4-1
文化祭 19日前
突然だが、俺には友達がいない。
だから学校で俺に話しかけてくるやつはいないし、もし向かいからくる同級生が手を振っていたとしても、それは後ろに誰かいる以外に考えられない。
そんなのは、わざわざ見て確認するまでもないことなんだ。
「ちょっと、アンタ!」
同じく、後ろからこんな声が聞こえたとしても、それは振り返る理由にはならない。周りに他の誰も見当たらないとしても、だ。たぶん見えないところにいるんだろう。
「無視してんじゃないわよ! アンタよアンタ! 倉間マダオ!」
「ん?」
今、倉間マダオって言ったか?
てことは、俺が声をかけられてるのか? 嘘だろ? まさか。
いや、しかし聞き間違いってこともありえる。ここは念のため返事はせずに、「何騒いでるんだ?」ぐらいの感じで振り返るべきだ。それなら恥ずかしさは最小限に抑えられる。
行くぞ、キーワードは「何騒いでるんだ?」だ。声には出さず、しかし身体全体でその雰囲気を醸しだす……!
「やっと振り向いたわね! この私を無視するなんて、いい度胸してんじゃない!」
「…………」
勘違いじゃ、なかった。
知らない女の子が、まっすぐに俺のほうへ目を向けている。後ろに誰かいないか、一応確認してみたが、
「何逃げようとしてんのよっ!」
勘違いした女の子に胸ぐらをつかまれ、強制的に前を向かされた。必然的に距離が近づき、女の子を間近で見下ろす形になる。
勝ち気な目。小学生みたいに小柄な身体。やっぱり、こんな子に見覚えは……いや、待てよ?
「お前……もしかして前にコンビニで会った……」
そうだ。思い出した。
にるげそプリンを買うか買わないか悩んでたときに会った、あの女の子だ。制服着てるから気づかなかった。
にしても、まさか……
「まさか、同じ学校とは思わなかったよ」
「はあ? アンタ何言ってんの?」
あ、あれ? 人違いか?
そう思うと、顔立ちとか髪の色とか違ってるような気もしないでもない……ていうか実際、どんな顔だったかあんまり覚えてない。
や、ヤバいぞ。これは俺が回避したかった、赤っ恥パターンじゃないか。
「ちち、違う違うっ。昨日観たアニメのセリフが急に言いたくなっただけで、別にお前を知り合いと勘違いしたわけじゃ……」
「何言ってんのかわかんないけど、キョドり方がキモい」
「ぐはぁ……!」
キモい。キモいって言われた。なるべく人畜無害な存在でいるように気をつけてたのに。良くも悪くも噂に上らないポジションを心がけてたのに。
女子からの、キモい。
俺、もう生きていけない……。
「なにへたりこんでるのよ。余計キモいからやめなさい。……それより、本当にわかってないの?」
「……へ? あの、えっと?」
何のことだ? 何がわかってないとダメなんだ?
俺は何もわかってないし、存在自体がダメダメだし、生きているだけで人を不快にさせる人畜有害なんだってことだけはたった今わかったつもりなんだが。
「同じ学校どころか、同じクラスなんだけど。私とアンタ」
「……へ?」
「その顔。やっぱりわかってなかったのねっ」
え。
いや、同じクラスって。え?
