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カペ谷ベル子のベース  作者: 泉野 戒
1曲目 ぶっちゃけギターとベースって見分けがつかない
2/18

1-2

「フハハハハッ! 見つけたぞ小僧!」


突然のその声に、ベル子の演奏はピタリと止まった。


「…………」


台無し、だった。せっかく盛り上がってきたところだったのに。いったいどこのどいつだと振り返ってみれば……。


「ゲ……」


そこにいたのは、中二病先生だった。


そうだ、俺、逃げ回ってる最中だった……。


「よもやこのようなところで道草を食っているとはな。さあ、覚悟は良いかね、神に祈る覚悟は!」


「いや、あの、中二……じゃなくて先生……」


「ん、そこにいるのはカペ谷くんか?」


どう言い逃れしようかと考えていると、中二病先生の興味がベル子に移った。


「こんなところで何をしているのだね? それはベース……? ふむ」


何か考え込む様子の中二病先生。その次の言葉を、俺はハラハラしながら、ベル子は何を考えてるのかわからない表情で、待っていた。


「カペ谷くんよ。私はこれでも君の音楽にかける熱意を買っている。だからあまり言いたくはないのだがね……」


「迷惑は、誰にもかけてないわ」


小さい、しかし確かな声でベル子は言った。


「そういう問題ではない。確かにここは空き教室だが、時期に何処かの部の部室となるだろう。その時に君と部員が鉢合わせて問題になっては困るのだ。わかるかね?」


「…………」


なんだ。どういうことだ。俺今、完全に蚊帳の外なんだけど。


「いずれにしろ今日はもう遅い。帰りたまえ、いい子だから、さあ! 倉間青年、君もだ」


「え、補習は……」


「今日はもう遅いと言っただろう。しかし明日こそは受けて貰う。束の間の安寧を、精々楽しむことだな。ハッハッハッハ!」




*  *




帰り道。


一緒に学校を出た俺たちは、なんとなくそのまま一緒に下校していた。


かと言って陽気にお喋りするわけでもなく、ただ、無言で同じ道を歩いていた。


「…………」


「…………」


気まずい。


何か話したほうが良いかと口を開きかけるも、言葉が出ない。どことなく陰鬱なベル子の様子が、雰囲気の悪さに拍車をかけていた。


「どこか、知らない?」


それは、唐突だった。


「え?」


「練習ができる場所、どこか知らない?」


「練習? ……ああ、ギターのか」


ベル子が何か言おうとして、言うのをやめた。背中に抱えた小さいギターケースを抱え直す。


「やっと見つけた、空き教室だったの。部活にしようとして、人が集められなくて、仕方がなかったの」


「…………」


「それにあなたには、貸しがあるじゃない?」


「か、貸し?」


何のことだ。覚えがないけど。


「にるげそプリンを、私から取ろうとしたでしょう?」


「いや、取れなかったじゃん」


「未遂でも、罪は罪よ」


「殺人罪に匹敵するのか……」


「だから、協力して」


「うーん……」


完全に言いがかりだ。


だけど、ただ俺に協力させたいだけなら中二病先生に見つかったのを俺のせいにすれば良かったはずだ。そうしないで、こんな逃げ道のある言いがかりをつけてきたのは、きっと……。


「なに?」


「いや、なんでもない。そうだな……。学校の屋上とかはどうなんだ?」


「立入禁止」


「ああ、そうだったっけ。じゃあ家は?」


「くらまくんの?」


「ベル子の」


「それができるなら、苦労してない……」


「それもそうか」


というかコイツ今、さりげなく俺の家を候補に挙げやがったな。もちろん却下だけど。同級生の女子を家に入れたりしたら姉がどんな反応をするか。考えただけでもウンザリする。


他に良い場所。音楽に集中できるような静かな場所と言えば……


「あ……」


ある。


そうだ、あそこなら……。


「ベル子、今から時間あるか?」


「あるけど」


「ちょっと付き合ってくれよ」


ベル子の目が、驚いたように見開かれた。


少しの間考えてから、ベル子はこくんと頷いた。




*  *




――まーくん早く! 置いてっちゃうよ!


