6-3
赤井くんはね、あれでなかなか苦労してるんだよ。
彼女がバンドを組むのは今が2度目なんだが、前のバンドではちょっとした――痴情の縺れがあってね。
いや、縺れてはいないか。一方的だったからね。一方的に赤井くんがリーダーから好意を寄せられた。2人きりでの練習を暗に強要されたり、日に何度もメッセージが送られてきたり。家に押しかけられそうになったことも、あったらしい。
腕は確かだったんだ。そのリーダーも、他のメンバーも。熱意があった。このメンバーでプロデビューを果たすんだと、信じて疑わなかった。だからこそ赤井くんも、あの環境を壊したくなかったんだろう。
現に赤井くんは、リーダーを邪険にしたり、付き纏われていることを自分から誰かに話したりはしなかった。周りが異変に気付いて、赤井くんを問い質して、ようやく分かったんだ。
分かってしまえば、そこからはあっという間だった。メンバーのひとりがリーダーに話をしたんだ。『赤井くんに付き纏うのはもうやめたほうがいいんじゃないか』と。
次の日から、リーダーは来なくなった。音信不通で、週に一度の集まりにも顔を出さなくなった。元々ネットで知り合ったような仲だったから、そうなってしまえばもうどうしようもなかった。
悔しかっただろうね。赤井くんは。そして怒っていた。『もっと自分が我慢できていれば』と。『こんなくだらないことで』と、嘆いていた。
そう、彼女自身が言ったんだ。『くだらない』と。誰よりも辛かったはずの彼女が。
それだけ彼女は、あのバンドに本気だったんだ。プロになることを夢見ていた。その大事な夢が、音楽の実力ではなく人間関係のトラブルで崩されるのが許せなかったんだろう。
それからしばらくはソロでやってみたらしいが、何せ彼女はドラマーだからね。ひとりで演るにも限界がある。もちろんドラム以外にも手を出してみたらしいが、それはやはり彼女がやりたいこととは違った。
それで、決めたらしい。今度は自分から始めようと。自分で、人間関係に囚われない、音楽のためだけのバンドを作り上げようと。
「そうして始まったのが、今の僕たちのバンドだよ」
そう言って、オーナーさん――ベル子とロリっ子のバンド仲間のひとは、話を締め括った。
今は、ベル子たちが舞台に上がる約1時間前。
舞台裏までベル子を送り届けた俺は、そこで既に待機していたオーナーさんと初顔合わせした。ベル子が着替えに行ってる間、何くれとなく話をしているうちにロリっ子の話になり、そして今の話を聞かされた。
その話を聞いてようやく、俺は色んなことが腑に落ちた気がした。
――相談されたら答える。助けてって言われたら助けないでもない。でも、私から何か考えて行動はしないし、しちゃいけないことなのよ。
――アンタなら、なんとかできるかもしれない。ベル子のことを認めてくれた、アンタなら。
――別に、嫌ってなんかいないわよ。
干渉はナシと言いながらも、必要以上にベル子の世話を焼きたがる。
冷たい態度を取るくせに、内心ではベル子と仲良くしたいなんて思っている(たぶん)。
つまり、ロリっ子は怖いんだ。
自分が、元リーダーと同じ過ちを犯すのが。
「……なんで」
「…………」
「なんでそのことを、俺に話したんです? それを聞いたからって俺に何かできるとは、思えないんですけど……」
「一つには、君に赤井くんのことを誤解したままでいて欲しくなかったという僕のワガママだね」
オーナーさんの目は、優しい光に満ちていた。
「さっき話した崩壊したバンドに、僕もいた。赤井くんとはその頃からの付き合いでね。僕は彼女のことが好きで、彼女の夢を叶えるのが僕の夢だ。願わくば、その時僕は彼女の傍にいたいと思っている」
さらっと発せられた「好き」という言葉。ロリっ子がストーカーされた話を聞かされたばかりだっていうのに、オーナーさんのその言葉からイヤラシサは欠片も感じられなかった。
ただ純粋な、好きという思い。誰かを幸せにしたいという思いだけが、感じられた。
「あとは、少しばかり君に期待もしている」
「期待……ですか?」