「いやいやいやいや、俺のクラスにお前みたいなロリっ子はいねえよ?」
「いるわよっ! 知らなくてもせめて認めなさいよ! あとロリっ子言うな!」
なんかどこかで言った覚えのあるようなツッコミを受けた。
だけど、さあ。
俺はベル子とは違うんだ。友達はいないけど、それでもクラスメイトの顔ぐらいはある程度覚えてる。こんなアクの強いヤツを思い出せないなんて、それはちょっと考えにくい。
だとすると、考えられるのは……
「悪いけど俺、高い壺とか買う金はないから」
「何の話よ」
「新手のクラスメイト詐欺なんだろ?」
「どんな詐欺よっ!」
俺が知るわけねえだろ。
なんだ、詐欺でもないのか。だとしたら勘違いか? 俺じゃなくて、この子のほうの。
「なんかまだ疑ってるみたいだから言っとくけど、私はつい先週末に転校してきたのよ」
「転校だあ? そんな一大イベントを忘れてるとしたら、俺もとんだ鳥頭だな」
「そうね、まったくだわ」
ジト目を向けてくるロリっ子。
え、マジなのかこれ。
「アンタ、私が転校してきた日からずーっとぼーっとしてるんだもの。せっかく同志に再会できたと思ったのに、話しかけても上の空で」
「同志って?」
「にるげそプリン好きの同志に決まってるでしょ」
決まってるのか。
「でもその様子じゃあ、カペ谷ベル子とも仲直りできたみたいね」
「ま、まあな。……って、あれ? お前、俺とベル子が喧嘩したとき、もう転校してたのか?」
「してないわよ」
「じゃあなんで喧嘩したこと知ってるんだ?」
「そんなの、私とカペ谷ベル子がバンド組んでるからに決まってるじゃない」
「…………、」
「どうせ、似合わないーとか思ってるんでしょ?」
「いや、そんなことはちっとも……」
それ以前に、頭が追いつかない。
ベル子にバンド仲間がいるってことは知っていた。だけどそれは話に聞いてただけで、実感は湧いていなかった。あのコミュ障のベル子が、グループ活動とか。
その実物が急に目の前に現れて、クラスメイトで、見た目小学生の合法ロリだった――。
俺の頭が追いつかないのも、無理はないと思う。
「何事かと思ったわよ。あのカペ谷ベル子が相談を持ちかけてきて、しかもそれが友達のことだって言うんだから」
友達いたのね、とロリっ子。
何気に冷たいことを言ってるが、それはここでは置いておくとして……
「つまりお前が、ベル子の悩みにアドバイスしたヤツなんだな?」
「そうよ。それが何?」
「……これはまあ、言わなくてもいいことだとは思うんだが」
言っておきたいことがあった。
ベル子のバンド仲間に会ったら、言っておきたいことが。
――バンドの人にも、相談したの。私と、ベースと、あと、くらまくんのこと。
――普通の人が感動できるようなものじゃ、なかったの。そんな演奏を褒めてくれる人がいるとしたら、それは……その人は……
――くらまくんは、嘘をつくような人じゃ、ないわ。
「……俺は、ベル子に嘘なんかついてねえよ」
「あっそ」
「…………」
興味なさげに一蹴された。
……なんだ? ひょっとして、俺の勘違いだったか?
あのベル子の口振りからして、てっきりバンド仲間から、俺が嘘をついてるんだって吹き込まれたんだと思ったんだが。ベル子と喧嘩した日、ベル子の機嫌が悪かったのはそのせいなんだって。
「なんて顔してんのよ」
若干憐れむような声をかけられて、俺は思わず頬を抑える。
どんな顔してたんだろう、俺は。
「確かに言ったわよ。その友達とやら――つまりアンタのことね――そいつは、嘘ついてるんじゃないかって」
「だったら……」
「だったら何? 謝ってほしいワケ?」
「あ、いや、そんなつもりは……」
ない、とも言い切れなかった。
ほんの僅かだが、責める気持ち、恨めしい気持ちはあった。そのことに、言われてから気がついた。
そうか。だから俺は、わざわざこんな話を持ち出したんだ――。
「私は、相談されたからアドバイスしてあげただけ。嘘ついてるのが絶対だなんて言ってないし、それでアンタたちが喧嘩しようが知ったこっちゃないわ。私にとってカペ谷ベル子はただのバンド仲間で、友達じゃないし。だから、同情もしない」
そういえば。
前にベル子に「友達はいるのか」と訊ねたとき、ベル子は迷わず「いない」と答えた。
そのことが、頭のどこかに引っかかってはいたんだ。
ベル子に友達はいない。じゃあ目の前にいるこのロリっ子はなんなんだ、友達じゃないのか、と。
答えはシンプル。
友達じゃ、なかったんだ。
「そもそも」
冷めた声で、そいつは言った。つまらなさそうに。退屈そうに。
「アンタが嘘をついてないって言う、その言葉自体が嘘じゃないって保証が、どこにあるのよ」
その声は疑っている風ではなく、責める風でもなく、ただ主張の穴をついただけという感じだった。
