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カペ谷ベル子のベース  作者: 泉野 戒
3曲目 俺もベル子も特別じゃない
6/18

3-1

翌日、放課後。


学校から直接秘密基地へと向かった俺は、そこにベル子の姿がないことを知って落胆した。


来るのが早すぎたのかと小説を読みながらしばらく待ってみたものの、日が暮れるころになってもベル子は来そうにない。


時計を眺め、入口の茂みを眺め、そしてまた時計を眺める。手には一応小説を持っているが、文字の上を目が滑るばっかりでちっとも頭に入ってこない。


あまり暗くなると、姉が心配する。


俺はため息をひとつついてから、本を鞄のなかにしまって、腰を上げた。




歩きながら、昨日のベル子との会話を思い出す。


思い悩んでいたベル子。そんなベル子の背中を押すことになってしまった俺の言葉。


何も言わなければ、無関係なままでいられたかもしれない。だけど俺は、それが嫌だった。ベル子の役に立ちたくて――いや、違う。


自分がベル子の役に立っていると思いたくて、俺はベル子の事情に口出しした。


まだ、わからない。あれで良かったのかどうか。


今日学校で見かけたベル子は、いつも通りのベル子だった。いつも通りの無表情で、昼休みにはヘッドホンをつけてエアベースをやっていた。


最近はベル子の表情の違いがわかるようになってきた気がしてたけど、なんのことはない。俺は会話の中からベル子の感情を汲み取っていただけで、遠目に眺めているだけだと何を考えてるのやらさっぱりだった。


――あなたを、信じる。


昨日、あの言葉のあと、ベル子はすぐさま身を翻して家へと帰っていった。そのせいで俺は、その言葉の真意を尋ねることができなかった。


あの言葉にはどんな意味があったのか。それとも、意味なんてなかったのか。


聞きたかったけど、学校でベル子に話しかけることはためらわれた。なんでだろう? 話しかけるのは秘密基地にいるときだけっていう、そんな謎の固定観念が俺のなかにはあった。


だから俺は今日1日ぐっと堪えて、放課後になるや否や秘密基地へと向かったのだが……


「なんで来ないんだよ、ベル子……」


漏らした独り言は、自分で思っていた以上に苛立ち紛れの声になってしまっていた。


わかってる。別に毎日来るって約束してたわけじゃない。来ないのはベル子の勝手だ。


焦るな。落ち着け。今日話せなかったなら明日話せばいい。たった1日のことで何をそんなに焦ってるんだ、俺は。


落ち着け、落ち着けと、頭の中で何度も繰り返す。それでもちっとも落ち着かない。


――あなたを、信じる。


ベル子のあの言葉が、頭にこびりついて離れない。


信用してもらえた。嬉しいことのはずだ。なのになんで、俺はこんなにも不安を感じている? いや、わかってるんだ。これは、自分自身に対する不安だ。俺は、自分が信用ならないんだ。


ベル子は今、俺の言葉に後押しされて動き出そうとしているんだろう。俺を信じて。


だけど……もしも、それで失敗したら?


そのときに俺は、自分の言葉に責任を取れるのか?


利己的な考えに吐き気がする。でもこれが紛れもない俺の本心だった。俺はベル子の心配よりも、自分が安易に放った言葉が正しかったのかどうかを気にしてる。


無関係は嫌だって、部外者は嫌だって、そう思っての後押しだった。


だけど今は、それを後悔したくなるほど、強い不安に駆られていた。




*  *




「ベル子、ちょっといいか?」


その日俺は、昼休みが終わる間際、授業が始まる寸前になって、ようやくベル子に声をかけることができた。


本当は、朝ベル子を見かけたらすぐに声をかけようと思っていた。固定観念なんか打ち捨てて、とにかく声をかけようって昨日のうちに決めていた。


それが、いざベル子を目の前にすると切り出し方がわからなくて、できなかった。悩んでるうちに、ついにはこんなギリギリのタイミングになってしまった。


俺は、ベル子が何か重大なことを始めようとしてるんじゃないかと思ってる。だけどこの前の一連の会話を思い出してみると、それは単なる俺の早合点なんじゃないかって気もしてくる。もし早合点なら、赤っ恥だ。そんな事態はちょっと勘弁してもらいたい。そう思うと、迂闊には切り出せなかった。


あともう一つ。俺が声をかけづらかったのは、ベル子のヤツがいつにも増してボーッとしてるように見えたからってのもある。


いつも無表情だけど、今日は更に無表情というか……。どこを見てるのかわからなくて、それどころかどこも見てないような気さえする。昼休みの今だって、ヘッドホンつけてるのはいつも通りだけど、手は机の上に置いたままで、いつもみたいに空中でベースを弾いてたりしない。


どこか、妙だった。


話の流れ次第では、そのことについても聞けるかもしれない――そんなことを思いながらの、呼びかけだったのだが。


「…………」


反応が、ない。


いや、これは俺がバカだった。ベル子はヘッドホンをしてるんだ。声をかけても聞こえるはずがない。


俺は改めて、肩を叩きながら呼びかける。


「おい、ベル子」


「…………、」


今度こそ、反応があった。


振り向いたベル子が、俺の目を見る。


そして……


「…………」


ぷいっと、目を逸らされた。


あ、あれ?


「お、おい。ベル子?」


もう一度肩を叩くが、反応はない。


今度は間違いなく、無視されてる。


「おいベル子。ベル子っ」


俺はしつこく肩を叩いた。ここまで来ると、切り出し方とかそんなことはどうでもよくなってくる。クラス中の視線が集まってくる。でもそんなこと、輪をかけてどうでもよかった。


普通なら、引き下がったかもしれない。だけど俺はそうしなかった。なんでって、相手はベル子だ。ベル子が俺を無視するなんて、そんなこと……


あるはず、ないだろ?


