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リストカットとバニラアイス  作者: 君名 言葉
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第18話 東屋と入道雲

 何か考えるより、体が動いていた。いつかの日のように、財布とスマホ、それと手紙を握りしめ、鍵もかけずに家を飛び出した。

 涙でびちゃびちゃに汚れた顔なんて、一切気にならなかった。


 駅まで向かう途中、タクシーを見つけた。

 死に物狂いで走って追いつき、飛び乗った。

「急いでください。緊急事態なんです」

 行先の後にそう告げると、運転手も表情が変わった。

 車内にいる間、気が気でなかった。それこそ、なんにでも噛みついてしまいそうなくらいに殺気立っていた。


 ひなさん。ごめんね。僕のせいだ。


 何度でも自分を責めた。その時涙を流していたのかどうかすら覚えていない。

 ひなさんのアパートの前にタクシーが止まると、猛ダッシュで階段を駆け上がった。エレベーターなんか使う気にならなかった。


「ひなさん!」

 今朝出たばかりの鉄の扉を叩いても、インターホンを押しても、反応はなかった。

 ここで、このアパートが鍵での施錠制ではなく、パスワードを使った施錠制であることに気付いた。

 扉の中央に、ボタンが設置されて画面が表示されている。四桁の暗証番号を打ち込んで扉が開くシステムらしい。

 その時、僕の脳に、ある記憶が蘇ってきた。確か、つい昨日の事だ。


『そういえば、家のドアの暗証番号変えたの。前までは彼氏の誕生日だったんだけど、思い切って変更しちゃった』

『へえ、そうなんですか。次は何にしたんですか?』

『 んー、教えてもいいけど、当ててみて。君なら分かるかも』

『僕の誕生日は……知りませんよね』

『さあ、どうかな~』


 こんな会話をしたはずだ。僕なら分かるかもしれないと言うのなら、やってみるしかない。

 まず、僕の誕生日を入力した。六月一日なので、0601だ。


 ブーー


 間違いの音がした。しかし、僕はその下にあった警告文に目がいった。


『暗証番号を間違えました。残り二回です』


 まずい。あと二回しかチャンスがない。

 僕は、思いつく数字を挙げてみた。

 ひなさんの誕生日……は知らないし。それとも、単純に昨日の日付とかかな?

 試しに今日の日付である、0729を入力してみた。


 ブーー


 もったいないことをした。チャンスはのこり一回だ。

 いや、ちょっと待て。あの時のひなさんは、『君なら分かるかも』と言っていたのだ。

 つまり、僕と彼女だけが知っているような事……


 あ……


 僕の頭に、ある一つの可能性が生まれた。だが、それを試すのは、彼女を完全に信じ切り、僕も僕自身を信用するということを意味していた。

「これに賭けるしかないか」

 信じてるよ。

 そう言って僕は、四桁の数字を入力した。


 ピーー


 さっきとは違う音が鳴った。数秒後、解錠する時の、ガチャという音がした。

「良かった……」

 一息つく暇もなく、部屋に飛び込んでひなさんを探した。

「ひなさんどこ!?」

 部屋の隅、布団の下、トイレ、お風呂場までくまなく探した。最後に押し入れを開けた時点で、僕は絶望した。

「どこに……いるんだよ……」

 その場にへたり込んだが、休んでいる暇はない。彼女の安否が第一優先だ。僕の体など、どうでもいい。


 言うことを聞かない体に鞭を打ち、また探しに行こうと思った。


 プルルルル


 ポケットに入れたスマートフォンが振動している。誰かから電話がかかってきたようだ。

 急いでいた僕は、電話には出ないつもりだったが、相手の名前を見るや否や、通話のボタンを押した。

「よ、少年。どうだ、上手くいったか?」

「河野さん! 大変なんです! ひなさんが置き手紙だけしていなくなってて! 家にもいなくて!」

「なんやと?」

 急に口調が変わった。

「今から心当たりのある場所を探すんですが……」

「てことはお前、今は北町あたりか。ちょっと待っとけ」

「待つって何を?」

「組の輩に指示して、探しに行かせるんや。人数多い方がええやろ」

「助かります! ありがとうございます!」

 思わぬ増援に感動した。河野さんの情の熱さはすさまじい。


 しかし、それには一つ問題がある。組の人達は、河野さん以外はひなさんを知らない。そこで思いついたのは、もう一人の特別な増援を頼むことだった。

「河野さん。もう一人、とっておきがいるんです。その子と一緒にお願いします」

「おお、分かった。こっちは車と男衆集めておくぞ。 絶対見つけるんや!」


 僕は、初めてその子に電話をかけた。これが女子との初電話になるなんて、なんとも皮肉な話だった。


 プルル……


 予想はしていたが、なかなか出ない。


 カチャ


 七回目でようやく繋がった。


「……はい」

 声が微妙にかすれていた。

「黒田! 頼みがある!」

「……なによ」

「ひなさんが、大変なんだ」

「え……? ひな姉が?」

 声色が、深刻になった。

「ひなさんが僕の家に来る前に、会ったんだろ? 探すのを手伝ってくれないか、今どこにいる?」

「どこって……あんたの家の近くの公園だけど」

「公園? ならちょうどいい、今から河野さんって人と仲間が来るから、そこで合流してくれ! 見た目は怖いけど大丈夫だから!」

「オッケー、ひな姉を探せばいいのね」

「頼む!」

「任せて。見つけたら、なんであんたがひな姉のことを知ってるのか、説明してもらうから!」

「ああ、いくらでも話してやるさ」

 ここで通話が切れた。


 ひなさん。

 ひなさん。ひなさん。ひなさん!

