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リストカットとバニラアイス  作者: 君名 言葉
17/20

第17話 好意と敬意

 ◆


 久しぶりに誰かと会うというのが好きだ。

 それは小学校や中学校の旧友であったり、昔住んでいた地域の友達であったりする。ただ、今回は事情が大分違う。


 今から会うのは、ヤクザみたいに怖い見た目なのに、根は良い人の借金取りのおじさん。

 文面だけ見ると会ってはいけない人のような気がするが、「相談したいことがある」と電話を掛けたら、快く承諾してくれた。

 三十分後に、近くのカフェで待ち合わせすることになっている。

 河野さん。ひなさんの元カレ事件で、僕を助けてくれた恩人だ。

 その時に受け取った名刺に書かれていた電話番号に電話をした。正直、めちゃくちゃ怖かった。


 待ち合わせ場所のカフェに着いた。一駅分の距離だったので歩いて来たが、時間は割とギリギリだ。遅刻なんかしたら、どんな目に遭うか分からない。


 カランカラン


 店内に入ると、奥から二番目の席に、一際オーラを放つ男がいた。

 モヒカンの頭にサングラス、スーツの上から金のネックレスをしている。一瞬で河野さんだと判別できた。

「お疲れ様です、河野さん」

「お、やっと来たか。少年」

 僕みたいなひょろっとした男が、強面のヤクザの知り合いだったことに驚いたのか、隣のテーブルの人がギョッとした目でこちらを見た。

 なんだか、自分も強くなった気分だ。

「それで、ここの会計はお前持ちなんだよな?」

「はい。僕がお願いしたので、僕がお支払いさせてもらいます」

「よし。それじゃあ相談でも金の取引でもなんでも来い!」

 いきなり大きな声で怪しげなことを言い出すので、店員さんから変な目で見られてしまった。

「いえ、河野さん、僕はそんなことを相談したいわけじゃ……」

「あ? 誰かムカつくやつがいて、そいつを抹消して欲しいとかじゃねえの? 全然出来るけど」

 そんな危ない高校生がいたらびっくりだ。そして、出来るとか言わないで欲しい。

「僕はただ、その……人間関係のことで……」

 つい、声が小さくなってしまった。

「は? 人間関係……?」

 やっぱり相談する相手を間違えただろうか。

 これは偏見だが、河野さんの生きる世界は上下関係の激しい世界だと思い、人間関係には詳しいと思ったのだが。

「あ、答えられる範囲でいいんで! 全然……!」

 そう言うと、河野さんはニカッと笑い、こう断言した。

「任せろ! 人間関係マスターと呼ばれたこの俺にな!」

「そ、そうなんですか……」

 この人の話のテンポが上手く掴めない。


「そ、それでですね、僕が相談したいのはひなさんのことで……」

「ああ、この間、一緒にいた姉ちゃんのことか」

 名前だけで思い出してもらえて良かった。話が早い。

「僕は、彼女とどう付き合っていくべきなんでしょうか。彼女にとって僕がどういう立ち位置かも分からないし、これからどうすればいいのかなって」

 河野さんはしばらく黙った後、こう呟いた。


「俺はお前らの詳しい事情は知らねえけどよ」

 そして、また間を置いた。


「お前、あの姉ちゃんが好きなんだろ?」


 僕は言葉に詰まった。当然のようでそうでない感情を突き付けられた気分だ。

「好き!? まさか、だってひなさんは……」

 自分でそう言いいながら理解した。僕は今まで、この感情の正体を知りながら、わざと知らないふりをして生きてきたのではないだろうか?

 この想いを認めてしまえば、自分の中の何かが、彼女との関係が、壊れてしまうと思ったんだ。

「見てれば分かる。お前はあの姉ちゃんに好意を持ってる。別に、それは隠す必要も消す必要もない。ただ、な」

 含みを持たせた言い方をする河野さんの発言で、僕は目を合わせた。

「その好意ってのは、もしかしたら憧れとか、尊敬かもしれねえ。この二つは似ているようで全くの別物だ。好意だと思って近づいたら、敬意だったなんてこともある。仮に敬意だったとしたら、それを知った時にお前の気持ちは冷めるだろうよ」