その声を聞いて、わかった。こいつは俺の言葉を信じてない。かといって嘘だと思ってるわけでもない。ただ、どうでもいいと思っている。
俺とベル子がどうなろうと、ベル子が騙されようと、どうでもいいと思っている。
「そんなワケないでしょ」
半ば無意識にこぼれ落ちた感情の吐露は、即座に否定された。
「カペ谷ベル子は大切なメンバーよ。騙されたのが原因でバンドやめちゃうかもって考えたら、どうでもいいなんて思えるワケないじゃない」
「だったら……」
「でも、だからって私が口を挟んでいい問題でもない。いくらバンド仲間だからってそんなのはお節介よ。相談されたら答える。助けてって言われたら助けないでもない。でも、私から何か考えて行動はしないし、しちゃいけないことなのよ」
きっとこれは、コイツ個人の思いじゃなく、グループ全体の総意なんだろう。
お互い過度に干渉しない。私生活には踏み込まない。バンドのための、バンドグループ。
本気で音楽に取り組む人間としては、正しい姿勢なのかもしれない。どこまでも上を目指すためには、仲良しこよしではいられないのかもしれない。
ただ、それでも。
それは少し、悲しいことのように、俺には思えた。
* *
森のなかには、まだ雨の匂いが残っていた。
3日ぶりの秘密基地。たった3日なのに随分久しぶりなように思えるのは、それだけ俺がここへ来たいと思ってたからだろう。
かといって緊張してるわけでもなく、足は自然と前へ進んでいく。
自然――いや、少し早足か。ベル子が来てるかはまだわからないのに、少しでも早くと気が急く自分がいる。
足は少しずつ速くなり、最後にはほとんど走るようにして、俺は森のなかを駆け抜けた。
――果たして、ベル子はいた。
今まさに、制服のスカートを脱ごうとしているところだった。
「…………、」
さすがに、この状況は予想してなかった。
スカートに手をかけたベル子。開いたファスナーの隙間からは明らかにスカートとは違う黒い布地が覗いている。上半身のボタンはすべて外されていて、白い肌着が丸見えだった。
上を脱ぎかけなのに下を脱ぐとか、こういう半端な着替え方するのはアニメのなかだけだと思ってたけど、なんだ。本当にいるんだな……
って! 冷静に観察してる場合か!
「あー、えっと、その、だな……」
マズイ。マズイマズイマズイマズイ……!
どうする。こういうときアニメの主人公はどうしてたっけ? 確かつい最近観たやつだと、クールな顔で「可愛い下着だな」って真似できるか‼ とんだド変態じゃねえか!
ここは素直に謝っとくべきか? その前に顔を背けるべき?
いや待て、それだと俺がベル子を意識してるってことがバレバレだ。これ以上変態の汚名を着せられたくない。ベル子の下着姿なんて見たってなんとも思わないぜ俺は紳士だからなHAHAHAぐらいの余裕は見せておきたい。
となれば。ここでの最善手は、目を背けないことだ。
むしろ直視したままで、いつも通りに挨拶を交わすべき!
「よ、よおベル子、げ、げげげ元気か?」
「……? 普通、だけど」
そう言ってベル子は、スカートを下ろした。
――――。
!!?
スカートを、お、おおお下ろしたぁ⁉
「べ、ベベベベル子⁉ おまおまおまおまあああああ」
「なに?」
「なにじゃねえよむしろこっちのセリフだよ! お前はなんで俺が見てるのにスラッと脱いでんだよ! この前は濡れ透けしてだだけで恥ずかしがってたくせに!」
「下にパンツ穿いてるから、だいじょうぶよ」
「確かにパンツ穿いてなかったら大丈夫じゃねえけどな⁉」
「そのパンツじゃなくて」
「へ?」
そこで俺はようやく、まともにベル子を見た。
身長の割に長い脚。その白くまぶしい太股から目線を上げると、そこには黒い布地が――確かに、ベル子は穿いていた。
いつもの、黒い短パンを。
「あ、パンツって、そっちの……」
「下に着てなかったら、外で脱いだりなんて、しない」
よく見ると、制服のシャツの下に着てるのも普段から見てるTシャツだった。仮に肌着だったとしても、見てそんなにドギマギするようなものじゃない。
「…………」
いや、ドギマギするようなものじゃないこともないのかもしれない。
見慣れたTシャツと短パン。それ以上(以下?)のものは何一つ見えてないし、特に露出が多いわけでもない。
なのになぜか、ベル子が目の前で服を脱いでるってだけで、とんでもなくドギマギする。ただの短パンなのに、それがスカートの下に隠れていたんだと思うと途端にいやらしく見えてくる。
「どうか、した?」
ベル子が腕に引っかけていたブレザーとワイシャツを落とした。細い二の腕が森のなかで露わになる。
二の腕。ただの二の腕だ。夏にはそこら中で見られる二の腕。男も女もついてる二の腕。
その二の腕が、なんでこんなにも綺麗に見えるんだ?
