第6話 切ない夕凪と元恋人
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風太くんは今日、塾の予定があったらしく、大急ぎで家を飛び出していった。
家主でもないのに、私は一人、彼の家に取り残されてしまった。
けれど、それが何となく嬉しかった。普通の人なら、赤の他人を自分の家に置いたまま出かけたりしないだろう。少しでも信頼されているのかな、と淡い期待を抱いて、うぬぼれるな、と三秒でかき消した。
「いいなあ。高校生」
いつの間にか口に出てしまっていた。
私の高校生の時の記憶なんてものは、もう消えかけてしまっている。
誰に迷惑をかけるでもなく、だれに寄り添うわけでもなかった高校生活。
勉強も部活もそこそこ頑張り、後は周りと同じように無難な大学を選んだ。
楽しくなかったわけじゃない。学校祭も球技大会も休み時間だって、今思えばすべてキラキラしていたのかもしれない。でも、私が欲しかったのはそんなものじゃなかった。
最後のパズルのピースを失ったみたいに、私の心は不安定で、崩れやすかった。その穴を埋めようと、好きでもない男と付き合って、そして勝手に傷ついた。
私は薄々気づいているのだ。このピースを埋めるものが何かも、誰が埋めてくれるのかも。
けれど、私は決して口に出せない。想いを伝えることは許されない。
青春真っただ中の、彼の貴重な時間を奪うなんて真似はできない。
これ以上の優しさを受け取っても、返しきれるはずがない。
だから……
ピロン♪
通知音が鳴った。誰かからメッセージが送られてきたようだ。
アプリを開くと、久しく名前を聞いていなかった人物から連絡が送られてきていた。
『ひな久しぶり! 今、別れたばっかで病んでてさ、飯食べに行かない? ちょっと相談したいことあって!』
元カレからだ。自分の浮気のせいで別れた元カノに連絡をよこす神経を疑ってしまう。
いつもの私なら、当然受け付けなかった話だ。けれど、今の私はとにかく汚れてみたかった。あの優しすぎる高校生に、嫌われてしまうくらいに。
それが、私にできる、せめてもの配慮のような気がした。
スマホと財布だけを持って立ち上がった。集合場所に指定された居酒屋は、二駅離れた街にあった。
またここに戻ってくるのだろうか。もう戻ってこないのだろうか。
答えは出ないまま、靴を履き、アパートの重苦しい扉を閉めた。