「好意と敬意……」

「お前がこんな相談をしてくるってことは、まだもう一つあるんだろ?」

 見透かすような河野さんの目からは、恐怖というよりは畏怖の念を感じた。

「はい。実は……」


 僕は、ついさっきあった出来事を話した。

 黒田と偶然会った事、そして家に来て告白された事、僕がそれを断った事。

 彼女の綺麗に泣く姿を思い出し、つい目を伏せる。


「なるほどな。それで俺に電話をかけてきたってわけか」

「他に相談する相手もいないもんで。ひなさんと僕の関係を少しでも知っている河野さんが良いかなと」

「その黒田って子は、あれか? 可愛いのか?」

「まあ、一般的には可愛い部類に入るんじゃないですかね?」

 意図せず上から目線になってしまった。心の中で黒田に謝罪した。

「じゃあ、なんで断ったんだよ? 全然モテそうにないお前の生活が華やぐ、またとないチャンスだったじゃねえか」

 多少失礼なことを言われている気がするが、事実なので言い返せない。

「それは……ひなさんが……」

 黒田の告白を受けるという選択肢も、もちろんあった。ただ、それを承諾してしまうと、ひなさんは確実に僕から離れようとするだろうし、会うこともなくなってしまう。

「じゃあ、お前はそのひなって姉ちゃんが好きなんだろ? なんで告白しねえんだ」

「だって僕、今まで散々あの人に、『恋愛は無駄だ、青春なんか嫌いだ』とか言ってきたんですよ? そんな僕が告白しても、本気に聞こえます?」

「あのなあ……」

 ここで、河野さんは呆れたような、怒ったような表情になった。この顔を見るのは初めてだ。

「普通、年上は遠慮して告白なんかしないんだよ。きっと、ひなちゃんも、お前に迷惑かけないようにって思うだろ。いくら自分を受け入れてくれるからって。それならお前が想いを伝えるべきなのに、ひなちゃんはお前のくだらねえプライドと意地に付き合わされてるんだ」

 頭の中に、落雷を受けたような衝撃が走った。そんな考えをしたことはこれまでになかったし、いくら時間が経とうとも僕の頭からは出てきそうにない。

「今言わないでどうする? お前はそれを溜め込んだとして、相手の気持ちはどうなる? 一生分の勇気を使うべき場面なんだよ、告白ってのは」

「でも……なかなか勇気が……」


 ガチャン!


 河野さんが勢いよく立ち上がり、僕の胸ぐらを掴んだ。

 僕は咄嗟のことで、何が何だか分からなかった。

 ただ、ぶつかり合う食器の耳障りな音が耳の中で反響し、隣の客や店員の視線をひしひしと感じた。


「いいか、引っ込めちまった言葉ってのはな……二度と言えないんだ……」


 そう言うと、河野さんは僕を離し、互いに椅子に座りなおした。僕の心臓はまだ早鐘を打ち鳴らしている。

「ちょっと昔の話をしてやる。組のやつらにも言ったことのない話だ」

 河野さんは、自分自身の過去の話を喋りだした。


「若い頃の俺は、いわゆる不良少年ってやつだった。お前が思いつきそうな犯罪なら、何でもやったよ」

 僕の背中を、冷や汗が伝った。

「けどな、ある一人の女の子に出会って、改心したんだ。その子はごく普通の家庭の高校生で、俺と同い年だった。一目惚れってやつだ。大人しそうな子だったよ」

 固唾を飲んで次の言葉を待った。

「俺は更生して、その子に近づいた。書店でよく見かけるから、本好きってことは分かってた。全く読まなかった本を読みだして、俺は勇気をもってその子に話しかけたんだ」

 その話をする河野さんの声が、若干震えた。

「成功したんですか……?」


「俺は、告白はしなかった」


「え……?」

「首尾よく友達になることに成功し、休みの日にたまに会うくらいの関係にはなった。そして、彼女が高校を卒業する一日前に、告白しようと決めていたんだ。そのために指輪も買ったよ。アルバイトを何日もした。俺はその当日、何をしていたと思う?」

「告白したんじゃないんですか?」

 今までの流れで言えば、そうとしか思えなかった。告白しない理由はどこにもない。


「告白の当日、彼女は死んだ」


「はい……?」

 何を言っているのだろう。

「事故だったんだ。俺が待ち合わせに指定した場所に向かっている途中で、彼女は轢かれた。認知症の老人が乗っていた、軽自動車にな」

 息が上手く出来なかった。

「俺は、今でもその時のことを後悔してる。告白するタイミングなんてものは、それより前にいくらでもあったんだ。本当なら、指輪なんてモノもいらなかった。けれど、言わなかった。言いかけた二文字は、全部飲み込んだ」

