第4話 りんご飴とアルコール
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昔からそうだ。優しくされるのが、どうしようもなく恐ろしいことのように感じてしまう。優しさをもらっても、返しきれない。一方的に貰う善意で、罪悪感はますます降り積もり、心を病むだけだった。
けれど、今までに出会ったことのないタイプの人に、昨日出会った。そして、今日も。
風太くんは、こんな私に、惜しげもなく優しさを使ってくれた。普通なら怒るようなことだ。呆れるようなことだ。嫌な顔一つせず、それでいて見返りを求めている訳でもない。彼という人間がすごく不思議で、少しずつ興味が惹かれていっているのが分かる。
今日は、この近くでお祭りがあるらしい。夏祭りなんて、最後に行ったのはいつだろうか。思い出そうとしたが、とうに風化しているのか、それとも何か悪い思い出でもあったのか、私の頭は思い出そうとはしなかった。
彼が声をかけてくる。
「そろそろ行きましょうか。ひなさん」
*
そのお祭りというのは、思っていたより大規模なものだった。ただの地区のお祭りで、近隣住民しか参加しないようなレベルかと勘違いしていたが、数十メートル程屋台が並び、もう少し更けると花火も上がるらしい。人の多さにちょっぴり恐縮したが、なぜか頼もしく見える彼の背中だけを目で追って、付いていくことに専念した。
「ひなさん、なんか食べます?」
「んーどうしよっかな。あ、あれ食べたいかも。りんご飴」
子供っぽいと思われたりしないだろうか。お面がちょっと気になったのは内緒だ。
「奇遇ですね。僕もそう言おうとしてたんですよ」
「ほんと?」
「ほんとです。じゃあ、買ってくるんで、そこの石段で待っててください」
「え? 買ってくるって、君が?」
「はい、そうですよ?」
当然のように返答している彼だが、りんご飴の屋台にはかなりの行列ができている。
「いや、そんな悪いよ。私が並ぶから」
「んー、じゃあ、一緒に並びましょうか」
「ふふ。結局意味ないじゃん」
他愛もない会話だったが、私の心をどれだけ和らげてくれているか、彼は知らない。態度が、考えが、感情が、全てにおいて私より大人だ。
待っている間、彼がお祭りの思い出を語り出した。
「昔、ある恋愛小説を読んだことがあるんです。死んで幽霊になっちゃった男の子と、ある日、急に透明人間になった女の子の話だった気がします。二人は次第に惹かれあって、最終的には……」
「待って。その話気になるから、オチは言わないで」
「あ、ごめんなさい。それで、その話の中に、二人で夏祭りに行くシーンがあるんですよね。そのシーンが本当に感動なんです。ああいう話を読むと、やっぱり夏って良いなって思います。でも同時に、すごく切ないんですけどね。だから、なんだかずるい季節だなって思います」
彼の話は納得できる。夏とはこんなにも爽やかなのに、終わりが近づくにつれ、切なくて泣きたくなってしまう。
「分かるよ。夏は意地悪だもんね」
「ですよね。でも、そんな季節に、僕はひなさんに会えてすごく嬉しかったですよ」
不意に恥ずかしいことを口にする彼。不自然にならないように辺りを見回すふりをして、顔を背けた。
「良くないね。風太くん。悪い子だ」
「え?! ごめんなさい、僕、今なんか失礼なこと言いました!?」
焦ってオロオロしている様子が、顔を見なくても伝わってくる。ニヤけるのを我慢して、顔を向けた。
「そういう事を軽率に言わないの。私じゃなかったら勘違いしちゃうから」
「何をですか?」
本当に分かっていないのが、可愛らしく見える。彼は、夏が正反対の一面を持っているからずるいと言ったが、それはまさに君のことだよ、と言いたくなった。時折、遥かに私より大人で、頼もしく見えるのに、実際は私より年下。意図的にやっている訳ではないのが罪だ。
「まあとにかく、君は夏が好きなんだよね。私はあんまり好きじゃないけど。汗とかうざったいじゃん」
「そうなんですかね。でも、冬は寒いし嫌いです。汗をだらだらかくのだって、生きている証みたいで、なんか好きなんです」
へえ、そういう考え方もあるのか。それほどにポジティブに考えたことは一度もなかった。
「あ、ほら、次だよ」
喋っている間に、順番が来ていた。私と彼は同じ、ノーマルなりんご飴を買い、その流れでたこ焼きの列にも並び、人混みをかき分けて石段まで辿り着いた。
「凄い人混みですね。これなら友達に会ってもおかしくなさそうです」
「そうだね」
"友達"という言葉が引っかかった。今の私に、友達と呼べる存在はいるのだろうか。考え込んでいると、彼の言葉が私の思考を遮った。
「あ、そういえばもう会ってましたね。友達に。だって、僕、ひなさんとお祭り来てるんですもんね」
意味を理解するのに三秒程かかった。けれど、その言葉が正確なのか、今の私には分からない。
「友達かぁ」
つい、こんな言葉が口を次いでしまった。言ってから、しまった、と思った。
「あ、違うよ?! そういう意味じゃなくて」
「ん?」
彼は気づいていないようだ。
「私と君の関係を友達ってすると、私の中の友達の定義が変わっちゃうなぁって思って」
「じゃあ……姉弟ですか……?」
「ふふ、周りからはそう見えるかもね。でも、やっぱりあれかな。"相棒"みたいな」
言っていることが支離滅裂なのは知っている。私が一方的に優しさを求めているだけで、彼は私なんてなんとも思っていない。でも、これだけ熱を帯びたこの時間だけなら、そんな願望を口にしても許される気がした。
「良いですね。相棒かぁ」
意外にも、彼は気に入ってくれているようだ。もちろん、冗談としてだとは分かっている。
他の屋台をに目を向けていると、あるものが目に入った。
キンキンに冷えた、生ビールだ。
しばらく眺めていたが、流石に、未成年の彼の隣でアルコールを飲むのは如何なものか。
潔く諦めようとして、ふと彼の顔を見ると、彼も同じく私の顔をじっと見つめていた。そして、急に頷いた。
「いいですよ」
何も言っていないのに、完全に心を読まれていた。私の体は、勝手に動いていた。
「ぷはー。やっぱり美味しいなぁ」
だんだんと酔いが回ってきているのが分かる。彼と三分前に話した話題をあまり覚えていない。
「ひなさん。花火始まるらしいですよ」
そういえばアナウンスが流れている。この石段は、花火を見るにはベストポジションだった。
ヒュ〜
聞き覚えのある音がした。
壮大な爆発音が鳴り、黒い背景に美しい花が咲き乱れる。
青色の花火なんて珍しいな、と思いながら、私の意識は闇の中へと堕ちていった。