 僕はまだ伝えなきゃいけないことがあるんだ。ずっと、ずっと言おうと思ってた。

 探し続けていたこの感情の名前が、ようやく分かったよ。


「でも、やっぱりあれかな。"相棒"みたいな」

 一緒に行った夏祭りでそう言ってくれた。相棒って響きがなんだかくすぐったくて。

「あれだけお酒を飲まないでおこうと決めたんだけど、いつの間に意識が飛んでて……」

 あんなに綺麗な容姿をしていて、お姉さんっぽいのに、どこか抜けているのが面白くて。


「やめて!」

 彼女の元カレとの乱闘で彼女が叫んだ、悲痛な声が頭でこだました。


「なんだか笑えてきちゃった。なんなんだろね、私たち」

 世界に二人だけみたいな、僕の部屋で見た星空が、未だに脳に焼き付いている。


「はぁ……はっ……」

 日差しで熱されたアスファルトを、がむしゃらに走った。いつの間にか、僕の家周辺まで走っていた。

 ひなさん、どこにいるの?

 この周辺の主要な施設はあらかた調べた。彼女がよく行くコンビニも、公園も、夏祭りの行われた広場も。

 その時、僕の中に渦巻いていた予感は、確信に変わりつつあった。


「うわっ」

 道端の小石に躓いてしまった。膝から赤黒い液体がどろりと流れ出す。

「くそっ!」

 滴り落ちる血なんて気にも留めず、すぐさま立ち上がって足を前に出し続けた。


 僕は、何も考えずとも、ある場所に来ていた。

「着いた……」


 彼女の家のロックを解くための、暗証番号。

 0726

 僕と、ひなさんが出会った日だった。

 この、展望台で。


 一段ずつ、頂上へと続く木の階段を登った。揺れる木々の鳴らす音が、僕に「急げ」と言っているように感じた。

 この階段を登り切った時、僕は、僕の何かは変わってしまうだろう。だけれど、それでよかった。それを望んでいた。


「ぜぇ……ぜぇ……」

 日頃の運動不足も祟り、僕の体力は限界に近かった。それでも、最後の最後まで、這いつくばってでも進もうと決めた。


「あとちょっと……あと……」

 最後の一段を登り切った。

 霞のかかった視界に、東屋を捉える。

 もはや意識はない。本能だけで前に進んでいた。


 風になびかれた、青色の混じった髪。

 その風に乗って運ばれてくる香水の匂い。

 弱々しくて、脆くて、繊細で、儚い。

 それ故に僕が惹かれた、髙嶋 ひな がそこにいた。


「ひなさん……」

 意外なことに、自傷行為はしていなかった。あの日のように、カッターも持っていなければ、リストカットの痕もない。

 ただ、目を合わせずに、彼女はこう言った

「風太くん。君は悪い子だよ」

 いつか言われたような言葉だ。

「私はここで死のうとしてたのに。あのまま放っておけば死んでたかもしれないのに。君が来たから」

 僕の目から流れ落ちた水滴は、顎の先で渋滞していた。

「君のせいだよ。あれから、ちょっとだけ生きるのが楽しくなったり、朝起きるのが幸せだったりしたのは。全部、君のせいだよ」

 黙ってその言葉を聞いていた。

「誰にでも優しくするのなんて、簡単じゃないんだよ。君は使い方を間違ってる。桔梗ちゃんみたいな可愛い子だって周りにいるのに、告白までされてるのに……」

 僕は、人生で一番泣いていた。もはや、泣いているとは自分で思わなかった。

「君は青春を思いきり楽しめばよかったのに。同級生の女の子とお茶して、お家で遊べばよかったのに。夏祭りだって、私以外の誰かと行って、私以外の誰かに料理を作ってれば良かったのに……!」

 この人の前で泣いていることが、どうしようもなく情けなく感じてしまった。もう、大人になると決めたのに。

「私の事なんて迷惑だって、ウザいって、邪魔だって言ってくれれば……!」


 耐えきれなかった。

 我慢の限界だった。

 息が止まった僕は、駆け出していた。


 体が勝手に、ひなさんの体を強く抱きしめていた。

 涙が彼女の服につくことなんて気にしなかった。

 彼女の髪の甘い匂いで心をぐちゃぐちゃにされ、声を上げて泣いた。

 彼女も、僕に負けないくらい強く抱きしめ、泣きじゃくった。

 触れれば壊れてしまいそうで、触れなきゃ崩れてしまいそうな僕とひなさん。

 互いの心にあった、埋まっていなかった最後のピースが、やっと一致した瞬間だった。


 まるで世界に二人だけかのように、二人は抱き合ったまま動かなかった。

 東屋を取り囲むその山だけが、少しだけ時の流れに逆らった。

 真夏の太陽の日差しは、平等に降りかかった。

 涼しい風が吹き込み、木々が揺れ、互いの髪が揺れる。

 東屋の景色の向こうにあった入道雲に、二人が気づくことはなかった。

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