「河野さん……」

 なんと声をかければ良いか分からなかった。

「だから、お前には同じ思いをして欲しくねえんだよ。別にお前らが事故に遭うなんて思っちゃいねえが、人間なんて、いついなくなるか分からない生き物だ。朝になって消えててもおかしくないんだよ。言いたいことがあるんなら、絶対に言うんだ」


 河野さんの話を聞いて、鳥肌が立った。

 僕が今まで言わずに閉じ込めた言葉達が、今にも破裂しそうだった。

「分かったら行け。今回だけは、お前の珈琲も俺が払っといてやる」

 そう言って、河野さんはカップに口をつけた。


「僕、行ってきます」

 もう、いてもたってもいられなくなった。

 一秒でも早くこの想いを伝えなければ、僕の心が僕を追い越してしまいそうだ。


 ダッシュでカフェを出て、自宅まで走った。気分は高揚し、体が軽い。

 河野さんの話は衝撃的だった。

 あれほど壮絶な過去を持っているなんて、想像もしなかった。本当に感謝すべきだ。


 ひなさん。ひなさん。ひなさん。待っててよ、今行くから。

 自宅のある夕凪荘が見えてきた。思わず頬が綻んだ。

 勢いよくドアを開け、靴も揃えずに中に入った。


 シンとする室内に、少し困惑した。

 そこに、ひなさんの姿はなかったのだ。

 勢いそのままで告白しようと謀っていた僕の算段は消え散った。

「帰っちゃったのかな」

 ひなさんが家に来てから、ちょうど一時間だ。痺れを切らして帰っていてもおかしくはない。

 出鼻を挫かれた僕は、息を切らしながらソファに座った。

 まだ黒田の匂いが染みついているのを感じ、なんだか胸が痛くなった。


 ふと、見慣れぬ物が目に入った。

 机の上に置かれた、ノートの切れ端。朝はこんなものはなかった。

 何かと思って手に取った。

 裏に何か文字が書かれている。僕がやったように、ひなさんがメモでも残していったのだろうか。

 何の気なしに、その紙を読んでみた。

 そして、読んだことを酷く後悔した。


 __________

 風太くんへ


 手紙を読んでいるということは、私はここにはいないと思います。

 その上で、なぜ私がこの手紙を書いたのかを記します。


 私は、君に憧れていました。

 あの日、展望台で会った時からずっとです。

 君は、私を何度も救ってくれた。

 何度も許してくれた。

 何度も、受け入れててくれたよね。

 その強さと頼りがいのある姿に、私は憧れ続けていたんです。


 同時に、私は物凄く怖かった。

 高校生とは青春真っただ中の、貴重な時間です。そんな時間を私が共有していいものかと。


 更に、私は君に多くの迷惑をかけてしまいました。

 あの日のリストカットもそう。貰ったバニラアイスも。家に突然押しかけたことも、元カレからの暴力も。

 本当は、こんな謝罪で済むはずのないような迷惑です。だからこそ、私は私に出来ることをしようと思いました。


 君の家にくる途中に、桔梗ちゃんに会いました。君も知っている、黒田 桔梗ちゃんです。

 彼女は、私よりずっと強くて、勇ましかった。勝手な希望だけれど、彼女を幸せにしてあげて欲しいです。

 私からの、最後のわがままです。


 君と出会ったあの日、私は死のうとしていました。本当に、死にたくてしょうがなかった。

 けれど、君に邪魔されてしまいました。

 君のせいです。

 その後、君と一緒にご飯を食べたり、夏祭りに行ったり、家で夜中まで人生ゲームをしたり、そんな時間は、私の十九年の人生の中で、一番楽しかった時間でした。

 最後に楽しい思い出を、ありがとう。


 私のことは忘れてください。いや、そんなことを言うまでもなく、賢い君は、すぐに忘れると思います。

 君も私も、大人にならなくちゃいけません。


 貰った恩は返せなかったけれど、これ以上君にマイナスが無いように。

 やるべきことをやろうと思います。


 今まで、ありがとう。風太くん。

 __________


「なんっだよ……これ……」

 僕の手は、これまでにないくらい震えていた。

 息苦しい。喉が焼けるように熱い。目が上手く見えない。

 体のあちこちが悲鳴を上げ、生まれて初めて味わう感情に、僕は支配されていった。


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