あまりに堂々としすぎていて、怒る気にもならない。


「そろそろ撮影の時間じゃない?」


「それはそうなんですけど、なんで我妻さんが私のスケジュールを知っているのか……」


「だってほら、僕って警察だし」


 公権力の横暴だと思う。

 軽く睨み付けると、我妻は視線を逸らして下手な口笛を吹き始めた。



 ★



 スィートルームの探索は成果無し。

 名探偵なら目ざとく何か証拠らしきものでも発見できたのだろうか。

 残念ながら、ただの小説家兼グラビアアイドルにそこまでの観察力はなかった。

 気を取り直して撮影再開。陽光差し込む屋内のプールサイドを歩く。

 すぐ傍に密着している各務原の存在に気付いていないように、自然な足取りで。

 絶え間ないシャッター音。浴びせられるフラッシュ。

 ファインダーの向こうから視線を感じると、自然と気分が高揚する。


――いい感じになってきた。

 

 心はふわふわ。身体の奥がじんと熱を持ってくる。

『空野 かなた』の――否、『高遠 遥』の『今』が切り取られ、結像する。

 永遠に残る一瞬の連続が生まれる。

 

 写真を撮られることは――苦手だった。過去形である。

 今は――好き。大好きだ。



 ★



『高遠 遥』はどこにでもいるごく普通の中学生だった。

 幼少の頃より祖父母の影響で読書を嗜み、時を置かず自ら筆を執った。

 幾度の失敗を経て生み出された物語は、我ながら何度読み返してみても面白かった。

 祖父母も褒めてくれた。自分にこんな才能があったのかと驚かされたものだ。


 これは遥の思い込みが激しかったわけではない。

 その証拠に、伝手をたどって出版社に持ち込んでみたところ、後に担当となる女史もまた遥の小説を激賞。あれよあれよという間に出版が決定。

 満を持して世に送り出された処女作は――期待に反して全く売れなかった。ほとんど反応がなかった。


 後から考えてみれば、ぽっと出の無名作家の小説がそうそう簡単にヒットするはずなどないと理解できる。

 しかし、当時の遥にしてみれば自分自身を全否定されたも同然だった。文字どおり目の前が真っ暗になり、食事が喉を通らなくなった。

 どうしてこんなことになってしまったのか。もうすぐ完成する第2作も同じ道をたどるのではないか。

 ネガティブな思考を否定してほしくて担当女史にアドヴァイスを乞うと、彼女はただ沈痛な面持ちを浮かべるのみ。打つ手がなかった。

 そんなとき、たまたま二人が角をつき合わせていたブースを通りかかったゴシップ系の情報誌の編集長(男)が声をかけた。


『名前を売りたきゃ脱いでみれば?』


 それはセクハラじみた揶揄――若すぎる小説家と、そんな少女をもてはやした担当に対する――だった。

 しかし、冗談半分に放たれた言葉が遥の運命を変えた。

 自分の文才には自信がある。手に取って貰えさえすれば――名前さえ知って貰えさえすれば。

 すがるような心境で咄嗟に口を開く。


『だったら、脱ぎます』


 ★


『高遠 遥』は、どこにでもいるごく普通の中学生だった。

 より正確に表現するならば、見る者にどことなくもっさりした印象を与える文学少女だった。

 前髪を額から重たく垂らし、長い髪は後ろで三つ編み。

 同年代の女子よりも発育の良かった身体を男子たちの視線から隠すために、ずっと前で腕を組んでもじもじしていた。

 猫背で、いつも俯いていて、そして口下手。コミュニケーション能力も絶望的。

 だからこそ、男の言葉はただのジョークで終わるはずだったのだ。


 あまりに熱心に――傍から見れば異常なほどに――懇願する遥をなだめるためだったと、のちに男は笑った。

 現実を見れば諦めるだろうと嵩をくくっていたとも言った。

 何はともあれ、その日偶然K社のスタジオで撮影していたスタッフたちが協力して――そして遥は化けた。

 前髪を上げた遥の顔を直視したものは誰もが驚愕に目を見開き、編集の顔を立てるために渋々付き合っていたはずのスタッフたちのプロ魂に火がついた。

 あれよあれよという間に仕上げられた己が姿を見た遥自身が『誰、これ?』と真顔で呟いた。

 鏡の中にいたのは、誰もが認める美少女だった。


 撮影は順調に進んだ――とは言い難かった。

 もともと自分の容姿に自信がなかった遥は、写真を撮られることを忌避していたから。笑顔はぎこちなく、ポーズはどことなく硬い。

 小説のためにグラビアをやると意気込んでは見たものの、その異常なテンションを維持し続けられたわけではなく、鏡の中の自分――生まれ変わったような――を称賛するスタッフたちの言葉を素直に受け取ることもできなかった。