「ベル子、おいベル子……!」


何度目の、呼びかけだっただろうか。


「…………!」


耐えきれないとでもいうように、突然ベル子が振り向いた。ヘッドホンを外し、机のうえに打ち捨てる。


俺の目を、見る。


その瞳の中で、火花が散っているのを見た。


「やめて」




「話しかけないで」




それだけ、だった。


それだけでベル子は、また目を背け、ヘッドホンをつけて、俺を意識の外に追い出した。


「……なんだよ、そりゃ」


呟く言葉も、ベル子にはもう届かない。


本当に、なんだよそりゃ、だった。意味がわからない。色んな反応を予想してたけど、これは予想外だった。


驚きのあまり、次の行動が起こせない。ベル子の後ろでぼーっと突っ立ったままで、周囲の視線を浴びつづける。


そんな俺から、唯一ベル子だけが目を背けていた。


やがて、チャイムが鳴る。


俺は渋々、自分の席に戻った。クラスメイトの安井がなんか話しかけてきたが、俺はそれに取り合わなかった。




*  *




なんなんだ。俺が何をした? 俺のどんな行動が、ベル子を怒らせたんだ?


わからない。わからないけど、ベル子が意味もなく怒るとは思えない。つまり、俺がなにかやらかしたんだ。そうとしか思えない。


だったら有り得るのは、やっぱりこの前の後押しか。あの後押しが、ベル子を追い詰めた……?


「だとしても、わかんねえよ……」


ベル子のベース。あれをベル子の母親に聴かせてやれば、何もかもが解決すると思った。俺は自分を信じられないけど、ベル子のベースだけは確かだと、そう思ったから。


なのに、なんでだ? どうしたらあんな風にベル子が機嫌を損ねるんだ? 母親にベースを聴かせられなかったのか? それともまさか、ベースを聴かせた上で認めてもらえなかったのか?


「そんな、わけが……」


あのベースの良さがわからないヤツがいるのか? ましてやそれが、ベル子の母親だと?


考えただけで腸が煮えくり返る。言いようのない怒りの矛先は、母親か。ベル子か。それとも自分自身か。


いっそのこと、今からベル子の家まで行って問い詰めてやろうか。ベル子を。母親を。


だいたい、ベル子もベル子だ。何で無視するんだよ。話してくれたら力になれるかもしれないだろ? そこまでのことを俺がしたのか? 俺の後押しのせいで何かがあったとして、それが全部俺の責任か?


ベル子は無口だけど、裏表はないヤツだと思っていた。たまに毒舌だけど、こういう陰湿な真似だけはしないヤツだと思っていた。


正直、幻滅した。


そして何より、そんなベル子に無視されたからって落ち込んでる自分が、馬鹿らしかった。


もしかしたら、もしかしたらと思った。


もしかしたら、話しかけたのが学校の教室だったから。クラスメイトの前で俺と話すのが嫌だったから、無視したのかもって。そうだとしてもやっぱり、幻滅モノだけど。


でも、もしそうだとしたら、昼休みに無視したことを謝るために今日こそは秘密基地へ来るかもしれないって、そう思った。そうしたら、許してやってもいいかって、そう思ったんだ。


だけど、ベル子は来なかった。


日は完全に落ちきった。辺り一面の真っ暗闇だ。こんな時間になったらもう、ベル子が来ることはない。分かってるのに、俺は帰る気になれなかった。


自分の中で、何か大切なものが壊れて、失われたような気がした。


いや違う。大切だと思い込んでただけだ。本当は大切でもなんでもなかった。ただの幻だ。気の迷いだ。


ベル子のベース。本当に感動した。今までに聴いたどんな音とも違った。それだけは確かだった。だからベル子自身にも、普通とは違った特別な何かがあるんじゃないかと思った。


だけど本当のベル子は、良くも悪くも、どこにでもいる普通の女の子だった。


ベル子のベースはすごい。でも、それだけだ。


俺が頭に思い描いてたようなベル子はどこにもいなかった――そう、これは俺が勝手なイメージをベル子に押し付けてたってだけなんだ。勝手に期待して、勝手に幻滅した。ただそれだけの自分勝手な話だ。だいたい幻滅したって言っても、一度無視されただけだ。それで幻滅って、どんだけ器が小さいんだよ俺は。


ベル子は悪くない。でもその代わり、特別でもない。


だから、忘れよう。吹っ切れよう。


無責任だと思った。自分の言葉を。だけどもともと俺には責任なんてなかったんだ。俺は無責任なんかじゃない。俺は、無関係だった。


だから、もういいだろう。家に帰る。それだけだ。


ベル子に会わないとか、話さないとか、そんな決心すら必要ない。もともと俺とベル子は無関係なんだから。


終わりじゃない。始まってすらなかったんだから。


俺は立ち上がった。腰は変わらず重い。足も重い。それでも俺は歩いた。足元もロクに見えない暗闇の中、いつもと変わらない足並みを意識して、歩いた。


当たり前のように足を踏み外して、転んだ。


「…………、」


呻き声が零れた。膝がじんと痺れた。


その痛みを無視して立ち上がり、歩いた。灯りのない道を、手探りもせずに。


歩く。歩く。


膝の痛みは続いている。それが少し、心地よかった。その痛みがある内は、他のことを忘れていられるから。




そして俺は、秘密基地へ行くのをやめた。

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