「ああ、期待だ。君は、あのカペ谷くんの心を開いてくれた。君には実感が湧きにくいことかも知れないが、カペ谷くんもあれで赤井くんに負けず劣らず頑固でね。彼女に友人ができたと聞いたときは、僕も赤井くんも心底驚いたものさ」
それは意外なようでいて、よくよく考えてみれば納得のいく話でもあった。
どこかリア充の空気があるロリっ子と違って、ベル子はどこからどう見てもコミュ障でぼっちだ。さっきの喫茶店でのやり取りを見ても、問題があったのはロリっ子よりもベル子のほうに思える。
「君ならあるいは、赤井くんのことも変えてくれるんじゃないかと思ってね」
「……やっぱり、ロリっ子のやり方は間違ってるってことですかね」
「間違ってはいないのかも知れない。が、正しくもないだろう。人を傷つけるし、自分も傷つける。優しく導いてあげられるような人が、近くに必要だと思ってね」
「それで、俺に……」
オーナーさんは、静かに頷いた。
その肯定を受けて、俺はその期待の重さに愕然とした。
俺には優しさもないし、器量もない。そんな俺に、そんな重い期待をかけらけたって、正直困る。そういう役割をするなら、それはむしろ……
「むしろ、オーナーさんのほうが向いてると思うんですけど。同い年の俺と違って、歳も離れてるし」
「いやいや。離れていると言ってもせいぜい3つか4つだ。大した差じゃないよ。それに」
「3つか4つ⁉」
何事か続けようとしていたオーナーさんの話を、俺は遮ってしまっていた。
「オーナーさんって、そんな若かったんすか⁉」
「うん。よく言われるね、20代には見えないと。僕としては、そこまで老けている自覚はないんだが」
「いや、老けてるっていうか……」
老けてはいない。背筋はしゃんとしてるし、その高い身長も相まってモデルのような雰囲気さえ醸し出している。
にも関わらず20代に見えないのは、さっきからオーナーさんの話しぶりが老成しすぎているからだ。若作りなだけで実年齢は30過ぎとか言われても信じてしまいそうな――いやいっそ不老不死だと言われたほうが納得できるぐらい、揺るぎない落ち着きっぷりだった。
「何か理由でもあるんですか? 一人称も『僕』だし」
「申し訳ないけど、そこまで大した理由はないよ。ただ……」
「オーナー!」
またしてもオーナーさんの話は遮られた。今度は外野から。
顔を向けると、そこには当のロリっ子がいた。
「着替え、終わったわよ。そっちはどう?」
「僕も準備OKだね。音響さんには挨拶してきたかい?」
「とっくよ。出入りはリハーサル通りに……って、なんで倉間マダオがここにいるの?」
そこでようやく、ロリっ子が俺の存在に言及してきた。
が、しかし、俺はそんなロリっ子に応えられなかった。それどころじゃ、なかったからだ。
俺は、ロリっ子と一緒に歩いてきたベル子に――その舞台衣装に、完全に意識が持っていかれていた。
「お、おま、お前、その服は……おま、おまっ……!」
「……? なに?」
「なに、じゃねーーーーー‼」
思わず叫んだ。
だってその服が、あまりにも、あまりにもアレだったから……
肩回りは丸出しで、スカートは透け透け。更にそのスカートの下は、下着より際どいんじゃないかってほどのハイレグレオタードのような何かときた。
俺は正直、ベル子がライブ専用の衣装を着るって聞いたときは心が躍った。普段とは違うベル子が見られるんだって。
俺の心の中のベル子コレクション――制服、短パン、寝間着姿――に、新しい一葉が付け加えられるんだって、ワクワクしていた。
だけどそれがまさか、こんなスゴイ衣装だったとは……
「おま、そ、それ、恥ずかしくないのかよ……そんな、恰好して……」
「べつに、下着じゃないから」
「どこの機械化ウィッチだお前は!」
パンツじゃないから恥ずかしくないもんってか! 見てるこっちが恥ずかしいわ!
え……マジでこの恰好でライブやるの? クラスメイトとか、学校中の全員にベル子のこの姿が?
それはその……色々マズイだろ! 学校行事としてマズイだろ! ていうか俺が嫌だ!