――待ってよぉ、みっちゃん!




幼い頃の自分たちが、目の前の林を駆け抜けていったような気がした。もちろん幻覚だ。


俺はその幻覚を追うように歩を進めた。既に道は道ではなく、見渡せる範囲には人工物すらない。完全な森のなかだった。


「……まだ?」


後ろを歩くベル子が、どこか不安そうな声をあげる。まあこんな薄暗いところに連れてこられたら、警戒するのも当たり前か。


「もう着いたよ。ほら」


俺は、背丈ほどもある草むらを掻き分けた。そうして一歩進むと――


「……ここ?」


「ああ。ここが、俺たちの秘密基地だ」


そこには、開けた空間があった。


鬱蒼とした森から一転、陽光が降り注ぐ自然の広場。周囲は森に囲まれ、清々しい空気に満ち満ちていた。


「なんだか、ここって……」


つまり、この場所は……


「普通」


そう、何もないのである。


基地らしい建物も、息の詰まるような景色も何もない。開けた空間があるだけ。秘密基地なんて呼び方は、完全に名前負けしていた。


まあ、言っても小学生の秘密基地なんだから、こんなもんだろう。


「悪かったな期待外れで。けど、ここなら気兼ねなく練習できるだろ?」


ベル子が必要としていたのは、誰にも迷惑が掛からず、誰の目も気にする必要がない場所。そんな条件に、ここは適しているはずだ。


「うん」


こくんと頷いたベル子の表情は、心なしか満足げに見えた。


肩に掛けていたギターケースを草の上に置き、開く。気負いのない自然な手つきでギターを取り出すと、首に掛け、軽く弦を爪弾いた。


そこで不意に、俺のほうを見た。


「…………」


なんだ?


何かを訴えてくるようなその視線の意味がわからず、俺はただ見つめ返すことしか出来なかった。


やがてベル子は、ため息を一つ。くるっと身体の向きを変え、俺に背を向けた。


……うん。割と傷ついた。


なんでだ? さっきは真正面から見てても許してくれたのに。


「さっきのは、特別」


「特別?」


「あなたに聴かせる為に弾いたから……。今からするのは、練習」


それは、何か違いがあるんだろうか。あるんだろうなきっと。


音楽に疎い俺にはイマイチ理解できなかったが、とにかく普段の演奏をしているベル子を真正面から見るのはNGらしい。


「聴くだけなら、許す」


その一言を最後に、ベル子はギターを奏で始めた。


荒れ果てた草むらを恐る恐る覗きこみ、歩いていくかのような、静かな音色。


見るなと言われているのにその背中を見ているわけにも行かず、俺は仕方なく、近くの木の根元に腰掛けた。


見上げた空は、茜色に染まり始めていた。そろそろ帰らないと、姉が心配してるだろう。俺の役目はもう済んだし、帰ってもいいはずだ。小説の続きも気になるし。


だけど、もう少し。


ベル子の奏でる音にリズムが生まれ、その優しげな音色は徐々に曲へと形を変えていく。その音を身体で感じながら、俺はそっと目を閉じた。


風が木々を揺らす、その音すら演奏の一部のようだった。こんな時間がいつまでも続けばなんて、そんな風に思っている自分に気づいて、少し、戸惑った。


ああ、そうか、俺。


今日初めて聴いた、時間にすれば一時間足らずの、ベル子の演奏。


その演奏は完全に、俺の心を虜にしていた。今になってようやく、俺はそのことに気がついた。




*  *




今にも雨が降り出しそうな天気だった。


民家の間から生温い風が吹きつけてくる。アスファルトを叩く自分の足音さえ不気味に感じられる。月の見えない空は深い闇に覆われていて、一人で歩いていたら不安に駆られていたかもしれない。