「くらまくん?」
「あ、いや。……なんでもない」
「そう?」
ベル子は、カーディガンを羽織りながらベースを取りに行った。脱いだ服はその場に脱ぎっぱなしだ。あの部屋の散らかりようといい、もしかしてベル子は片づけとかできないタイプか?
そのままにしとくのも何となく気恥ずかしいので、俺は仕方なく服を拾い上げた。
…………生暖かい。
ベル子に何か言われるかと横目で窺ってみたものの、ベル子はもうベースに夢中だった。
「……はぁ」
服を軽く畳んで切り株の上に置きながら、俺は小さくため息をついた。
まったく、こっちの気も知らずに。こういう振る舞い、まさしく箱入り娘って感じだ。
ベル子を見てるとまたぞろ変なことを考えてしまいそうだったので、俺は本を読むことにした。肩にかけてた鞄から本を取り出す。
そのとき、指先にコンビニ袋が触れた。それで思い出した。
「あ、待て。ベル子、練習ストップ」
「……なに」
ちょっと不満そうなベル子。なんかここ最近、感情表現が豊かになってきてる気がする。
「昨日さ、お見舞いにプリン買っていかなかったこと、怒ってたろ?」
俺が姉から押し付けられた果物のかごを差し出したときのことだ。「プリンのほうがよかったのに……」と、そのときもベル子は不満そうにしていた。
「おこって、ない……」
「そうか?」
「そう。プリンぐらいで、私はおこったりしない」
「そっか……じゃあ今日代わりに買ってきたこのにるげそプリンは、いらないな」
「いる。おこってた。私、すっごくおこってた」
信じられないぐらいの食いつきの良さだった。
ちょっと引きつつも鞄のなかからコンビニ袋を取り出してみると、すかさずベル子にかっさらわれた。肩から降ろしたベースを言葉もなく俺に押しつけて、いそいそとプリンを食べ始める。
ついさっきまでベースに夢中だったのに、今度はプリンに夢中……。どうやらベル子のなかで、[服 < ベース < プリン]の図式が出来上がってるらしい。いいのかそれで。
「うまいか?」
「うん。おいしい」
「そっか。それは良かった」
「くらまくんも……」
そこでベル子は、ピタッと動きを止めた。
プリンを脇に置き、足元のコンビニ袋を拾い上げて中身を確認する。そのなかにはプリンとスプーン以外は何も入ってなかったはずなんだが。
「何か探してるのか?」
「…………」
「ベル子?」
「……なんでも」
ベル子は、またプリンを手に取った。
スプーンですくい上げ、その黄色いプリンと俺の顔を交互に見比べる。
「…………?」
わからないままにボーッと眺めていると、ベル子はまた黙々とプリンを食べ始めた。
なんだったんだ? いったい。
あいかわらず、ベル子の考えてることはよくわからなかった。
「ごちそうさまでした」
しばらくして、ベル子はプリンを食べ終えた。俺なら3口で終わりそうなプリンを、さすがプリン好きなだけあってかなり味わって食べていたように思う。
「ベース」
「え? あ、ああベースな。はい」
慌てて肩紐を外して、ベースを手渡す。
それを受け取りつつも、ベル子はふるふると首を振った。
「え? 違うのか?」
「違わないけど……言ったでしょう。聴かせてほしいって。ベース。お見舞いのときに」
「あ、ああ、言ったけど」
「弾く。今から」
「そ、そうか」
なんで喋り方がカタコトっぽくなってるんだろう。
まあ、それはそれとして。
「えっと……ありがとな」
「……いい」
そう言ってベル子は、すぐにベースの準備を始めた。プリンの空容器は足元にほったらかしだ。
またコイツは……と一瞬思ったが、そこで別の考えが頭をよぎった。
いくらベースバカのベル子でも、一応常識ぐらいは弁えてる。脱いだものを脱ぎっぱなし、食べたあとのゴミをほったらかしなんて、普段ならしないだろう。たぶん。きっと。
そもそもここで着替えるなんてこと自体、今まではしてなかったことだ。それを今日に限ってしているのは、もしかしたら……
「じゃあ、弾く」
考えてる間に準備は終わったようで、ベル子は短くそう言い置くとベースを弾き始めた。
心地よい調べが、耳に届く。
久しぶりに聴くその音に、俺の身体がかすかに震えた。