「うん。やっぱりよく似合っているね。時間をかけてデザインした甲斐があったよ」
「これ作ったのあんたかぁぁぁあああああああああ!!」
俺のオーナーさんへの株価が大暴落した瞬間だった。
本当に、ついさっきまではすごく大人っぽくて頼れるお姉さんのイメージしかなかったのに。それが今この瞬間、ただの変態に様変わりした。
「ステージに上がるからには全力を尽くすのが僕の信条でね。多少卑猥に見えるかも知れないが、これも一つの芸術だと僕は考えているよ」
「うっ……た、確かに、そう言われれば反論できない……いやでも流石にこれは……」
「あとは僕が個人的に見たかったからというのもあるね」
「やっぱただの変態じゃねーーーかっっっ‼」
「さっきから何をギャーギャー騒いでんのよ」
と、こちらもベル子と同じくらい卑猥な恰好のヘソ出しロリっ子が口を挟んできた。
「これぐらい、ガールズバンドなら普通でしょ。あんまりうるさいとリーダー特権でベル子と付き合うのやめさすわよ」
「普通、なのか……? いや、でもその場合、ベル子がバンドをやめることになると思うんだが。なあ、ベル子?」
なんせベル子は、俺のためにベースをやめようかなんて思い詰めてしまうぐらいだ。それぐらい俺はベル子に愛されている。だからロリっ子のそんな安い脅しには、俺はもちろん、ベル子だって心を揺り動かされたりはしない。
そんな自信に裏打ちされた強気な態度で、俺はベル子に同意を求めたわけだが……
「…………」
「ベル子?」
ベル子からの、返事はなかった。
一瞬、調子に乗りすぎて愛想尽かされたのかと不安になるも、どうやらそういう様子でもないことに気づいた。ベル子は、俺の顔でもロリっ子の顔でもない、空中を見つめている。
要するに、上の空だった。
「ちょっと。ベル子?」
ロリっ子が、ベル子の肘を小突く。
それでようやく気がついたのか、ベル子がロリっ子を見つめ返した。
「…………、なに?」
「なにってアンタ……。はぁ、まあいいわ。私も初めてのときは、そんな感じだったし」
やれやれといった声音になぜか少しだけ嬉しそうな色を覗かせつつ、ロリっ子はため息をついた。
「じゃあそろそろ、スタンバイ行くわよ。ベル子は機材もって舞台裏に……」
「いや、カペ谷くんはまだいいんじゃないかな?」
「はあ? なに言ってんのよオーナー」
ロリっ子が、呆気に取られたような声をあげる。
「舞台裏は狭いからね。搬入とチェックだけなら2人でも十分に事足りるだろう。カペ谷くんには悪いけど、彼女にはもうしばらくここで待機していてもらったらどうかな」
「だから、何言って……」
言いかけた言葉を、ロリっ子は途中でぐっと呑み込んだ。
同時に、何か合点がいったような、それでいて苦虫を噛み潰したような、そんな複雑な顔をする。
「……わかった。そうしましょう。ベル子も、それでいいわね?」
その確認に、ベル子はきょとんとしつつも、頷きを返した。
「ベル子、ちょっといいか?」
「…………?」
ロリっ子とオーナーさんとが準備に出ていってすぐ。
俺はベル子に声をかけた。
「なに?」
「いや、その……。特に何ってわけでもないんだけど……」
ベル子の衣装をまだ見慣れてない俺は、気恥ずかしさからそんな風に言葉を濁していた。
表舞台のほうからは、コミカルなBGMが聞こえてくる。そのBGMと、俺たちの間に横たわる空気感のギャップが、なんとも居心地悪かった。
オーナーさんがなぜあんな提案をしたのか、わからないほど俺は鈍感じゃない。ましてやこの1カ月、ずっとベル子のことばっかり考え続けてきた俺だ。ベル子が今どういう心境なのかは手に取るようにわかった。
「ベル子、緊張してるか?」
「……うん。緊張、してる」
「そっか……」
その素直な答えが、俺にはたまらなく嬉しかった。
いまやベル子は、変に隠したりせず、俺にありのままの心のうちを見せてくれている。
思い上がりかもしれないけど、そんなベル子の素直さに、俺は頼られてると感じる。そんなベル子の力になりたい。
俺は、言葉を探した。
「緊張するなってのは、無理だと思うけど……」
余計な言葉はいらない。
たった一言だけでいい。
ほんの少しでいいから。
ベル子の支えになる言葉を。
「俺が、見てるから」
それは、下手をしたら余計に緊張させてしまいかねない言葉。
「ベル子のこと、最前列で見て、応援してるから」
だけど、今の俺たちなら――俺と、ベル子なら、きっと大丈夫だって。
「だから……がんばれ」
伝わるって、信じられた。
「………………うん」
ベル子は、相変わらずの無表情だったけど。
それでも伏し目がちなその顔からは、暖かな気持ちが伝わってきた。
その、一時だけ。
まるでこの場所が世界から切り離されたみたいに感じた。
舞台上からのBGMもどこか遠く、俺とベル子は2人きり。ただ見つめ合い、お互いの心を通わせている。そう感じる。
数秒間、そんな心地いい時間が続いて――
「ベル子! ちょっと来て」
そんなロリっ子の声に、俺たちは我に返った。
ベル子が2回、瞬きした。口を開けて、閉じて、目が泳いで……困ってる様子がありありと伝わってくる。
「行けよ」
