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リストカットとバニラアイス  作者: 君名 言葉
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第5話 コンソメスープと昼寝坊

 ◆


「いてっ」

 包丁に赤い液体が付着し、なんとも言えない、不快な気分になった。

 午前十一時にようやく目が覚め、ネギたっぷりのコンソメスープを作るため、ネギを千切りしていると、思わず指を切ってしまった。

 絆創膏を取り出すため、テレビの横に置いてある救急箱を取りに行こうとすると、僕のベッドで気持ち良さそうに眠るひなさんが目に入った。すーすーと規則正しい呼吸で熟睡している。


 昨晩のお祭りで、花火が上がり始めた頃。ひなさんは酔って寝てしまった。いくら起こしても起きないので、仕方なく肩を担いで僕の家まで運んだ。いつもなら三分で着くはずの道のりが、一時間くらいに感じられた。

 ひなさんの家はどこか知らないし、放置するわけにもいかないので、仕方なく連れて帰ってきた。おかげで、僕は床にタオルケットを敷いて寝る羽目になった。

 しかも、今はもうお昼だ。まだひなさんは起きてこない。きっと色々あったんだろう。もしかしたら、悪い夢でも見ているのかもしれない。心の中で様々な憶測が飛び交い、僕はというと絆創膏をもう巻き終えた。

 少し近づいてひなさんを見てみると、肌の白さと透明さが際立っている。睫毛は針のように黒くて長く、青のインナーカラーが宝石のように輝いていた。


 そして、その瞬間は突如として訪れた。

「んん……んー……」

 何の音かと思ったが、タイミング悪く、ひなさんが目を覚ましてしまった。僕は、すぐ近くまで接近して、観察している最中だったのに。

 咄嗟に離れようとしたが、なぜかひなさんが両手で抱きついてきた。それも結構な力で。


「うぐっ……!」

「ビビィー……」

 そういえば、昨日の話で、実家でビビという猫を飼っていたという話を聞いた気がする。まだ寝ぼけているか、酔いが残っているのだ。

「ひなさん! 僕は猫じゃないから離れて……!」

「逃げないでよ……ビビィ……」

 抱きしめられた僕の鼻を、甘ったるい香水とお酒の匂いが混ざり合った、大人の香りがくすぐった。

 僕の理性と意識が崩壊する前に、体を突き放した。その衝撃で、ようやく本来のひなさんが戻ってきたのだった。


 *


「ほんっとうにごめん!」

「だから、僕は怒ってませんって。もう謝らなくていいですって」


 さっきから、延々と謝罪を繰り返されている。一つは夏祭りで泥酔して、僕が担いで帰ったこと。もう一つは、寝ぼけたひなさんが、飼っていた猫と間違えて抱きついてきたこと。

「心の底からごめん。あれだけお酒を飲まないでおこうと決めたんだけど、いつの間に意識が飛んでて……」

「それでそのまま寝ちゃったんですよね」

「やっぱり怒ってるよね?!」

なんだか面白くてなってきたので、少しからかってみたくなった。

「まあ、何か破壊したいくらいですね」

「超怒ってるじゃん?!」

 思わず噴き出した。

「あはは。冗談ですよひなさん、僕がそんなことできると思います?」

「それは思わない」

 自分でも、ひなさんを怒るなんてことはできるはずがない。抱きつかれた時に、僅かでもドキッとした気持ちが無かったかといえば、間違いなくあるからだ。


「とりあえず、朝ご飯食べましょうよ。あ、もうお昼ご飯ですかね」

 古びた時計の針はちょうど12を指したところだった。

「ということは私、半日くらい寝てたんだね」

 彼女が独り言のように呟いた。それはまるで、自省の言葉のようにも聞こえた。


「はい。どうぞ。コンソメスープとおにぎりです」

 二人分の簡易な食事を机の上に置いた。ひなさんが頬を緩めたのを見て安心した。


「「いただきます」」


 今の瞬間だけ、時間の流れがすごく遅いように感じた。窓から吹き込む生温い風を、旧式の扇風機が精一杯かき混ぜている。

 部屋中にコンソメのいい匂いが充満していた。

 ああ、幸せだ、と思った。

 こんなにも脆くて、不安定で、感傷的な彼女の微笑ましい姿を見ることができたのが、僕には人生最大の喜びのように感じられた。


 ピピッ


 急に携帯のリマインダーが起動する。一気に現実に返された気分だ。

 何かと思って画面をのぞき込むと、忘れかけていた記憶が戻ってきた。

『十二時 半 塾』

 現在の時刻を見てみると、十二時 十五分だった。


「やっべ!」

 慌てて洗面所に行き、下着を換え、制服に着替える。学校ではないので制服の必要はないが、周りも制服ばかりなのでいつもこれを着ている。

「ひなさん、ごめんなさい、十二時 半から塾あるの忘れてました!」

「そうなの? 行ってらっしゃい?」

 ひなさんの返答を最後まで聞くこともなく、家を飛び出した。塾までは自転車で十分程度とは言え、ギリギリの闘いだった。

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