そんな道を、俺とベル子は歩いていた。


「あそこ、あなたと誰の秘密基地だったの?」


周囲の不気味さを一切感じさせない平坦な声音で、ベル子は聞いてきた。


「え?」


「さっき、『俺たちの秘密基地』って言っていたでしょう?」


「…………、ああ」


確かに、言ったかもしれない。よく覚えてるなコイツ。


「誰っていうか。仲の良かった……えーっと、親戚の子だよ」


揺れるベル子のつむじを視界の端に捉えながら、俺は答えた。


「女の子?」


「まあ、一応……」


「今でも会うの?」


「それなりにな」


「そう」


「…………」


て言うかこいつ、なんでこんなこと聞いてくるんだろう。もしかして、嫉妬とか? いや、ベル子に限ってそんな……


「その子は、もう来ないの? あそこに」


「こ、来ないけど……。なんでそんなこと聞くんだよ?」


「別に。ただ、迷惑にならないかと思って」


「迷惑?」


「自分がいつも使ってる場所で勝手に演奏なんかされたら、迷惑でしょう?」


「…………」


「なに?」


「いや、何でもない……」


「…………?」


だよな。ないよな、そんなこと。べ、別にわかってたけどさ。


「ていうか、俺はいいのかよ……」


「え?」


「俺に迷惑かけるのはいいのかよって」


「…………」


ベル子が、足を止めた。


「ベル子?」


俺も立ち止まって振り返ると、ベル子は口元に手を当てて何やら考え込んでいた。


そして、


「……迷惑?」


聞こえるか聞こえないかぐらいの小さい声で、そう言った。


いつも通りの、無表情で。


「…………」


なんだ、これ。


なんかムシャクシャする。


思わず舌打ちすると、ベル子の身体がびくっと震えた。ああ、もう!


「……迷惑なんかじゃ、ねえよ」


俺は、言った。目を逸らし、顔を俯けながら。


「言ったろ? 俺はベル子のギターが好きなんだよ。毎日聞きたいぐらいだ。だから……、その、アレだ。ちょっとした冗談だから。そんな真に受けるなよ」


言ってて、なんか照れた。さっき理科室では勢いで絶賛したけど、いざ改まってやってみるとこれって結構恥ずかしい。


俺が言い終えると、ベル子はほんの少しだけ顔を俯けた。肩に掛けたギターケースの紐を、両手でぎゅっと握りしめる。


「……、……」


ぼそぼそと小さい声で何か言ったみたいだけど、聞こえない。聞き返すことも、俺にはできなかった。


「……帰るぞ」


いつまでも動き出そうとしないベル子にそう一声かけて、俺は先に歩き出した。


しばらくしてちらっと後ろを見ると、ベル子はちゃんとついてきていた。俺の歩いたあとを辿るように。手を伸ばせば届きそうな距離で。


なんだろう、この気持ちは。


ざわざわして落ち着かない。なんか、イライラ? みたいな……。だけど誰にだ。ベル子にか?


悶々としながら歩いていると、触れるような軽さで肩を叩かれた。振り返ると、ベル子がそばの塀扉に手をかけていた。


「私の家、ここだから」


「あ、そっか」


言って、なんとなく静止する。「じゃあな」とでも言って帰ればいいのに、なぜかそうしたくなかった。このまま帰るのが惜しいような気がする。ベル子のほうも、取っ手に手をかけたまま動こうとしない。


そのまま、数秒。


「あの」


情けないことに、沈黙を破ったのはベル子のほうだった。


「な、なんだ?」


聞き返すも、ベル子はなかなか続きを言おうとはしなかった。理科室のときのように。肩にかけたギターの紐を握ったり、離したり、顔を上げたり、俯いたり。


「えっと、ベル子?」


せっつくように声をかけると、ベル子は決意したような眼差しで、こっちを見た。


「……ありが、とう」


「え? あ、ああ、練習場所のことか? それなら別に……」


「そうじゃ、なくて」


ベル子はふるふると首を振ると、肩にかけたギターを見た。


大事そうに。愛おしそうに。


「私の、音」


「…………」


「好きって、言ってくれて、ありがとう」


途切れ途切れに、そう言うと。


「それじゃあ、また」


ベル子は扉をあけて、姿を消した。


その慌てて逃げるようなそぶりは、俺にはどこか、照れ隠しのようにも思えて。


ざわざわした気持ちは結局、自分の家に着くまで続いた。

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