極力優しい声でそう言ってやると、ベル子はこくりと頷いてから走り去っていった。
その後ろ姿を少しの間だけ見送ってから、俺は観客席のほうへと向かう。
「くらまくんっ」
――と、たいして間を置かずに呼び止められた。
振り返ると、向こうへ走っていったはずのベル子がいつの間にかすぐ真後ろにいた。
「ベル子?」
「…………、……、」
ほんの少しだけ息を切らせたベル子は、ゆっくりと息を整える。
そして、いつもと変わらない無表情で、俺を見上げて。
「見てて」
その、短い言葉で。
俺の胸の中に、言葉にできない感情が溢れていった。
その想いを噛みしめ、抱きしめて。
そしてそれを言葉に乗せて、俺は返す。
「おう! 任せとけ!」
* *
俺は舞台裏を出て、観客席のほうへと移動した。
ベル子たちの出番までまだ30分近くあるとは言え、最前列をキープするなら早すぎるということはない。幸い席は割と空いていて、俺は難なく舞台の真ん前、最前列に座ることができた。
『ああロミオ。あなたはなぜロミオなの?』
『おおジュリエット。それは私にもわからない。永遠の謎だ』
「…………」
しばらく座ってみてわかったのは、いつかベル子が言ってた通り首がちょっとキツイということだ。
常時見上げる形になるし、今やってる劇なんかだと端のほうの人の演技が目に入らない。ライブなら関係ないとは思うが……。
そこでふと、俺はさっき見たベル子の衣装を思い出した。
ベル子のあの、際どい衣装。あれを着たベル子が、もうすぐこの舞台に立つ。それを俺が、こうしてローアングルから見上げて……
…………。
「……ふひっ」
緊迫した静寂のシーンに、俺の笑い声はびっくりするぐらいよく通った。
ジュリエット役の3年生からの汚物を見るような目線が、心に痛かった……。
「あ、マダオ。もう来てたんだー」
「違います私はマダオなんかじゃありません汚物ですどうか汚物とお呼びください……」
「何があったの⁉」
なんだ姉貴か。てっきり実行委員会の人が汚物の消毒に来たのかと思ったぜ。ふー、焦った焦った。
時刻はライブ開演5分前。さっきまでやっていた劇も終わって、今は休憩時間だった。
客席は徐々に埋まってきていて、最前列は言うに及ばずだった。そんな中、なぜか(なぜか)空いていた俺の両側の席のうち、右隣に姉は腰掛けた。
「プリン屋は抜けてきて大丈夫なのか?」
「うん、だいじょぶだよー。プリンは作り置きしてるし、もともとこの時間は休憩もらうって話してたから」
「休憩以外にもサボリすぎてのべ子ちゃんには睨まれたけどねー」と、姉はにへらっと笑いながら付け加えた。
のべ子さん、か……。姉の昔からの親友の顔を思い返しながらも、俺は同情を禁じえなかった。俺は弟だから身に染みてわかってはいるが、この姉は割とちゃらんぽらんなのだ。
そのくせ悪気は(あんまり)ないし、人当たりも良いから、コイツを非難するとまるでこっちが悪者みたいになってしまう。ほんと、ズルイと思う。
「それでマダオは、ベルちゃんとしっかり話してきた?」
「話してきたっていうか……さっきまで一緒に文化祭回ってたんだよ。知ってるだろ?」
「そうじゃなくて」
仕方ないなあという風に腰に手をあてる姉。こういうお姉さんぶった仕草、ちょっとイラっとくる。
「ベルちゃん、本番前で緊張とかしてなかった? ちゃんと励ましてあげた?」
「…………」
「ねぇ、マダオ?」
「話したくねえ……」
「えー! なんでー⁉」
なんでも何も。どうして俺とベル子の2人きりのやり取りをいちいち姉につまびらかにする必要があるんだよ。
ていうか、なんでわかるんだ。ベル子が緊張してたこととか、俺が励ましたこととか。まさかどっかから見てたんじゃないだろうな。
「ベルちゃんは、すごく弱い子だからね」
俺の疑問に、姉は当たり前のことのように答える。
「いつか強い子になるまでは、マダオがしっかり支えていてあげないとダメなんだよ」
「強くなったら俺はお払い箱かよ」
「そうかもね~」
子供じみた俺の難癖を、姉は笑って受け流した。
冗談の類だとわかってはいるが、それでもちょっとだけ、心にかかった。ベル子がいつか、俺を必要としなくなる可能性について。
ベル子がデビューして、一人前になったとして。そのとき、ベル子は俺と一緒にいてくれるだろうか。必要としてくれるだろうか。
俺は、ベル子のベースが好きだ。つまり俺は、ベル子から音楽を貰っている。
だけど俺は、ベル子が一人前になったとき、ベル子に何かを与えられるのか? 何も与えるものがなかったとしたら、そんな一方的に貰ってばかりの状況に、俺自身が耐えられるのか?
「マダオ? どうかした?」
「……いや、なんでもない。ちょっと将来のことが心配になっただけだ。将来――老後のこととか」
「ちょっと気が早いんじゃないかな……?」
俺の雑なボケに姉の冷静なツッコミが入って、さらにそこへ被せるようにブザー音が鳴り響いた。開幕の合図だ。
司会進行役の女子生徒がマイクでバンド名を読み上げる。照明が落ちて、ざわついていた館内がすっと静まり返った。
そして、いよいよ――
ベル子たちのライブが、幕を開けた。