 なぜなら――その姿は誰にも顧みられなかった処女作の発売前夜の様子と酷似していたから。

 それでも――


『やれることは全部やろう』


 何もせず、ただ座して滅びを待つことはできない、

 人事をつくしたものだけが天命を待つことができるのだ。

 怯懦に震える心を叱咤し、遥は何度となく撮影に挑んだ。

 慣れない環境、慣れない視線。カメラマンの指示の内容は半分も理解できず、ただ言われるままにポーズをとった。

 そして後日、遥の――『空野 かなた』はグラビアデビューを果たし――ブレイクした。

 アイドルや俳優が小説を書くことはあるが、小説家がグラビアを飾ることは少ない。その珍しさが人目を引いた。

 名前が売れ、顔が売れ、肢体が売れ、そして本が売れた。

 既に終わってしまったはずの処女作は甦り、重版を重ねた。

 通販サイトのレビューに評価がつき始めた。


 後から事情を知らされた家族からは大反対された。家族会議が開かれ大喧嘩になった。

 両親にとって遥は『よい娘』だった。親の言うことをよく聞く、大人しくて頭の良い娘。

 グラビアデビューの件で意見を違えるまで、遥は両親と喧嘩したことがなかった。

 引っ込み思案だった娘が自分の身体を衆目に晒すことに両親は嫌悪感を露わにしたが、一方で小説に掛ける娘の熱意には理解を示し、最終的には学校の成績を維持すること、親戚筋の人間を傍につけることを条件に折れた。

 

『空野 彼方』は、小説家として正道を歩んでいるとは言い難い。それは本人が一番自覚している。

 同業者からは皮肉を投げかけられることは少なくないし、読者からも全面的に受け入れられたわけでもない。

 ネットで検索すれば、中傷――それも十代の少女に向けるにはあまりに厳しい性的なモノが溢れている。

 それでも――誰にも知られず、読まれず、顧みられなかったあの頃を思えば、どうということはなかった。


 名前を世に知らしめれば十分――と言うわけにもいかなかった。

 K社に限らず幾つかの雑誌からグラビアのオファーが舞い込んできた。

 小説家としてよりもグラビアアイドルとして名前が売れることに忸怩たる思いもあった。それでも遥は仕事を受けた。

 グラビアに対しては、一度は絶望の淵に立たされていた自分を救ってくれた恩があると感じていた。必要とされなくなるまでは続けたいとも思う。


 無論、少なくない自己顕示欲もあった。

『きれい』『かわいい』と褒められれば悪い気はしない。今まで一度も感じたことのないような満足感がむくむくと育っていく自分に戸惑いを覚える。

 カメラのレンズを向けられ、フラッシュが焚かれ、シャッターが切られ――その結果として生まれてきた写真の中の自分を見るたびに、胸の内で自信が育っていく。

 これまではコンプレックスの源であった自分の肢体に向けられる視線が、いつしか優越感を生み出していることに気付かされた。

 俯くばかりだった少女は、いつしか堂々とその豊かな胸を張るようになった。本人が気づいていなかっただけで、ある種の露出癖があったのかもしれない。

 心身ともに急激な変化に晒された遥だが、その変貌は概ね良い方向に向かっていると言える。多分、これからも、きっと――



 ★



 なぜ急に過去のことを思い出したりしたのだろう。これではまるで――

 ふと、我に返る。

 太陽の光とフラッシュのおかげで明るいはずの視界が――暗い。圧迫感。

 音が、何も聞こえてこない。おかしい。


――あれ?


 思考がまとまらない。足元がふらつく。胸の奥にムカつきがある。

 バランスを崩す。胸が重い。

 頭が、締め付けられるように痛い。おかしい、おかしい!


「え?」


 表情を取り繕う余裕がない。

 重力を感じない。痛い。落下。

 おかしい、おかしい――おかしい!!


――え?


 言葉にならない。口から零れるのは泡ばかり。

 冷たい。プールに落ちたと気付かされる。水中。

 慌てて手足を動かそうとするも、全く力が入らない。

 脳が発信するエマージェンシーが身体に届いていない。


――うそ……


 水面が遠い。手が届かない。

 最後の思考は『なぜ』という疑問だった。

 意識が途切れた。意識が融けた。闇。

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