ただ久しぶりなだけじゃない。これは、ベル子が俺のために弾いてくれる曲だ。
ベル子が普段何を考えてるのかはわからない。それでも今この瞬間は、きっと俺のことを考えてくれてる。それだけで俺は、満たされる思いがした。
そして、もしも、今だけじゃなく――
今日この場所へ来るときも、朝、制服の下に私服を着込んだときも、俺のことを……俺に少しでも早くベースを聴かせることを、考えていてくれてたんだとしたら。
それ以上のことは、なかった。
――くらまくんのためだけにベースを弾きたいって、そう思った。
――でも……ほんとうはそれと同じくらい、もっとたくさんの人にも褒めてほしいって、思ってる。
あの時、実を言うと少しだけ、妬ましく思った。
あの時だけじゃない。ベル子が母親に褒めてほしくて悩んでるって聞いた時もそうだ。
俺がいくら褒めても、それだけじゃベル子は満たされない。ベル子はいつでも俺のためにベースを弾いてくれるわけじゃない。ベル子は俺のものじゃない。
でもそれは、俺だって同じだ。
俺はベル子と、ベル子のベースが好きだ。だけど俺は、いつでもベル子のことを考えてるわけじゃない。
この先俺は、ベル子以外の音楽を好きになることだってあるだろう。ベル子以外の誰かを褒めることもあるはずだ。
同じようにベル子も、俺以外の誰かにベースを聴かせて褒められたいと思う。それは自然なことだし、俺としても喜ぶべきことだ。実際、俺のなかにはベル子のベースをもっと広く認めさせたいって思いもある。
そう、思っていても、やっぱり妬ましい。
ベル子を独り占めしたいと、子供みたいに駄々をこねる自分がいる。
他の誰にも聴かせたくない。俺だけの存在でいてくれと、そう叫びだしたい自分がいる。
そんな自分を表に出さないことに必死で、せめて上辺だけでもベル子を応援してやろうと、せめぎあう心が苦しくて。
でも、今だけは。
ベル子が俺を見て、俺のためにベースを弾いてくれてる、今だけは。
そんな気持ちも、忘れていられた。
今この時この音色は、間違いなく俺のためのものだ。この綺麗な音が、俺のためだけにここに在る。
それだけで、俺の心は満たされた。
あとはこの心地いい時間が、少しでも長く続いてくれれば……
そんな俺の、ささやかな願いは。
願った直後に、打ち崩された。
「――え」
唐突だった。少なくとも俺にはそう思えた。
唐突に、ベル子が手を止め、音が止んだ。
曲がそこで終わりってわけじゃない。それぐらいは俺でもわかる。曲の途中で、ベル子が演奏をやめたんだ。
「ベル、子……?」
「…………」
ベル子は、無言だった。俺を見てもいなかった。
ベル子が見ていたのは、ベースだ。首から下げたベースを、ただ、見ている。
「ベル子……?」
「違う」
緩く、首をふって、
「こうじゃ、ない」
ベル子は、また演奏を再開した。
ベースだけに目を向けて。俺の存在を忘れようとするかのように。
こうじゃない。ベル子はそう言った。俺にはわからなかった。演奏をやめる前と、それ以外の違いなんて。
だけど、今はわかる。
違う。
ベル子が今弾いてる音は、違う。
何が違うかなんてまるでわからない。ただ、違うってことだけが、わかった。
そしてまた、音が止まった。
「ベル子……」
「…………」
どんな言葉をかければいいのか、わからない。
慰めればいいのか? こんな時もあるさって……だけどそんな俺の言葉にどれだけの説得力があるんだ? 俺に何がわかるって言うんだ。
俺にはわからない。音楽のことも、ベル子のことも。
そんな俺に、かけられる言葉なんて、ない――。
「……今日は、帰る」
「…………」
「ごめん、なさい……」
俺は、期待していた。
一日経てば、またベル子がいつもの調子を取り戻してくれることを。
なんてったって、俺はベル子と話すようになってからまだ半月ちょっとだ。演奏の途中で落ち込んで帰るなんてことは、もしかしたら珍しいことでもないのかもしれない。学校には普通に来ていたし、秘密基地にだって、きっと来てくれる。そしてまた、ベル子のベースを聴きながら過ごせる日常が戻ってくるはずだって……。
そう、期待していた。
だけど……